遠路遥々
江坂 望秋
本文
「遠路遥々御苦労様!」
労いの一言はどうしても軽くなってしまうらしい。
「ありがとう、でも近いよ」
「どのくらいだったよ」
「一時間くらい」僕はテーブルの椅子に腰掛けた。
「何だい、俺が思ったより短いな」彼は鼻で笑った。
「でも、船酔いはしてしまう」
「そりゃ、馴れるまでの付き合いさ」
「やな奴だ、そいつは」
こう言った具合の話を彼の家の一階の十畳の応接間で一時間ばかり話していた。何せ十年ぶりの再会で、積もる話がたくさんあった。
「俺は結婚したぜ」
「僕もさ」
「まさか……?」彼は眼をかっ開いてこっちを見る。
「そう、桃子ちゃんだよ」
「お前の初恋の子じゃないか!」
「うん、偉業だろ?」
「あぁ、歴史に名を刻むよ。もうちっと有名人だったらな」
「僕が有名じゃ無いって?」
「そう、こっちじゃ全くだよ」彼は応接間の窓を見て、暗い町並みを眺める。
「確かになぁ、あっちと違ってみんな冷たいよ。船を下りたときも、僕は『どんな歓迎が待っているんだろう』と鼻息を荒くしていたんだ」
「おいおい、そりゃ驕りだぜ。お前はもっと謙虚に居るかと思っていたよ」
「天狗は誰もが通る道さ」
「そうだな」僕と彼は目を見合わせて笑った。
少しして、「失礼します」と入ってきたのは彼の細君。「こんばんは」彼女は僕に微笑んで、度数の低い瓶ビールとグラスをテーブルに置き、部屋を出た。
「彼女、綺麗だね」
「おいおい、止めてくれよ」
「どこかで見た顔だ」
「桃子ちゃんだろ」
「あぁ……」僕はあっちに残る妻のことを思い出した。
妻の桃子は生まれたときから僕の横にいた。家が隣でいつも遊んでいた。だから、無意識のうちに彼女のことが好きになっていた。彼女もそうだっただろう。小学校に上がってもそう言った関係が続いたが、中学校に入って恥ずかしくなり離れた。その間も僕は彼女を想っていた。高校に入ってすぐ、僕から話し掛けた。
「付き合って」
「うん」
向かいに座る彼は中学の同級生だ。だから詳しくは知らない。
「奥さん、心配か」僕は頷いた。「連れてくれば良かったのに」
「君は桃子のことが好きだったんだろ?」彼は少し動揺して笑った。不意を突かれた時に出る笑いである。「今の状況を鑑みれば、そう至るよ」
しばらくの沈黙の後、彼が口を開いた。
「今や人類八千億だ。桃子ちゃんは八千億分の一の存在だったよ」彼はグラスにビールを満たし、それを一気に飲み干した。「でもね、今の奥さんはそれを虚構にしてくれた」
「偉大だな」
「あぁ」
そう言葉を交わし、僕もビールを一気に飲み干した。
夜空に輝く星の一つを見上げた。片手には電話を持っている。
「桃子、元気か?」
「うん」桃子は少し寂しそうに答えた。
「僕は今君を見上げているよ」
「私も」
「明日には帰る」
「気を付けてね、酔い止め飲んでよ」
「分かった、じゃあ」
「じゃあね」
電話を切ってもまだ、一つの星を見上げていた。あれは三百光年離れた地球国だ。
遠路遥々 江坂 望秋 @higefusao_230
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