第7話 お手洗い狂騒曲
「まだ食うのかよ?」
呆れたようにイザネが言う。
「すいません。
まだまだ足りないみたいなんです。」
と、東風さん。
この世界での初めての食事に大興奮したせいか、奇行に走った四人だったが俺が注意をしたらすぐに言う事を聞いて大人しくなった。
見た目に反し、みんな意外なほど素直で助かる。
「しかたないですよ。
身体の大きな人は、その分多くの食事が必要ですから。」
……と言いつつ俺の視線は東風さんの出っ張ったお腹の方を向いてしまう。
(東風さん太ってるし、胃もでかいのかもなぁ……。)
俺は東風さんが喉に食べ物をつまらせないように井戸水で満たしてきた水筒を隣に置いた。
(コップがあればそっちの方がいいのだけれど、ここにはないのだろうか?)
俺はコップが置いてないかこの部屋を見回してみたが、見つける事ができなかった。
代わりに俺の視界に入ってきたのはなぜか下半身をモゾモゾしている段であった。
(あれ?もしかして。)
「段さん、我慢してないでトイレに行ったらどうですか?」
「トイレ?
あんな床に穴が空いているだけの部屋に何しに行くんだ?」
(いかん!緊急事態だ!)
人は物を食って出す存在だが、まともに食う経験のなかったこいつ等が出す経験だけある訳がない!
「ええっと、下半身に違和感があると思うんですが、とりあえず力を入れて耐えといてください。」
俺は段にそう言って対策を考える時間を稼ごうとしたが、べべ王もなんだか落ち着かない様子を見せ始めている。
(……まずいな。)
俺は傍にいたイザネに話しかけた。
「この建物にトイレはある?」
「確か床に穴のある部屋の事だったか?
あるけど、なんに使うんだあの部屋?」
よしっ!第一関門突破!
野グソ・立ちションコースは回避された。
なぜトイレを必要としない筈の異世界の建造物にトイレが存在するのかは甚だ疑問だが、今は考えないでおこう。
次の問題はこいつ等にどうやってトイレの使用方法を教えるか、だ。
まさか実演してみせる訳にもいかないし……いや、べべ王・大上=段・東風にはギリギリいけるかもしれないが、イザネ相手には無理。無理無理無理っ!絶対に嫌だっ!
俺は急いで庭に出ると、ショートソードの鞘で地面にトイレで踏ん張る人の図を描いた。
もともと絵心がある訳でもないし、慌てて描いたせいで随分と酷い絵になってしまったが、丁寧に描きなおしている時間などない。
「みんな大至急集まって下さい!
今からトイレの使用方法を教えます!
これはとても重要な事です!
急いでください!」
3人に少し遅れて段が内股で走ってくるのを見て俺は焦る。
(タイムリミットが迫っている……急がなければ!)
「みんなこの絵を見て下さい!」
四人が集合したのを確認して、俺は地面に書いたトイレで踏ん張る人の絵を指さした。
「ギャハハハッ!
カイル、それおまえが描いたのかよ?」
「それにしても下手な絵じゃのう。
ぷ~クックックックックッ。」
下半身が汚い意味で爆発寸前のハゲと、その一歩手前と目されるジジイが俺の絵を見た途端に笑い出す。
「真面目に聞けテメー等ッ!
お漏らししても知らんぞぉぉーーっ!!」
俺はなぜか半泣きになって叫んでいた。
* * *
我々は今、縦列編隊にてクランSSSR拠点トイレ(個室)を目指し進行している。
我ながら適切かつ無駄のない”トイレの正しい使用法”の伝授により、タイムリミットまでまだ若干の余裕が残っている。
トイレの使用順は個々の緊急性を考慮し、大上=段・べべ王・東風・イザネの順とした。
尚、トイレ使用者は皆これが初めての体験であるため万が一の事故防止の観点から、唯一のトイレ使用経験者である俺が個室前に待機し、状況に応じて適切なアドバイスを個室内に送る事とする。
任務の成功を祈る。
---------MISSION:1 大上=段 BEFOR---------
「うひょぉーーっ!
初めて裸になる事ができたぜ!
ルルタニアではなぜか下着だけは絶対に脱ぐ事ができなかったのによーっ!」
「なんでトイレで全裸になってんだよ!
脱ぐのは下だけでいいんだよ!下だけで!」
---------MISSION:1 大上=段 AFTER---------
「ウンコするってのも悪くないもんだな。
スッキリしたぜ。」
「汚い手で俺を触ろうとするんじゃねーよ!
早く手を洗ってこい!」
---------MISSION:2 べべ王 BEFORE---------
「ほぉ~、これがチンチンというものか。
プルプルしてて面白いのぉ~。」
「チンチン弄って遊んでんじゃねーよジジイ!
後がつかえてるんだから真面目にやれっ!」
---------MISSION:2 べべ王 AFTER---------
「カイルが急かすから、ちょびっと手にかかってしまったじゃないか。
まったくもう。」
「俺の服で拭こうとするんじゃねーよ!
とっとと手を洗ってこい!」
---------MISSION:3 東風 BEFORE---------
「あの、お腹が邪魔で下が全く見えないのですが、私どうしたらいいんでしょうかカイルさん?」
「フィ……フィーリングでなんとかしましょう。
がんばって下さい東風さん。」
---------MISSION:3 東風 AFTER---------
「ああああぁぁぁ……悪夢だ。
まさか我が体内からあんな汚い物が出てこようとは……。」
「早く慣れましょう東風さん。
手を洗うのを忘れないでくださいね。」
---------MISSION:4 イザネ BEFORE---------
「おい!俺にはチンチンとかいうのが付いてないけど、どうなってんだ?!」
「女には付いてなくて当たり前だろうが!
知らなかったのかよ!
あと”チンチン”言うな!はしたないからっ!」
---------MISSION:4 イザネ AFTER---------
「…………ノーコメントでいい?///」
「コメントなんて求めてないから。
聞きたいとも思ってないから。
あと、手を洗うの忘れないでね。」
---------MISSION:5 カイル BEFORE---------
「なんで人がウンコしてるとこ覗こうとしてんだよハゲとジジイ!
ガキかテメー等ッ!」
「おい、バレちまったじゃねーかジジイ。」
「クスクスクスクス」
----------MISSION:5 カイル AFTER---------
「なんで食事してトイレ行くだけでこんだけ疲れなきゃならないんだよ。
まったく。」
俺は手を洗うために庭に向かって歩いていた。
(……それにしても不便な建物だな。)
この建物の中で手を洗う場所は庭の池が井戸しかないのだが、トイレからあまりにも離れている。
トイレの脇に手洗い用の桶などを設置しようにも、それを設置するのに十分なスペースすらない。
まるでトイレを作ってはみたが、実際に利用される事を想定していないような、そんな作りなのだ。
日は落ちて、もう空はかなり暗い。
完全に真っ暗になる前に、この建物内の燭台やランプに火を灯したいが、全てを灯すには広すぎて手間がかかりそうだ。
(せめてトイレ周辺の燭台とランプには明かりを灯しておかないと、後々不便だよな……)
庭に出ると門の前に段が立っていた。
どうやらこれからどこかに出かけるつもりらしい。
「こんな遅くにどこ行く気だよジョーダン(大上段)。」
俺はあえて、先輩冒険者に対する礼節を無視するような口を利いた。
いい歳こいてる割にこいつとジジイは妙に子供っぽい。
そして、こいつ等を相手に失礼のないよう丁寧な付き合い方をしようとしても、逆に付き合いにくいだけなのだと俺はさっきから思い知らされていた。
「どこって冒険に行くに決まってんじゃねーか。
とりあえずは拠点周辺の探索でもしとくつもりだ。」
「夜通し冒険する気か。
いつ寝るんだよ?」
「寝る?
睡眠耐性は積んであるんだ、そうやすやすと寝かされる事なんてありえねーよ。
ところで”段さん”ってのはもうやめたのかよ?」
例によって意味不明な事を言っているのは、この世界で生活するのに睡眠が如何に大切であるかを知らないのだろう。
説明するより体験してもらう方が早そうだし、俺はあえてほっとく事にした。
「人がウンコしてるとこを覗くような奴に”さん”付けしてられるかよ。」
俺は手を洗いながら答えた。
「ジョーダンは、悪戯が過ぎるからのぉ。
クスクスクス」
庭に出てきたべべ王が段を指さして笑う。
「あんただって共犯だからなジジイ。」
「……ごめんなさい。」
べべ王は俺に頭を下げる。
不意に謝られたので、俺は振り上げた拳を降ろす場所を失ったような感覚に襲われる。
「まぁ、反省してるならいいけどよ……。」
「騙されるなよカイル。
そのジジイは謝っても反省は絶対しないんだ。」
(は?)
俺は騙されるとこだったのか?
「失敬な!
そんな事は決してないぞ、ちょっと忘れっぽいところはあるが少なくとも謝った瞬間は反省しとるわい。
そういえばカイル君、さっき見た君のチンチンはちっこくて可愛かったのぉ~。
ぷ~クックックッ。」
本当に微塵も反省などしていない。
そしてどうやら悪ノリしている時のジジイには付き合おうとしない方がいいみたいだ。
たぶん相手したら超面倒だぞこいつ。
「その、”ウンコ”とか”チンチン”とか言うの止めませんか?
下品ですし、聞いててちょっと恥ずかしいですよ。」
初めて会った時のマスクを被って東風さんも庭に集まってきた。
本当にこの人は常識人で助かる。
「いいじゃねーか、”ウンコ”も”チンチン”もルルタニアではNGワードに指定されてて 口に出す事すらできなかったんだぜ。
この世界じゃNGワードじゃないみたいだし、思い切り言わせろよ。」
「ウンコチンチン・ウンコチンチン♪
ウンコウンコチンチン~♪」
段の意見に賛同し、調子こいたジジイが歌い出す。
本当にうざい。
「ここでだってNGワードだよ”ウンコ”も”チンチン”も。
普通にマナー違反だからな。」
『ごめんなさい。』
段とべべ王が同時に頭を下げた。
「ところで東ちゃん、イザネはどうしたんじゃ?」
「イザ姐は留守番しているそうですよ。」
「あいつたまに付き合い悪いよな。
で、カイルはどうするんだ?
一緒に冒険に行くか?」
段が俺を誘って来たが、日が暮れてから冒険だなんてごめんだ。
こっちは朝からゴブリン退治だの大猿追跡だので疲れてるし、そもそもここの森に生息していたモンスターの大猿はさっきイザネが倒している。
この辺りのモンスターは一掃されているというのに、いったいどこで冒険しようというのか?
「俺も留守番してるよ。
それと、眠くなったらすぐに帰って来いよ。」
「我々は睡眠耐性の装備をしていますから、その心配はないと思いますが?」
「そのうちわかりますよ。」
「どうやら余程強力な睡眠魔法を使うモンスターが潜んでいるようですね。
腕が鳴ります!」
東風さんは勘違いしたまま、べべ王と段とともに何をしに行くつもりなのかサッパリわからない冒険に出発していった。
(すっかり暗くなってしまったな。)
俺は自分の手提げランプに火を灯した。
三人が帰って来る前にクラン拠点内の明かりを灯しておくとしよう。
それにしても、この人達が住んでいた世界とはどういうところなのだろうか?
食事をする必要も排泄の必要も眠る必要もなく冒険に没頭できる世界。
そんな非常識な幻のような世界が存在しているのだろうか?
いや、もしかすると我々が住んでいるこの世界も、他の世界から見たら非常識な幻のような世界なのかもしれない。
どの世界の住人も、自分たちの見る幻こそが正常だと思い込んで日々の生活を送っているだけなのかもしれないのだ。
(とりあえず庭からトイレまでの通路の明かりを確保しとけばいいか。)
俺は手提げランプの火を拠点内の燭台に順に移していったが、その数の多さにだんだんと辟易してきた。
そもそも五人で使用するにはこの建物は広すぎるのだ。
「なんだ折角パーティ枠を譲ってやったのに、べべ王達と一緒に行かなかったのかよ。」
気が付くと手提げランプを持ったイザネが傍に立っていた。
「パーティ枠ってなんです?」
「パーティの人数制限の事だよ。
パーティに参加できるのは四人までで俺達は五人だから、誰か一人が留守番してなきゃならないだろ。」
「パーティに人数制限なんてここではないよ。
だいたいこの拠点に戻って来る時だって、俺達は五人でパーティを組んでたでしょ。」
イザネは”あっ”と小さく叫んで驚いた表情をした。
「そういえばそうだな。
なんで気づかなかったんだろ。」
「イザネさん達の住んでた世界とこことでは随分違うみたいだし仕方ないんじゃない?」
俺は次の燭台に火を付けながら言った。
「ところで、おまえさっきから何やってんだ?」
「明かりを確保してるんだよ。
建物の中が暗いままじゃ危ないでしょ。」
みればわかるだろと思いながら俺は答えた。
「そうか……やっぱそうだよな。」
イザネは周囲を見渡しながら言った。
「ルルタニアに居た時は、このクラン拠点の明かりは暗くなると自動的に光が点いていたんだよ。
この拠点の中だけはルルタニアに居た時のままだと思ってたけど、やっぱり随分変わっちまってるんだな。」
高価ではあるが魔力を付与した家具で暗くなると自動的に明かりが灯る照明器具も存在するが、ここにある燭台もランプも通常の物と変わらなかった。
「なぁ、あれにはどうやって火を点けるんだ?」
イザネは広間の吹き抜けに下げられた大きなシャンデリアを指さした。
「あれは長い棒の先に火を点けてあそこまで伸ばして火を移すんだ。
小型のシャンデリアなら、釣っているロープを緩めて下に降ろしてから点ける事もあるけどね。」
「へーっ、詳しそうだな。」
「詳しいって程じゃないよ。
親父が飾り職人でね、俺も貴族の屋敷に親父の手伝いで入った事があるんだ。
その時に覚えたんだよ。」
「そっか、お前には家族がいるんだな。」
「イザネさんにはいないの?」
俺はそれを言ってしまってからハッと気づく。
もしかしたら元の世界に家族を残したままこの世界に来たかもしれないのに、俺はその事に全く気付かずに口を滑らせていた。
「俺達には家族はいないが、マスター達がいてくれたよ。
姿はわからないが、俺達を作って一緒に冒険してくれるマスター達がね。
正直、わからな事だらけのこの世界に来て少し不安だったりもするんだけどさ……」
イザネは少し寂しそうな顔をして言った。
「……一番不安なのは、もう二度とマスター達と冒険できないって事かな。」
「なぁ、そのマスターっていうのは何者なんだ?」
俺の疑問にイザネは少し考え込んでから答える。
「俺達のところに良くログインしてきて、俺達にいろいろ指示を出してくれて、それで一緒に冒険をするんだ。
なぜか姿は見えないんだ、まるで俺達の内側にいるみたいで……。
もっとうまく説明できればいいんだけど、俺もマスターの事は限られた事しかわからないんだよ。」
「よくわからないけど、神様みたいなもの?」
「俺達にとってはそうだったのかもな……」
イザネはなぜか愛おしそうに頭に巻いている赤い鉢巻に触れた。
「さてと。」
イザネは気持ちを切り替えるように言った。
「俺も明かりを点けるの手伝うぜ。
お前一人じゃ大変だろ。」
「じゃあ、イザネさんはトイレの側からここに向かって明かりを点けてきて。
俺はここからトイレに向かって明かりを点けていくから。」
「あいよ了解!」
イザネはトイレの方向に向かって駆けていった。
* * *
トイレまでの通路に明かりを点ける作業は想像していたより早く終える事ができた。
イザネが手伝ってくれて効率が2倍になったというのもあるが、手伝ってくれる仲間がいるというのは一人でやるより遥かに心強く作業も捗るものだ。
「次はどうするんだ?」
明かりをつけ終えて戻ってきたイザネが俺に尋ねた。
「ベットの置いてある部屋とかあります?」
「ベットォ~?
あんなもん何に……」
その時イザネが何かを我慢するような表情をした。
フワァ~
大口を開けたイザネから欠伸が漏れる。
「あれ?」
イザネは自分のした欠伸が信じられないらしく目をパチクリさせている。
「自然とだんだん眠たくなってきたでしょ。
だから、これからベットで寝るの。」
「なんでそんな事しなきゃならないんだよ。」
「なんでって、寝ないとこの世界じゃ一日の疲れが取れないからだよ。」
「かぁ~っ!
めんどくせー!」
イザネは頭をかきむしる。
「じゃあ、どのくらい寝ればいいんだよ?」
「個人差はあるけど、だいたい6時間~8時間くらいかな?」
「マジかよ!
一日の3分の1近くも寝なきゃならないのかよ!
なんとか短縮できねーのか!?」
「すぐに好きなだけ寝ていたいとすら考えるようになるよ。」
俺は笑って答えた。
* * *
寝室は建物の三階にあった。
俺は部屋に据え付けられたランプに火を灯し、ベットの数を数える。
(ベットは全部で5台か……東風さんは体がでかいから一人で二台必要だろうし、もう一台欲しいな。)
隣の部屋の方からイザネの声が聞こえる。
「こっちの部屋と、その隣の部屋にもベットがあったぜ。」
「了解。
じゃあこっちの部屋を男部屋にするから、そっちの部屋はイザネさんが使っといて。」
ベットに触れると使われていなかったせいなのか、少し埃っぽい。
できれば掃除しといてあげたいが、今からでは間に合わないだろうし今日はこれで我慢してもらおう。
ふと窓の外を見ると庭の方に明かりが見えた。
「まさか、睡眠耐久250でも効果なしとは思わんかったのう。」
「それよりも敵がどこから睡眠魔法を放ったのか全くわかりませんでした。
じわじわと眠気が襲ってくるこの感覚もルルタニアではなかったものです。」
「攻略法を考えて、すぐにリベンジするぞ!!
くっそ、まだ眠気が続いてやがる。
とりあえず倉庫の中のめざまし草を取って来ようぜ。」
俺とイザネは三人を寝室に案内するため、庭へと降りて行った。
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