第2話 限界集落

 ギルドで強引なチコに絡まれているところを助けてもらった事には感謝している。

 冒険者の先輩として尊敬もしている。

 しかし、しかしだ……年がら年中バカップルのイチャイチャをパーティメンバーに見せつけるのはどうなんだ?


「はいデニムあ~~ん。」


 馬車の御者台から俺はデニムの口にサンドイッチを運ぶルルさんを横目で見る。


(弁当くらい普通に食べてくれ……)


 しかし、これに文句をつけたら険悪な雰囲気になってこのパーティが崩壊するであろう事はチコの話からも明らかだ。

 幸いバカップルぶりにさえ目をつむれば理想的な先輩冒険者である訳だし、なるべく二人についていこう。

 俺の我慢が限界を迎えるまでは……。


 俺達は今、住んでいたゴータルートの街を出てリラルルの村に向かっている。

 巨大な城壁に囲まれ敵国の略奪やモンスターの襲撃に備えている街とは違い、村にはせいぜい簡単な木の壁や柵があるだけで常に外敵に怯えなければならない。

 進軍中の軍隊が兵糧目当てで略奪しにやってくる事すらある。

 村の住人の多くは街での生活に憧れるが、街に住むには領主に大金を出して市民とならねばならない。

 街に入れない村人達は自分たちの身を守るため自衛し、モンスター出現などの厄介ごとが起こった場合は外から冒険者を雇う事が常だ。

 街に住み領主やら貴族やらの重税に悩まされている身とすれば、村での生活に憧れる事もあるのだが、こういう現実を突きつけられると市民権のありがたみを実感せざるを得ない。


 街を出てすぐに俺達は馬車で作戦会議を行ったが、これはすぐに終わった。

 村でゴブリンの詳細な情報を聞く前なのだからせいぜいできる事といえば、パーティメンバー全員の戦力確認くらいだったのだ。


 リーダーのデニムはファイター。

 トロルとの一騎打ちに勝った事もあるというから、かなりの腕前だ。

 普通のゴブリン相手なら10匹くらい相手にしても負けないと豪語していた。


 ルルさんはシーフ兼レンジャー。

 戦闘より探索を得意としているが、ショートソードの腕前もそこそこあるのだとか。

 新人冒険者のファイターよりは強いと言っていたから、ゴブリン相手なら前衛も務まるだろう。


 そして俺はマジックアーチャー。

 使える魔法は仲間を治療するヒールアロー・仲間の防御力とスタミナを上昇させるガードアロー・仲間の攻撃力と素早さを上昇させるアタックアロー・毒や魔法による混乱などを治療するキュアアロー・そして攻撃魔法のファイアアロー・アイスアロー・サンダーアロー。

 一通り戦いで使える魔法を覚えてきたつもりだが、今の俺の魔力量では日に何度も唱えられるわけでもなく、その威力も実戦に際して十分といえるほどかどうか自信はない。

 一応レンジャーとファイターの研修も冒険者ギルドで受けたのだが、レンジャーはともかくファイターとしての素質は殆ど俺にはないようだ。


「すごいねカイルは、さっき教えたばかりなのにもう馬車の操り方がこんなにうまくなってる。」


 いつの間にか俺の傍に寄って来ていたルルさんに顔を覗き込まれる。

 この人、デニムにはベッタベタだけど俺に対してもイチイチ距離が近い。


「え、ええ馬車ははじめてですけど馬には乗った事はありましたがら」


 ちょっとドギマギしながら俺は答えた。

 おや、俺の方を見ていたデニムが御者台に近づいてくる。

 まさか嫉妬している訳じゃないですよね?デニデニさん。


「ルルのお古なんだけどさ。

 これを持っときなよ。」


 デニムは俺にショートソードを差し出した。

 ルルの行動には理解があるのだろう。

 俺がルルにちょっとやそっと挑発的な態度をされてもデニムに嫉妬される心配はなさそうだ。


「え?でも俺、剣は苦手ですよ。」


「それはさっき聞いたよ。

 でも魔導弓だけじゃ、いざって時に頼りないだろ。

 念のために敵に接近された時に使える武器も身に着けておくべきさ。」


 デニムの一言に俺はハッと気づく。

 俺はマジックアーチャーが敵に近づかれたらヤバいと思ってはいたが、敵から距離をおき味方に守ってもらう事しか考えていなかった。

 レンジャーの研修を受けたのも、敵の気配に敏感になって敵の不意の接近を防げると思ったからだ。

 しかし、最初から魔導弓しか身に着けていないのでは”自分は接近されたら対抗手段がありませんよ”と敵に宣言しているようなものではないか。


「なによ~、カイルったらあたしのお古じゃ気に食わないのぉ~?」


 わざとらしく頬をふくらませるルルさんに、俺は笑顔で返しデニムからショートソードを受け取る。


「すいません、

 この剣しばらく借りますね。」


「いいわよ、それくらい。

 カイルにあげるわ。」


 俺は剣に対する目利きができるわけではないが、少なくともこのショートソードが安物でない事だけはわかる。

 嫌になったらこのパーティを抜けるつもりでいたが、この二人にはこの半日足らずで世話になりっぱなしだ。

 例え俺の我慢の限界がきてこのパーティを抜ける事になったとしても、後ろ足で砂をかけるような真似だけはすまい。


「ありがとうございます。」


 俺の返事に笑顔で答えるルルさんの横をデニムがすり抜けて歩を進め、御者台の俺の隣にドカッと腰を下ろす。


「そろそろ御者を代るよ。

 カイルは弁当もまだ食ってないだろ。

 ルルのサンドイッチは美味いんだぜ。」


 そう言ってデニムは俺の手から手綱を奪った。



         *      *      *



「リラルルの村が見えてきたぜカイル。」


 御者台からデニムが俺に声をかける。

 さっき食べたルルさんのサンドイッチは美味しく感じられなかった。

 当たり前だ、御者台でイチャつくバカップルを見ながら食う飯が美味い訳がない。

 我ながらよく耐えたと思う。

 いったい何時間あれを見ていたのだろうか俺は……。

 もしかして俺の度量が狭いだけなのかな?

 二人に嫉妬めいた感情は抱いてるのは確かだし。


 二人が座る御者台に近づき馬車の前を覗くと遠くに木の柵が見える。

 あれでリラルルの村を囲っているのだろう。


「そういえばカイルって恋人はいるの?」


 ルルさんが唐突に御者台から俺を見上げて聞く。


「いませんよ、まだ。」


 生活も将来も安定しない貧乏な新人冒険者に女が寄ってくる訳がない。


「あら、顔も悪くないし青い髪もきれいだし、もてそうなのに。」


「髪はもう少し短い方がいいと思うけどな。

 俺はそろそろ準備するから、馬を任せたよ。」


 デニムはそう言うとルルに手綱を渡し、馬車の奥で鎧を体に着ける。

 後衛であるが故に殆ど普段着と変わらない軽装の俺や、ルルさんのような軽い皮鎧ではなくデニムの鎧は金属プレートが随所に施された本格的な物のため、それなりに重量があるだけでなく着るのにもひと手間かかってしまう。


「大変そうですね。

 重くはないんですか?」


「これは金属板を要所にのみ集中する事で重量を抑えるように工夫がしてあるんだよ。

 着るのも他の鎧に比べれば楽なもんだし、冒険者が使うには丁度いいんだぜ。」


 デニムが古ぼけた鎧の肩の金具をパチンとはめながら答える。

 確かにナイトが着るようなフルプレートアーマーとかは、一人で着るのも不可能だって聞くよなぁ……


「もっとも、もうそろそろ痛んできたから新しいのに買い替える予定だけどね。

 注文しといた鎧が無事できあがってるといいんだけど。。。」


 馬車が止まると同時にデニムは荷台から飛び降りていた。

 俺も慌てて矢避けの魔法のかかったマフラーを巻いて馬車を降りる。


「ねぇ、この村ちょっとヤバいんじゃないの?」


 馬車を降りると、御者台のルルと村の門番の二人がなにか話していた。

 門番は二人とも俺と同い年くらいで、一人は長髪の女性だった。

 どうやら彼等はデニム達とは顔見知りのようだ。


「前の村長と一緒に村の住人の半分が逃げちまったからな。

 あとは、あっという間だったよ。

 今は俺の親父が名ばかりの村長をしているよ。」


「何があったんだ?

 まさかゴブリンに怯えて住人が逃げ出した訳じゃないだろう。」


 デニムが話に割って入る。

 俺も村の方を見て状況を察する。

 手入れもされていない空き家がやけに目立ち、この村は既に廃村直前の状態なのではないかとさえ思える。

 いったい住人の何割がこの村を見捨てて逃げたのだろう。


「大猿が村の近くの森に住みついたのよ。」


 門番の女性がちらりと俺の方を見る。


「ああ、失敬。

 こいつは新しくパーティに入った……」


「カイルです。」


 デニムに促され俺は門番達に名乗る。


「あたしはクリスで、こっちはダニーよ。

 カイルさん、ゴブリン退治の依頼を受けてくれてありがとう。」


 ダニーはともかくクリスは門番が似合っているようにはとても見えない。

 二人ともデニムと似たタイプの鎧を着て大ぶりな剣で武装しているのだが、特にクリスの方は俺のような新人冒険者から見ても戦闘の素人である事は容易に察しがついてしまう。

 体格に比べて剣も大き過ぎるため、まともに振れるかどうかさえ怪しく見えるのだ。


「ねぇゴブリンより、その大猿退治を依頼した方がいいんじゃないの?」


「大猿は縄張りに入りさえしなければ襲ってこないから、それさえ知っていれば危険じゃ ないんだ。

 ただ、ときおり夜になると吠えるもんだから臆病な奴等はみな怯えちまってこのザマだ。」


「だから当面の問題はゴブリンの方なのよ。

 村の住人の数が少ない事がバレたら今夜にでも襲ってきても不思議じゃないわ。」


 ルルの質問にダニーとクリスが交互に答える。


「すまないな、以前のパーティが解散していなければゴブリンのついでに大猿を退治する事もできたんだが。」


 すっかり寂れてしまった村の方を見てデニムの眉間にしわが寄る。


「気にするなよ。

 どのみち今の村には大猿退治までギルドに依頼する金はないさ。」


 ダニーの言葉を待たずとも、それは予想できた。

 俺達は馬車を村の宿屋の隣に止めて、ダニーとクリスの案内で村長の家に向かう。

 村に入った頃にはまだ明るかった日差しが今は西に沈みかけている。

 到着した村長の家は村の道具屋だった。


「ゴブリン退治の冒険者が到着した。

 俺は親父を呼んでくるから店の中で待たしておいてくれ。」


 ダニーは戸を開けて道具屋の中に向かってそう叫ぶと店の裏の畑に向かって走って行ってしまった。


「ゲイル、マーサさん久しぶり。」


 デニムはダニーの開けたドアの中を覗き込み笑顔をもらす。

 店番をしていたおばさんとその子供がこっちを見て声をあげる。


「おや、デニムじゃないか。

 あんたがゴブリン退治を引き受けてくれたのかい?」


「どこ行ってたんだよデニム~。」


 ゲイルと呼ばれた子供が小走りに近づいてきてデニムの脛を軽く蹴る。


「ゼベックさんが探してたぜ。」


「あ、いけない。

 父さんにデニムが来たことを知らせないと。」


 クリスが慌てて踵を返す。


「デニムさん、約束はちゃんと守ってもらわないと困りますよ。

 こっちにも都合があるんですから。」


 そう言うとクリスはそのまま走り去ってしまった。

 入れ替えるようにダニーが村長らしき男を連れて店に戻ってくる。


「どうしたんだあいつ?」


 ダニーが走り去るクリスを見て首をかしげる。


「ゼベックさんを呼びに行ったんだよ。

 おおかた支払う金に困ってここに寄り付かなかったんだろうけどさ、そういうのはあんまり関心しないよデニム。」


 マーサさんに叱られたデニムが肩をすくめる。


「ゴブリン退治の礼金が貰えたら、ちゃんと支払うよ。

 ゼベックさんには謝らないとなぁ……。

 そういえば、ゴードンはどうしてる?」


 村長らしき男が口を開く。


「奴は逃げたよ。

 もともと臆病だったからな。

 ところでダニー、村の門はどうなってる?

 ちゃんと閉めといたか?」


 ダニーの表情が変わり、それを見てため息を漏らす村長。


「行ってこい。」


 村長がそう言うと、ダニーも慌てて村の門の方に走り出した。


「お久しぶりですブライさん。」


 ルルが村長に挨拶をする。


「お久しぶり。

 ルル嬢ちゃんは暫く見ないうちにまた美人になったんじゃないか。」


「やだもーっ、ブライさんたら///

 お上手なんだからぁ。」


 その時、村の西の森の方から獣の咆哮が上がる。


グオオオオオオォォォッッッ!


 俺とルルさんは驚いて声の聞こえた方を見た。

 まだ幼いゲイルはマーサさんのスカートにしがみついている。


「やかましいねぇ、わざわざ吠えなくともそこがあんたの縄張りである事くらい知ってるよ。」


 マーサが毒づく。

 これが村の廃れる原因となった大猿の声なのであろう。


「ご苦労なされているようですね。」


 デニムがブライ村長を気遣うように言葉をかけるが、村長はなにごともなげに答える。


「この村ができる前、最初にこの地に住み着いた者はわずか六人だったと聞く。

 我々はまだ十人以上ここに残っているのだ、なんて事はないさ。

 こっちこそお前がパーティを解散してからいい噂を聞かないから心配しとったところだ。

 ルル嬢も元気なようだし、新しいパーティメンバーも見つかったようだし安心したよ。」


「マジックアーチャーのカイルといいます。」


 村長の視線がこちらに向くのに気づき、俺は自己紹介する。


「ついてましたよ、彼がいてくれなかったらルルと二人だけで依頼を受けていましたから。」


 デニムが俺の肩にポンッと手を置く。

 ブライ村長は軽く俺に頭を下げ、デニムに向き直る。


「では、早速だが依頼の件について相談しよう……」


 ブライ村長は道具屋のカウンターの上に手に持っていた裏の畑で取れたであろう野菜を置くと俺達に奥の部屋に来るよう促した。


         *      *      *


 ブライ村長の説明によると足跡と村人の目撃情報から推測するゴブリンの数は十数匹。

 まだ村から少し離れた位置にはいるものの北の方から徐々に村に近づいてきているらしい。


「十数匹か、少し多いな……。」


 デニムの顔が曇るのを見て、ブライ村長が問いかける。


「難しいのか?」


「普通の群れならいいのだが、このサイズの群れだと変異種が混ざっている可能性があるんだ。

 変異種らしき個体が混ざった形跡は本当にないのか?」


 村長は少し考えて答える。


「ないな。

 断言ができる訳ではないが、足跡や痕跡からも、目撃証言からも変異種がいるとは思えない。」


「ふぅ……む。」


 少し考えてデニムがこちらに話しかける。


「ルル、カイル、俺は明日の早朝にゴブリンの群れを退治しに行こうと思う。

 変異種が混ざっている場合は、状況次第で退却して対策をたてるという事でどうだろうか。」


「あたしは、それでいいわよ。

 カイルはどう?」


「俺もデニムさんの判断を信じます。」


 冒険者ギルドで習っただけではあるがゴブリンについての知識はそれなりにあるし、過去にゴブリンの群れに襲われた村を見た事もある。

 その知識に照らしてみてもデニムの考えが間違っているとも思えないし、歴戦の冒険者の勘に頼った方がこの場合はいいだろう。

 デニムはゆっくり頷くとブライ村長に向き直った。


「では明日の朝にゴブリン退治に出発します。

 なお、いつゴブリンに襲われてもおかしくない状態とも聞いておりますので、今夜は武装を解かずに休みます。

 なにかあったら迷わず、すぐに起こしてください。」


「頼んだぞ。」


 村長が手を差し出し、デニムがそれを握る。


「今夜はバンカーの宿に泊まってくれ。

 今から俺が案内する。」


 村長が俺達を先導するように部屋の戸を開けるとダニーとクリスの話声が耳に飛び込み、壁によりかかる気難しそうな男が視界に入る。


「なんで、村の門を開けっ放しにするんだよクリス!」


「あんただって、忘れてたんじゃない!」


 部屋の前の男を見て、デニムが青ざめる。


「久しぶりだなデニム。

 ”今は仕事が立て込んでるから4か月ほど待て”と言った覚えはあるが、まさか5か月経っても音沙汰なしとは恐れいったよ。

 どこをほっつき歩いてたんだ?」


「お久しぶりですゼベックさん。

 実は……」


 ゼベックと呼ばれた男はデニムの言葉を遮るように声を上げる。


「言い訳したければ後で聞いてやる。

 だがな、いかにみっともなくとも俺の前に顔を出す事くらいはできた筈だ。

違うか?」


 うなだれるデニムにゼベックが歩を進め胸を軽く小突く。


「次は許さんからな。

 お前が注文した剣はとっくに完成しているが、鎧は今から仕上げてやる。

 実際に鎧を着てお前の身体の寸法とズレがないか測るからすぐに俺の鍛冶場に来い。

いいな?」


 ゼベックはダニーと話しているクリスの方を向いて声をかける。


「今から大急ぎでデニムの鎧を仕上げるからお前も手伝え。」


「えぇ~!今からぁ?」


 ゼベックはクリスの文句など耳に入らない様子だ。


「デニムは明日の朝にゴブリン退治をする予定なんだが、それまでに間に合いそうかゼベック?」


 ブライ村長が尋ねるがゼベックは首をふる。


「無茶をいうな、徹夜したって無理だ。

 どのみち新しい鎧は大型のモンスターを相手にする事を想定したものだ、ゴブリン退治の役には立たねぇよ。

 で、剣もゴブリンを退治するには少々大ぶりだがどうするデニム?

 少なくとも切れ味は今お前が使ってるものより数段上だが。」


「いえ、後金が払えるのはゴブリン退治の礼金が入った後なので、終わってから受け取ります。」


「なら鎧も明日の昼までに仕上げておいてやるよ。」


「ちょっと!それ徹夜と殆ど変わらないじゃない!」


 クリスは悲鳴を上げたが、デニムの返事が気に入ったのかゼベックの気難しそうな顔が少し緩む。


「という訳だから、ちょっとこの男を借りるぜルルちゃん。

 そこの新顔の兄ちゃんも、いっぱしの防具でも欲しくなったら俺の店に来るといい。

 俺の腕前はデニムが保証してくれるぜ?」


デニムは苦笑いで答えた。



 村長の道具屋を出るとすっかり日は落ちていた。

 ランプを片手に村長は俺とルルを宿に案内し、デニムはゼベックに引っ立てられるように彼の鍛冶場に向かう。

 バンカーの宿は、予想した通りさっき馬車を止めた宿屋だった。


 宿の戸を開けると一人の女の子がルルさんに向かって走って来た。


「ルルだー♪」


「あ、メルルだー♪」


 ルルさんはそう言うと女の子を持ち上げてくるくる回ってから床に降ろす。


「久しぶりだねルルちゃん。

 デニムはどうしたんだい?」


 宿のおかみさんらしき人がカウンターから話かける。


「ゼベックさんに捕まっちゃった。」


 ルルが肩をすくめる。


「あらあら、約束をすっぽかしてたからねぇ。

 ええっと、そっちの彼は見かけない顔だけど……」


「カイルです。

 デニムさんのパーティに入った者です。」


 俺は軽く頭を下げる。


「ララよ。

 バンカーは村の公衆浴場の掃除に行ってるけど、あんた達の泊まる部屋はあたしが用意しといたから安心してね。

 4人部屋で間に合うわよね?」


 ララさんはブライ村長の方を見て確認する。


「ああ、助かるよ。

 バンカーにもよろしく言っておいてくれ。」


 ブライ村長は俺の背後から魔導弓にいたずらしようと手を伸ばしていたメルルを捕まえて、ララさんの元に運んで手渡した。


「明日はよろしく頼む。」


 村長は最後にそう言うとルルさんと俺にそれぞれ握手をして去っていった。



         *      *      *



 俺は宿の部屋で一人でベットに横になっていた。


「で、最近デニムとはどうなの?」


「ふふ、それがね……


 外からはメルルを寝かせつけたララさんとルルさんの話声がかすかに聞こえてくる。


「眠れないな……」


 明日が冒険者としての初仕事だ。

 ベテランの冒険者と一緒のゴブリン退治。

 危険の少ない冒険ともいえるか怪しい仕事ではあるが、不安と期待が混じったような高揚感が抑えられない。

 デニムから明日早いのだから先に寝ているように言われていたが、とても寝れそうにない。

 そういえばなぜデニムもルルさんもなんで俺をこんなに信用してくれるのだろうか?

 魔法が使える者が少ないにしても、新人の冒険者をろくに値踏みもせずにパーティに加えたまま実力を疑うそぶりもない。

 身構えていたこっちが拍子抜けしている。


(……駄目だ、あれこれ考えていたら益々寝れそうにない。)


 俺は最も退屈で眠たくなりそうな事を考える事にした。


(まず、門番してたのがダニーとクリスで、村長がブライさんでダニーの父親。

 村長の奥さんの名前……駄目だ思い出せない。

 それとダニーの弟らしき十歳くらいの子供がいたな、名前は憶えてないけど。

 鍛冶屋のゼベックさんがクリスの父親で、宿屋のおかみさんがララさんで、その娘がメルル。)


 村長の奥さんと男の子の名前だけがどうしても思い出せない。


 俺は昔から人の名前を覚えるのが苦手だった。

 そのせいかどうかは知らないが、思い出せない名前の事を考えていると、そのうち思い出すのもどうでも良くなり眠たくなってくる。


「おいルル、先に寝てろって言っといたろ……」


 ドアの外でデニムの声が聞こえるのとほぼ同時に俺は意識を手放していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る