第9話 俺の幼馴染が懇願する



 また、俺は夢を見ていた。

 それはまったく俺の記憶にない、不思議な夢だった。


 子供の俺の目の前で、泣いている女の子がいた。


 俯いて溢れる涙を両手で拭い、声を必死に殺して、その子は泣いていた。

 泣くその子を前に、子供の俺が困り果てている。


 その光景に、俺は身に覚えがなかった。


 そもそも泣いている少女が誰なのか分からなかった。思い出そうとしても、知らない人のことなど思い出せる訳もない。


 唯一断言できることがあるとすれば、その子が椎名ではないことだけだった。


 長い髪に隠れて、その子の顔は見えない。しかし椎名の黒髪とは違い、その子の髪はだった。そんな色をした髪の知り合いなんて、俺は知らない。

 そんな子を、子供の俺はただ見つめているだけだった。



『――――』



 その子が泣きながら何かを言ったらしい。彼女の口元が動いている。

 だけど、その内容が分からなかった。不自然にその子の声が全然聞こえなかった。




『――――』

『――!』




 そして子供の俺が何かを伝えると、その子は更に泣いていた。声を我慢することをやめたのか、叫ぶように泣き喚く。

 まったく状況が分からなかった。これは本当に子供の頃の記憶なのか、それとも夢の中で作られただけのモノなのか……

 困る子供の俺に、泣きながらその子が何かを投げつけた。咄嗟に子供の俺が腕で防ぎ、床にそれが落ちる。

 何度もその子に投げられて床に落ちていくを俺は知っていた。

 白と黒の玩具。色違いの玩具を、俺は知っていた。


 それはチェスの駒だった。


 手で届く範囲の駒を投げ続け、そして投げる駒が遂に無くなると、その子は子供の俺を突き飛ばして走り去っていた。

 尻もちをついた子供の俺は、走り去るその子を見ているだけだった。

 呆然とする俺に、背を向けたままその子は走る。しかし突如、彼女は立ち止まっていた。

 何かを言おうとしたのか、その子が振り向く。

 長い銀髪を揺らして、今まで見えなかったその顔が――――





「……あ?」





 ふと、目が覚めた。それはもう、綺麗に。

 僅かながらの眠気を感じながら、俺は暗い部屋の天井を見つめていた。

 たまに夜中に起きることは誰でもあるだろう。俺だって、夜中に目が覚めることくらいある。

 見ていた夢なんてすぐに忘れるものだ。しかし不思議と、今見ていた夢のことはしっかりと覚えていた。

 身に覚えのない子供の頃らしき夢。顔が分からない銀髪の女の子。そして――床に散らばるチェスの駒。

 思い返しても俺の記憶に、あんな場面はないはずだった。しばらく考えても、思い出せそうになかった。

 もしあの子の振り返った時、見えなかった彼女の顔を見たら分かったのだろうか?




「え……めっちゃ気になるんだけど」




 思わず、俺は呟いた。

 もう見れない夢のことを考えると、気になって仕方なかった。

 もしかしたら二度寝すれば続きを見れるかもしれない。浩一もエロい夢を見た時、続きが見たくて二度寝して遅刻したなんて言っていた。


 なら早速二度寝しよう。しかし何故か寒かった。


 いつの間にか寝ている間に布団を蹴り飛ばしたらしい。寝る前に掛けていた布団がどこかへ行っていた。

 寝相は悪い方じゃないのに、無造作に手探りで俺が布団を探した時だった。


 むにゅっと、大きいを俺の左手が掴んだ。

 俺の布団、こんな柔らかかったっけ?


 掴んだそれの感触を確かめながら、俺は手の方に顔を向けた。




「ん……むぅ……!」




 色っぽい声を漏らす椎名が、何故か目の前にいた。

 シャツに短パンという薄着の寝間着。見覚えがある服だと思ったら、普通に俺の服だった。

 そして俺の左手には、椎名の胸があった。これでもかと鷲掴みにしている光景は、まるで夢だと思いたかった。

 夢の中で夢を見るなんて小説みたいなことあるんだな。自然と俺の左手は動いていた。




「っ……!」




 また椎名から色っぽい声が聞こえた。もぞもぞと身動ぎしている。

 空いている右手で、即座に俺が自分の頬を殴ると普通に痛かった。

 なるほど。俺は現状を確認すると、ゆっくりと左手を椎名の胸から離した。

 しかし椎名が離さないと俺の左手を掴んでくる。それを見た俺は、真顔で彼女を見つめていた。




「……起きてるだろ?」

「すぅ……すぅ……」




 聞こえる規則正しい寝息。しかし暗くても目が慣れてきて、椎名の顔が見えた。

 真っ赤だった。暗がりでも分かるくらい、顔がハッキリと紅く染まっていた。




「もう一度言うぞ? 起きてるな?」

「すぅ……すぅ……」




 肌寒いと言いたげに身動きして、椎名が俺に抱き着いてくる。

 椎名の身体が俺に密着して、左半身に柔らかい感触が襲い掛かる。

 しかし俺は寝ている椎名に微笑むと、ゆっくりと右手を椎名の額へ近づけた。

 親指の先に中指の第一関節を添える。そして少しずつ中指に力を込めていき、限界まで力を込めた瞬間――俺の中指が椎名の額で弾けた。

 バチンと鈍い音が部屋に響いた。




「ぬぉぉぉぉ……!」




 俺のベッドの上で、呻く椎名が額を押さえて悶絶していた。

 額に走る痛みにのたうち回る椎名に、俺は二発目を放とうと右手を近づける。

 だが椎名はそれを拒むように悶えながら俺に背を向けていた。

 背を向ける椎名の肩を掴んで無理矢理振り向かせようとするが、本気で嫌がっているらしく全力で拒んでいた。




「起きてるな? 起きてるよな?」

「すぅ! すぅ! すーっ!」

「お前、寝てる時はそんな寝息だったかぁ?」




 痛みを僅かでも抑えるには、高速で呼吸するのが良いらしい。

 まるで過呼吸のように寝息ですと呼吸する椎名だったが、力で俺に勝てるわけがない。

 無理矢理にでも椎名を振り向かせて、俺が彼女の額に右手を添えようとする。

 しかし椎名はさせないと顔を両手で隠していた。

 無駄な抵抗だった。俺は拒む椎名の手を無理矢理引き剥がした。




「うう……ごめんなさぃ……痛いのいやぁ……!」




 涙目で懇願する椎名に、俺はピクリと身体が止まった。

 顔を真っ赤にして、懇願する椎名。そして強引に彼女の手を抑える俺。

 絵面的には、完全に犯罪者だろう。

 正直、椎名の今の顔は心を騒がせるモノがある。しかしそれでも、俺はやらなければならなかった。




「嫌だよぁ? 俺も分かるぞ?」

「なら、もうやめよ? もう一緒に寝よ?」

「俺、帰れって言ったよなぁ?」

「だって一緒に寝たかったんだもん……」




 反省してないらしい。

 俺は黙って椎名の額に右手を添えた。




「や、やめて……ちゃんと別の布団で寝るから……もう痛いのは……!」




 震える椎名に、俺は微笑んだ。

 何かを勘違いしたのか、椎名は安堵した表情を浮かべる。

 しかし俺は親指に中指を添えていた。




「悪い子には、ちゃんと教えないとな?」

「え……それって――」




 バチン、と鈍い音が響いた。

 椎名の悲痛な叫びが、俺の部屋に響いた。








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