第8話 俺の幼馴染は悔しがる




 笑顔の似合う女の子が真剣な顔になると、その雰囲気はガラリと変わる。

 楽しそうに頬を緩めて、満面の笑顔で幸せそうに笑う彼女の顔が俺は昔から好きだった。

 見ていると不思議と自分も楽しくなる。他の人間も笑顔にできる稀有な人間だと心から思っていた。

 そんな表情を見せている椎名が、今は全く別人の顔をしていた。


 リビングのテーブル。俺との間に置かれたチェスの盤面を、椎名はただ見つめていた。


 俺がコトッと音を鳴らして駒を動かせば、椎名もゆっくりと駒を動かす。

 次に俺が駒を動かすまでの時間は自由なのに、椎名は俺に視線を向けることもなく、ただまっすぐに目の前の盤面を見つめていた。

 その意識の全てが盤面に向けられているのは、一目瞭然だった。他の情報は一切要らないと、態度が表していた。盤面に向ける集中力が、尋常じゃなかった。

 普段と全く雰囲気が違う。いつもの緩み切った表情じゃなく、真剣さを肌に感じる彼女の顔は、あまりにも――綺麗だった。

 俺の母さんに10歳の頃にチェスを教わって一年経った辺りから、椎名は俺とチェスで勝負する時だけ、こんな目をするようになった。 

 かなり昔に聞いた話だと、母さんも俺との勝負の時だけ見せる椎名の集中力にかなり驚いたらしい。

 俺も初めて見た時は、心底驚いた。そして、ただ見惚れていた。


 綺麗な目で、盤面を見つめて、駒を肌白い手が動かす。


 その一連の動きが、とても綺麗だった。ただ俺に勝つ為に、勝利への道を探すその姿に感動すらした。



 またコトッと音を立てて、俺が駒を動かす。そしてまた、椎名が駒を動かした。



 昔から何度も見ている表情なのに、今でも気を抜くと見惚れてしまう。椎名のその目が、目の前の盤面だけにしか向けられないことに……少しだけ嫉妬した。

 だが彼女がそれを向けるのは、俺と勝負するチェスだけ。そこにほんの少しの優越感を覚えながら、俺は駒を動かした。

 盤面の進行は終盤に差し掛かっている。駒の動かし方を間違えれば、戦況がすぐに変わってしまう場面になっていた。



 俺も簡単に負けるつもりなんてない。勝負で親以外に負けることなど、絶対に許されない。



 そうやって育ってきた。負ければ、全てが終わる。

 その意識を、俺は子供の頃から植え付けられた。

 椎名に負けたいと意識が少しだけ思っても、絶対に勝つと身体が訴えている。意識とは真逆に、無意識に身体が勝つ為に駒を動かしている。

 絶対に負けたくない。それは新藤の家訓なのか、俺の極度の負けず嫌いだからなのか……多分、どっちもだろう。




「むっ……!」




 盤面が進んで終盤になると、椎名の表情が歪んだ。

 俺がチラリと椎名の顔を見るが、彼女はずっと盤面に集中していた。

 そして椎名が駒を動かす。正直、そこら辺のチェスプレイヤーよりも手強い。下手に間違えたら、狩られると理解させられる。

 しかし椎名の考えることは予想できた。俺が駒を動かして、そこから数回動かした時――椎名の肩が力なく落ちた。




「くぅ……ダメかぁ~」




 今までの真剣さが消えて、いつもの椎名に戻っていた。

 それが意味するのは、椎名が自分の負けを認めたということだった。

 椎名が負けを認めたのに気が抜けて、俺も疲れたと深い息を吐き出した。




「お前……本当に強くなったよな」

「全然だよ。私、ずっと考えたもん……これだとまだまだしょーくんに勝てなさそう」

「いやいや、ちょっと盤面戻すぞ? ここ、かなりきつかったからな?」

「え? そこ? ここじゃないの?」

「そこもだけど、さっきのが選択肢が多くて悩んだ」




 さっきのチェスの勝負内容の感想を互いに駒を動かし合って話し合う。

 まさか椎名とチェスの試合の感想を言い合う日が来るとは昔は思わなかったなぁ……過去の俺に伝えても到底信じてくれなさそうだ。




「あー! 今日も勝てなかった! くやしいっ!」

「じゃんけんで負けても悔しがらないのにチェスだと悔しがるよな」

「私が勝負の運がないの知ってるでしょ! 運とか関係ないチェスだと悔しいの!」




 ソファに寝ろ込んだまま、椎名が「もぉ~!」と足をバタバタと動かして悔しがっていた。


 というか、スカートでそういうことするなよ。


 普通に椎名の下着が見えていた。結構派手な下着付けてんのな……赤とかえぐい、普通に目に毒だった。




「暴れんなよ。パンツ見えてんぞ」

「これは昔から! しょーくんがいつでも襲って来ても良いようにしてるの! 絶対襲わないの知ってるけど!」

「えぇ……知りたくなった」




 長年知らなかった事実を雑に知らされた瞬間だった。

 そんな気持ちで俺の家に来るなよ。椎名を襲う気なんて微塵もなかった。

 彼女に魅力がないからとかじゃなく、普通にそういうのは交際するか結婚とかしてからだろ。




「あー! 悔しい! もう一回!」




 まるでわがままを言う子供みたいだった。

 再戦を望む椎名だったが、時計を見た俺は首を横に振っていた。




「今日はもう駄目だ。もう十時過ぎてんぞ。そろそろ帰って風呂入って宿題して寝ろ」

「……今日泊まっても良い? それならもう一回できるよ?」

「駄目に決まってんだろ。週末ならまだしも明日も学校だからな?」




 泊まることにはもう何も言わない。俺と椎名の両親達も、年頃の男女を誰も居ない家で二人だけで寝るのに文句すらいわないのは、本気でどうかと思っている。

 以前、父さんと椎名の父親に揃って肩を強く掴まれて「子供は作るなよ」と真顔で言われた時は、本気で二人にビンタしそうになった。




「じゃあ週末なら良い?」

「それは好きにしろ。ちゃんと家に言っとけよ」

「はーい。じゃあそうしまーす」




 不満そうに返事をして、椎名がソファから立ち上がる。乱れた衣服をさっと直して、彼女は口を尖らせて玄関へと向かっていた。




「家まで送るぞ?」

「毎回言わなくても大丈夫だよ! すぐそこだから平気!」

「それでもなぁ」

「心配性なんだから~」




 にひひと椎名が笑う。

 お前だから心配になるんだよ。普段抜けてるから家まで近くても変な奴に連れて行かれないか心配になる。

 しかし俺が何度も昔から言っても頑なに断られて怒るから、今ではあまり強く言えなかった。

 椎名が玄関に向かう背中を追い掛けて、彼女が玄関から出て行く姿を見守る。

 そして玄関を出て行く間際、ふと椎名が振り向いた。




「じゃあしょーくん! !」

「ああ、また明日な」

「ばいばーい!」




 そう言って、椎名が帰って行った。

 玄関のドアが閉まり椎名が出て行ったのを確認すると、俺は背伸びしながら風呂場に向かった。

 もう面倒だから今日はシャワーで良いか。あとは宿題して、買ってまだ読んでない本でも読みながら寝よう。

 この後の行動を考えながら、何気なくさっきの椎名の言葉が気になった。




――




 まさかアイツ、夜中に戻って来る気じゃないだろうな。

 そんな不安が脳裏を過ぎったが、俺は気のせいかと自然と鼻で笑っていた。








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