第91話 暴走

 暗闇が訪れ、人が寝静まった深い夜。


 誰しもが活動を停止する中で一人の女性がベッドから起き上がる。


「証拠を消さないといけませんね」


 その声色は普段の穏やかな様子からは予想がつかないほど冷徹であった。


 手には細いナイフのようなものが。


 誰も起こさないように静かに足を目的地へと向ける。


 そしてその目的地にたどり着くとギィッとかすかな音を立てて扉を開く。


「あなた達には悪いけれどこれがバレてしまうわけにはいかないのです」


 その女性の頭の中にはこの王国の諜報部隊の存在のことが。最近、王国内の仲間の拠点が潰されていっていると聞き、焦っていたのであった。


 目の前で寝ている子供たちの顔を覗き込む。


 衰弱はしているが、いずれ目を覚ますことだろう。


「元の姿に戻るとは思わなかったから教団に送らなかったけれど……いらぬことをしてくれたものです」


 子供たちには自身が行なったことの記憶がある。このまま目を覚まされて大騒ぎをされてはたまったものではない。


 震える手に握ったナイフを大きく振り上げる。


「ごめんなさいね。私も返していかないといけないのです」


「その返す相手って誰なのかなぁ? ねえ、キャルティさん」


 突然後ろから自分の名を呼ばれ、キャルティは身を硬直させる。


「あらあら、武芸はまったくの素人みたいね」


 後ろから現れた黒いフードを被った者は瞬時にナイフを握りしめる手をひねり上げ、拘束する。


「誰ですか?」


「薄々感づいてるんじゃない? 『グレイス』って言うんだけど」


 キャルティはやはりかと思うが、彼女にはこの者を振り払うだけの力はない。


「ここまでみたいですね」


 キャルティは拘束されていない手をポケットの中に突っ込み、赤い液体の入ったガラス瓶を取り出す。


 咄嗟の動作に黒フードは反応できない。


「これが罪深き者の末路ですよ」


 そう言うとキャルティは赤い液体を一気に飲み干す。


「何をしたの?」


「さあ、これまでの行いへの贖罪でしょうか」


 諦観ともとれるような彼女の表情を見た黒フードは危険を感じ、窓から外へと飛び出す。


「まずい、急いであいつの所へ行かないと村に被害が」


 黒フード、いやカトリーヌは孤児院の近くで待っている人物の下に向かう。正直、抵抗はするとは思っていたがあんな風に暴走するとは思っていなかった。


 これもが絡んでいるせいであろう。相対して自分では相手にならないと悟った。いつも相手にしている幹部よりも危険な臭いがした。


 少しして待っている人物の下へとたどり着く。そこには黒い髪の少年と白い髪の少女が居た。


「キャルティさんは?」


「暴走したわ。そんなことより子供が危ないかも。一緒に来て」


「分かった。行くぞ、ライカ」


「うん」


「お前も来るか?」


「ええ。私は子供たちを運び出すわ」


「頼んだ」


 そう言うと、クロノ、ライカ、カトリーヌの3人は闇夜を駆ける。



 ♢



 孤児院を離れた後、遅い時間になったため村長さんに家に泊まるよう勧められた俺達は幸いにも次の日も休日だということでそれに甘えることにした。


 そしてそれは俺にとって僥倖であった。


 元々、リア様たちにどうやって断りを入れて孤児院に向かおうかと考えていたからである。


 最悪、グレイスとライカに任せっきりにしても良いかと考えていたが何があるか分からない。それにキャルティさんの背後に魔神教団が絡んでいると聞き、もしかすれば二人で収まらないほどの強者が控えているかもしれないのもあるが、頼みごとをしておいて帰るというのも気持ち悪い。


 そうして夜に現れたカトリーヌとコンタクトを取り、皆が寝静まったところでライカと二人で部屋を抜け出した。


 カトリーヌは既に孤児院に潜り込んでおり、その報告を待つため、孤児院の近くの大木に背を預けて待っていると、息を切らしたカトリーヌが走ってくるのが分かる。


「キャルティさんは?」


「暴走したわ。そんなことより子供が危ないかも。一緒に来て」


 暴走? 疑問を感じながらもカトリーヌの様子から一刻を争う事態だと察する。


「分かった。行くぞ、ライカ」


「うん」


 そうして俺達は数歩先の孤児院の中へと入っていくのであった。

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