第72話 終幕

「怠惰な時空」


 時の流れがゆっくりになる。時の流れ全体にわたってかけられている能力をピンポイントで破壊することはできない。


 リア様ですら身動きが取れていない。


 大ピンチである。


 しかし、俺はその能力の強さではなく別のところで驚いていた。


(こんな能力、魔王の奴は持っていなかったぞ)


 そう、確かに先程の状態のレイジーは怠惰の魔王と同じだったのだが、魔王はあの時点で終わっていた。


 つまり、この力はレイジー特有のものである。似てはいるが、本質が違う。


 しかし、時が遅くなっているのならレイジー自身も遅くなっているはず。


 そんな思いは一瞬で砕かれた。


「君はいらない。死んじゃえ」


 目の前までなんら変わらぬ速度で近づいてきて、腹を殴打する。


 その凄まじい膂力は俺の体を吹き飛ばすかのように思えた。


 だが、実際にはその場に留まっている。


 なぜなら、俺の時が周りよりも遅いから。


「しぶといなあ、もう!」


 次から次へと打ち込まれる拳が俺を時間差で襲う。


「これで終わりだ!クイック!」


 先程までゆったりであった俺の時が即座に早くなる。


「カハッ……」


 言葉にならないほどの衝撃。


 俺は抵抗できるまでもなく、その衝撃に身を灼かれ、吹き飛ばされていく。


「ようやく邪魔者が居なくなった。後は君だけさ」


 レイジーは身動きの取れないリア様へと歩み寄っていく。


「リ、ア様」


 少年のような細い手がリア様に触れた瞬間、俺は残っている意識を総動員して、真の力を呼び覚ます。


 ――起きろ。


 オーラが爆ぜた。そう表現するのが正しいだろう。


 黒い力の奔流が一人の少年の体を覆いだす。


「まだ、死んでいなかったの?」


 レイジーはうんざりしたように、しかし気に留めることなく、リア様に手を伸ばす。


「動けない君に睨みつけられたって怖くないよ。スロ……」


 空間にひずみが生まれる。それをいち早く感じ取ったレイジーは勢いよくこちらを振り向く。


「……やれやれ道理で強いわけだ」


 黒い鎧に禍々しいと表現されうる破壊のオーラ。


 時間という本来、人間が抗えない概念にすら牙を剥く破壊の権化が静寂の世界の内に歩きだす。


「黒の執行者……僕だけじゃきついな、こりゃ」


 俺が腕を一振りするとレイジーの右腕が吹き飛ぶ。


「おいおい、嘘だろ」


「リア様に触れるな」


 自分の攻撃がリア様に当たらないか心配になりながら俺はそう告げる。


「へへ、時間を遅くしても関係ないか……面倒だなぁ!」


 右腕を瞬時で生やしきったレイジーは地面を蹴り、こちらに向かってくる。


「回復量は上等。だが、それだけじゃ破壊の力には勝てない」


 俺は右腕をゆっくりと捻りながら引く。そうしてそのまま正面へと解き放つ魔を破滅させた正拳。


破邪はじゃけん


「クイックショット!」


 二つの拳が交差する。


「はは、こりゃ無理だ」


 破壊の力は反抗する勢力を意に介することなく、破壊の限りを尽くし、怠惰の力を蝕む。


 そうして後には何も残らない。


「……終わりだな」


 回復する気配が無い状態を見て、俺は黒の執行者を解き、リア様の所へと向かう。


「へへ、ちょっと頑張りすぎちゃったかな」


 時の流れが戻った瞬間にリア様の体がふらりと揺れ、その場に倒れ込もうとする。


「おっと」


 俺は間一髪でリア様を抱き上げる。


「終わりましたよ」


 内心でバレたよな、こりゃと思いながらリア様にそう告げる。


「なんとなく察したわ。あの状態だと一瞬で何かが起こったことしかわからなかったけど」


 どうやら俺が黒の執行者であることはバレていないらしく、胸を撫でおろす。


「……また、助けてもらっちゃったね」


「はい?」


 リア様のつぶやいた言葉が上手く聞き取れず聞き返すと、恥ずかしそうに顔を伏せる。


「なんでもない!」


 俺とリア様は一通り疲れが取れると、屋敷へと戻った。


 屋敷の前には心配そうに待っている学長やカリンたちの姿があった。こんなことがあったため、合宿はやめて夜が明けたころには帰るらしい。


 リア様は惜しそうにしていたけどこの次があるとは分からないし当然の処置だよな。


「そういえば結局あの黒いフードは何者だったんだろう?」


 そう疑問を残して波乱の合宿生活は終わりを告げた。



 ♢



 とある森のはずれ。


 そこには黒いフードを被ったものと金色の髪の美しい青年が居た。


「入手できたものはこちらのみになります」


 黒いフードを被った者はスッと金色の青年に黒い水晶を渡す。


「ふむ。なんなのだろう、これは」


 興味深げに、それでいて怪しい物でも見るかのように慎重に見た後、黒いフードの者に返す。


「これは一応“影”全体に伝えておいてくれ。私もなにかしら調べておく」


「畏まりました。クリス殿下」


 そう言うと、黒いフードを被った者は姿を消した。


「クロノが、まさかね」


 笑みを浮かべながらその史上最強の第一王子はその場を去った。

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