第10話 俺の幼馴染が連行される




 眠い。結局、夜中に俺の布団へ勝手に潜り込んできた椎名を別の布団に寝かせるまで時間が掛かった。

 ああでもないこうでもないとじゃれ合って、椎名にデコピンを三発も撃ち込んでしまった。夜中に無駄に騒いでしまったことを今更後悔していた。


 だがしかし、俺の平穏な安眠を得るためには仕方のないことだった。


 高校生にもなった男女がひとつの布団で寝るのはとても良くない。と一緒に寝ていると、俺の精神が間違いなく持たなくなる。

 あの時、左手で触った椎名の胸の感触が手に残っている。俺だって年頃の男なんだ。あんなのを触ったら、流石にどうかしそうだった。


 あの感触が、子供の頃からずっと一緒だった椎名が成長したんだと痛感されられた。


 中学の頃、成長した椎名の胸のことをクラスメイトが話していた。明らかに他の奴よりもデカいと話す会話をたまたま聞いて、俺は渾身のパンチを肩に放ってそいつを黙らせたこともあった。

 確かに同じ年の女の子と比べても、椎名の身体は大人っぽくなった。一体、何を食ったらあんなに成長するのか、大体俺と一緒の物を食べてるはずなのに……


 しかし女性らしい身体になっても、中身は変わってない。それを長年の付き合いで俺は実感している。


 どれだけ身体が成長しても、椎名は子供の頃と変わらない態度で俺に接して来る。それが悪いとは言わないが、少しくらいは恥じらいを持ってほしいと思って仕方ない。

 子供の頃は仲が良かったけど、中学生になると疎遠になったなんて幼馴染もいるらしい。子供から成長して男女を実感し、昔のように接するのが難しくなるなんて話を聞いたことがある。

 俺と椎名がそうなるとは微塵も思ってない。子供の頃から一緒にいた俺達を夫婦やらカップルとからかう奴は多かった。そういうのが疎遠になる理由なんだと理解するのに、たいして時間は掛からなかった。

 しかしそう言われても、椎名はそんな奴らに恥ずかしげもなく言い返してしまうんだ。




『うん! 私としょーくんはね、将来は絶対結婚するの!』




 からかうつもりが惚気られている。呆気に取られる同級生に満面な笑顔でそんな言葉を返す椎名を見て、俺もそういうことに対して自然と何も思わなくなった。

 ああ、コイツはを恥ずかしいと思わないんだなと。むしろ誇らしいとすら思っているらしい。そんな顔を見てば、俺も恥ずかしいと思うのが恥ずかしくなった。

 二人で交わした約束。それが世間で恥ずかしいものと分かっているが、俺達が恥ずかしがる理由なんてなかった。


 約束したのは俺達二人。周りなんて関係なかった。


 だからこそ、その約束を果たすまで俺は椎名に変な目を向けるつもりはなかった。

 俺にとって椎名は家族みたいなものだ。そんな目で見るのは、ずっと一緒に過ごしてきた彼女に失礼だと思う。身体が成長しただけで、そんな目を向けるなんてできなかった。


 しかしふとした時、昨日の夜のような場面で俺は心を乱される。

 椎名が昔と変わっていることを、触れる柔らかい肌が、触り心地の良い綺麗な黒髪が、鼻に通る匂いが、彼女が女性だと実感させられる。


 揺らぎそうになる心を抑え込むのも、割としんどい。

 結局、椎名を別の布団に寝かせても、俺が寝るまで時間が掛かったのは仕方ないことだった。




「ふぁ……」

「さっきからずっと欠伸してんな? 寝不足か?」

「ああ、ちょっと夜に色々あってな」




 学校の教室で、いつもより遅れて登校してきた浩一と世間話をしていると欠伸が出た。

 まだホームルームまで時間はある。ほんの少しでも寝ようか悩むところだった。

 ふと見れば、視界の隅にいる椎名も鞄から勉強道具を机にしまいながら欠伸をしていた。俺と同じく、アイツも眠いらしい。

 そこで教室に朝子が入ってきた。時間ギリギリに朝子が登校してくるなんて珍しい光景だった。

 当然のように朝子が椎名に挨拶を交わした後、彼女の視線が椎名の額に注がれていた。 




「ねぇ、椎名。そのおでこの絆創膏、どうしたの?」

「しょーくんにいじめられた」

「勝也。ちょっとこっちに座りなさい」




 冷え切った声で、朝子が自分の机を指差す。

 誤解しかない。朝子の背中で椎名がむくれていた。

 やっぱりアイツ、反省してないな。朝も普通に布団に潜り込んできた時点で、察するべきだった。

 俺は席を立つと、渋々と朝子のところへ向かった。




「……なんだよ?」

「あなたの罪は重いわ。即厳罰と言いたいけど、一応反論があれば聞くわ。言いなさい」




 朝子の鋭い視線が俺に向けられる。相変わらず小さい、確か150㎝の身長くらいしかないコイツだと俺を見上げるのも無理はなかった。

 椎名のことになると急に視野が狭くなるのは朝子の悪い癖だった。俺は溜息を吐きながら、彼女に耳を貸せとジェスチャーした。




「……なによ?」

「良いから、大声で言えない」




 俺の言葉に怪訝に眉を寄せながらも、朝子が耳を向ける。

 そして俺が昨日椎名が夜中に俺の布団に忍び込んできたことを伝えると、朝子の顔が呆れ果てた顔になっていた。

 普通はこういうことを友達に言わないものだが、朝子の場合は椎名が勝手にバラすのは分かり切っていた。

 俺が椎名を叱って、罰でデコピンを撃ったと知った朝子が大きく肩を落としていた。

 そして、朝子は背中にいた椎名に振り返った。




「椎名。ちょっと私と廊下に出るわよ」

「え……? なんであーちゃん怒っているの?」




 俺から見て、朝子の顔は見えない。

 しかし椎名が後ずさっているのを見る限り、怖い顔をしてることだけは分かった。




「……出・る・わ・よ!」

「は……はいぃ……」




 朝子の圧に負けて、椎名が肩を落として教室から出て行く。

 去り際に助けてと目で訴えてくるが、俺は首を横に振るだけだった。

 きっと朝子が説教するんだろう。言っても椎名が変わらないことは彼女も分かっているが、言わないと気が済まないと見える。

 それについて、俺からは何も言うつもりはなかった。是非とも、椎名に恥じらいを教えて欲しいと心の中で朝子にエールを送った。




「お前も大変だな」

「言うな」




 浩一も察したのかそう言ってくれたが、顔が楽しそうに笑っていた。

 俺が席に戻ると、浩一も空いている前の席に座っていた。本来の席の生徒に軽く声を掛けている辺り、気配りのある男だった。




「ところで今日の椎名との勝負はどうだった?」

「変わらない。今日も俺の勝ち」

「変わらないかぁ……で、夜の方は?」

「それも俺が勝った」




 朝の恒例になっているじゃんけん、そして夜の勝負については浩一も知っている。

 長い付き合いもあって、昔から毎日続けている勝負のことは浩一も知っていた。

 俺は昨日のチェスのことを思い出しながら、続けて答えた。




「椎名の強さ、お前知らないだろ? 普通に強くてビビるぞ?」

「マジ……? それにしても意外だよな。アイツがそんなにチェスできるなんて、俺達以外知らないんだろ?」

「基本、俺としかやらないからな。学校の奴とチェスの話なんてするか?」

「しねぇわ」




 俺もそう思う。今まで学校でその手の話をした記憶なんてなかった。




「あ、そう言えば教室に来る前に他の奴から聞いたな」

「……唐突になんだよ?」




 藪から棒に言い出した浩一に、俺は眉を寄せた。




「なんか転校生来るらしいぞ?」

「はぁ? ちょっと前に入学式があったこんな時期に? なんでお前がそんなこと知ってんだよ?」

「たまたま先生が話してるのを聞いた奴が居たんだってよ」

「……それ誰から聞いたんだよ?」

「中学の頃に部活一緒だった奴」




 俺と違って浩一って人脈あるんだよな。

 情報の信頼度が低いが、まぁ本当なら随分と珍しいと思う話だった。




「それがさっきの話とどう繋がるんだよ?」

「詳しく知らないけど、その転校生がめっちゃチェス強い奴らしい」

「すっげーピンポイントな情報だな、それ。急に嘘くさくなったわ」

「聞いた話なんだから仕方ないだろ」




 どうやってたらそんな情報だけ漏れるか分からなかった。

 ありきたりなのは格好良いとか可愛いとか、そういう容姿のことだろう。なんでそんな微妙な情報しか知らなんだよ。


 そんな話をしていると、チャイムが鳴った。


 ホームルームが始まる合図だった。慌てて教室に生徒達が戻っていく。

 教室の外に出ていた椎名と朝子も戻って来る。心なしか椎名の顔が疲れ切っているのは気のせいではないだろう。

 浩一も「またな」と言って自分の席に戻っていた。

 そうしてチャイムがなって少し経つと、すぐに先生が教室に来ていた。

 また特に連絡事項もないホームルームが始まるのかと思った時だった。




「全員、おはよう。急で悪いが今日、このクラスに新しく転校生が来ることになった」




 先生のその一言で、クラスが騒めいた。

 その言葉に、俺と浩一が目を合わせて驚いた。まさか本当だったのか。

 教室の中がその転校生が男か女か、格好良いか可愛いかの議論をしているのを先生が手を叩いて静かにさせていた。




「静かに、ホームルームも時間が少ないんだ。自己紹介してもらうから来てもらうぞ――遠野、入って来い」




 先生がそう言うと、教室のドアが開かれた。

 そして俺達の教室に、一人の生徒が入ってきた。

 制服が用意できなかったのか、青いブレザーの制服を着ていた。スカートの時点で、その転校生が女だと教室の全員が察した。


 教室に入り、教壇まで歩くその姿に、周りの生徒達から感動に近い声が漏れたのが聞こえた。


 歩く姿勢が物凄く良い、綺麗な歩き方だった。それだけで育ちが良いことが分かる。制服からでも分かるスラリとした身体が、彼女のスタイルの良さを見せつけられる。

 綺麗な銀色の髪をしたボブヘアーを揺らして、外国の血があるのか日本人離れした綺麗な容姿の女が教壇に立っていた。




「あいつ……?」




 入ってきたその転校生を、俺は見たことがあった。

 教壇に立ったその転校生が教室の全員を見渡すと、優しそうな笑顔を見せていた。




「初めまして、皆様。私は遠野栞子とおのしおりこと申します。急な転校で戸惑われると思いますが、何卒よろしくお願いします」




 そう言って、ゆっくりと転校生が一礼する。

 名前を聞いて、俺は思い出した。

 アイツ、昨日のニュースで見た女だった。









――――――――――――――――――――



この作品の続きが気になる、面白そうと思った方、レビュー・フォロー・応援などしていただけると嬉しくて執筆が頑張れますので、よければお願いします。



――――――――――――――――――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る