第6話 俺の幼馴染は見惚れていた



 パチン、と心地良い音が響いた。

 そしてまた、同じ音が響く。

 繰り返し鳴り響く音と一緒に、盤面ばんめんが動く。

 音と共にこまが動き、盤面の上で繰り広げられている静かな戦争が進んでいく。

 互いに20枚の駒を使い、9×9の81マスの小さな戦場で敵陣を詰ませる為に、俺は自陣の駒を動かす。

 将棋。それは日本のボードゲームで、プロも存在する奥深いゲームだ。

 日本人の大体の人間は、このゲームのルールを知っているだろう。

 ある程度の単純なルールと駒の動かし方を覚えれば誰でもできる遊びだが、勝負の世界になれば別次元に難しくなるのはチェスと何も変わらない。

 勝つ条件となる相手の王将の駒が必ず取られる盤面を作る。それを目指す為に、俺は駒を動かしていた。

 運が絡まない将棋などの対戦型のボードゲームは可能か不可能かは別として、理論上相手を詰ませる最善手を打ち続ければ必然的に相手は負ける。

 無限にある選択肢の中から最善手を選び続けられる人間なんていない。それはパソコンなどの機械を使っても時間の掛かる作業だ。

 しかしそれでも、可能な限りそれに近づくことはできる。それが将棋の実力として、大きな差が生まれる。




「うっ……」




 互いに駒を動かして約15分後、突如相手の手が止まった。

 校舎から別に建てられた部室棟、将棋部の部室。俺はそこで勝負を挑んできた男子生徒と将棋盤を挟んで対峙していた。

 そして俺達二人を囲うように、勝負を聞きつけた生徒達がその将棋盤を見つめていた。


 さて、俺の対面に座るこの男は見えているだろうか?


 互いに最初の盤面から多少の駒が減っているが、作られた現状の盤面に自分の負ける可能性があることを。

 もし勝てる可能性が見えているのなら、それはを動かすしかない。それができない時点で、この男は負ける。そういう盤面になっていた。




「……ここだっ!」




 数分くらいの長考の後、その男子生徒が駒を動かした。

 即座に俺は駒を動かして、相手の番にした。

 今の俺の動かした駒で、この勝負で相手の勝てる可能性が無くなった。ここから俺が間違えない限り、この男はもう俺に勝てなくなった瞬間だった。

 周りにいた将棋部らしい生徒の一人が「あっ……」と声を漏らす。多分、気付いたんだろう。

 しばらく盤面を見つめていた男子生徒も、声を殺して目を大きくしていた。

 不安そうに俺を見つめてくるが、俺はただまっすぐに将棋盤を見つめる。

 適当などではなく、分かっていて駒を動かしていると態度で示す。

 そんな俺の態度を見て、対面に座る男子生徒の顔が歪んだ。

 まるで認めたくないと相手が駒を動かしたが、即座に俺も駒を動かす。

 そして数回駒を動かして、目の前に座る男子生徒は遂に認めたんだろう。悔しそうに顔を歪めながら、頭を僅かに下げていた。




「……負けました」

「ありがとうございました」




 負けを認めた男子生徒に、俺も頭を下げて告げる。最低限の将棋の礼儀は、俺も知っていた。

 将棋のルールに詳しくなくても、負けを認めた時点で勝敗は分かる。今まで静かだった観戦していた生徒達が一斉に騒がしくなった。




「なんだよ、あれだけ大口叩いて新藤に勝てないのかよ」

「いや、明らかに新藤強かったぞ」

「割とさっくり終わるんだね、将棋って」




 周りの会話を聞きながら、俺は鞄を持って席を立つ。もうこの場にいる必要はなかった。




「約束だ。もう俺に二度と挑んでくるなよ」




 去り際に俺がそう告げると、下を向いたまま男子生徒が静かに頷いていた。




「なんでここまで強いんだよ……」




 しかし俺が立ち去ろうとした時、その男から絞り出すような声が聞こえた。

 俺が顔を少し動かして見れば、歯を食いしばって悔しそうにしている男子生徒の顔が見えた。

 見覚えのある顔。それは俺が両親にだった。




「そういう顔がしたくないから、強くなっただけだ」




 答えなんて、それしかなかった。

 俺はそう言って、将棋部から出て行った。




「どうだった? アイツは?」




 そして部室棟を出て、校門まで歩いていると浩一がふと訊いてきた。

 俺が将棋の勝負をしている時、浩一達も当然のように一緒に将棋部に来ていた。

 俺の後ろから隣まで来た浩一に、俺はさっきの勝負を思い返しながら答えた。




「まぁ……思ってたよりは強かった。少し手こずった」

「そんな風に全然見えなかったぞ?」

「そう見えただけだ。考える時間は多かったからな」

「アイツの手がめっちゃ止まってたからか?」

「そういうことだ」




 俺の答えに納得したのか、浩一が頷く。

 先程の将棋で、対戦した男子生徒は勝負が後半になればなるほど、その手を止めていた。どうすれば良いかと、必死に考えていた。

 相手が考えるのに時間を使えば、俺にも同じく考える時間はあった。相手が駒をどう動かしてくるか予想し、対応する手を考えて、その通りに駒を動かしただけだった。

 相手からすれば自分が駒を動かして、俺にすぐ駒を動かされれば動揺もするだろう。

 こと将棋のようなゲームでは、メンタルが崩れると自分の考えに自信がなくなる。それにより本来の実力が出せなくなることも多い。

 俺からすれば、多少強かったが勝手に相手が自滅した。そういう勝負だった。




「将棋なんて頭の使う勝負を勝也に挑むからよ。見てて呆れたわ」

「え? お前、将棋できるのかよ?」

「おじいちゃんとたまにやるの。だから馬鹿な浩一と違って、少しくらい知ってるわ。あの盤面、中盤の時点で私なら負けを認める将棋だった」




 意外と朝子は将棋ができたらしい。初めて知った。

 まぁ俺達で将棋の話なんてしないから、知らなくても不思議じゃなかった。




「なら今度、俺と指すか?」

「絶対に遠慮するわ。私、負ける勝負はしない主義なの」

「残念。朝子の悔しがる顔が見たかったのに」

「それなら勝てると思った時、挑ませてもらうことにするわ。アンタの悔しがる顔を見ながら飲むお茶は格別そうな気がするもの」




 小馬鹿にした顔で微笑む朝子に、俺は鼻で笑って返す。

 こう言うってことは自分が勝てると思った時、朝子は本当に挑んでくるんだろう。

 今まで俺は朝子と勝ち負けの勝負をしたことがあまりない。

 割とその時が来るのが少し楽しみになった。頭が良い朝子だと、かなり手ごわそうだ。負けるつもりなんて微塵もないけど。




「確か椎名も将棋できるわよね?」

「へっ? あ〜、うん、できるよ?」




 俺と話をしていた朝子が、何気なく椎名にそう訊いていた。

 朝子の言う通り、椎名も実は将棋ができる。俺に勝てる方法がないかと運が絡まない勝負をする為に、椎名は将棋を覚えた。

 子供の頃からたまにやっているだけあって、意外と普通に椎名は強くなっている。と言っても、彼女が本気で俺に挑んでくるボードゲームはが……




「それならさっきの将棋、椎名なら勝てる見込みはあったかしら?」




 そう言って、椎名が不敵な笑みを浮かべた。

 俺も少し気になった。椎名ならさっきの将棋をどう判断するか。




「あー、えっと……それが……」




 朝子の言葉に、椎名が言い淀む。

 俺達が怪訝に眉を寄せていると、椎名は誤魔化すように笑っていた。




「どうしたの? 早く言いなさいよ?」

「なんと言いますか……」

「なによ?」

「真剣なしょーくんの横顔に見惚れてて、将棋盤見てなかったの」

「アンタねぇ……」

「だってしょーくんの顔、格好良かったんだもん」




 恥ずかしそうに「えへへ~」と頬に手を当てる椎名を見て、朝子は呆れたのか半目で苦笑しながら彼女を見つめていた。

 俺も朝子につられて苦笑いする。まさか将棋をしている間、ずっと椎名が俺の顔を見ていたとは思わなかった。

 だけど椎名なら仕方ないかと納得できる辺り、俺も椎名と一緒だなと思った。

 俺も椎名と家で将棋とかをしている時、普段見せない真剣な彼女の顔に見惚れてしまうことがあった。




「だけどいつものしょーくんも格好良いよ!」

「はいはい。ありがとう」

「あー! しょーくんが冷たい!」




 またいつものように抱きついてくる椎名に、俺は呆れた笑みを浮かべた。




「みんな将棋できんなら、俺も覚えようかな」

「やめときなさい。頭が悪いアンタには無理よ」

「そう言うなよ。俺も勝也みたいに将棋できたら恰好良いじゃん?」

「頭で勝也に勝とうとしない。読み合いのゲームで勝也に勝つのは並大抵の人間じゃ無理よ」




 俺も朝子に同意だった。浩一はその手のゲームは弱そうだ。

 どちらかというと、浩一は身体を動かす方が似合ってる。




「そうだ! 今日、帰りにちょっと寄り道しない?」

「どこ行くんだよ?」

「プリクラ撮りたい! しょーくんが勝った記念に!」

「いや、別に撮らなくて良くない?」

「行きたい! あーちゃんも浩一くんも良いでしょ?」




 椎名が訊けば、二人は渋々と頷いていた。

 多数決なら、俺は少数派になる。

 つまり、結果は決まっていた。

 俺の腕に抱きつきながら身体を引っ張る椎名に引かれながら、俺は渋々と頷いた。







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