第1話 俺の幼馴染には恥じらいがない




 ふと、目が覚めた。枕の横に置いていたスマホを見れば、まだアラームが鳴る前だった。

 もう少し寝ようかとも思ったが、思いのほか目がハッキリと覚めてしまったから……二度寝はもうできなさそうだ。

 随分と懐かしい夢を見ていた気がする。あれは確か、子供の頃の夢だった。

 子供の頃に交わした約束なんて、時間が経てば忘れるものだ。子供から大人になって、冗談交じりに笑い合うような話だ。

 あんな約束を律儀に守る幼馴染なんて、普通いるわけがない。そんなのは漫画の世界くらいの存在だろう。

 思い出すだけで笑えてくる。そんな素直な幼馴染なんて、天然記念物に認定される。普通なら、誰もがそう思うだろう。

 そんな普通なんて、ゴミ箱に捨ててやる。もしそんなことを強要する奴が居たら、二度と同じことが言えなくなるようにガムテープで口を塞ぐかもしれない。


 朝っぱらから何を考えてるんだか……さて、学校に行く準備でもしようか。


 そう思って、俺が起き上がろうとした時だった。




「……ん?」




 身体が妙に重かった。布団から出ようとしたのに、不思議と身体が起き上がらなかった。

 まるで身体に何かが乗っかったように重く、腹にとても柔らかい感触があった。

 俺がなにげなく布団に視線を向けると、不自然に布団が盛り上がっていた。

 俺の布団の中に――何かがいた。




「はぁ……」




 その光景を見て、俺は深い溜息を吐いていた。

 珍しい。いつもならもう少し遅い時間に来るはずなのに。

 俺はそう思いながら、勢いよく布団をめくり上げた。




「うーん……さむぃ~」




 俺の布団の中にいたのは、薄着の女の子だった。

 寝顔でも分かる可愛い容姿と乱れた綺麗な長い髪。薄着の所為せいで見える白くて綺麗な肌と、女性らしい体つき。

 腹部に感じる今年で16歳とは思えないほと実った柔らかい感触に、俺は反射的に顔を強張らせた。

 少し前までぺったんこだったのに、ここ数年で随分と育ったもんだ。男子高校生の俺には、よろしくない刺激だった。

 しかしそうは思っても、慣れれば少しくらい耐性はつく。長年の経験が、思春期の俺に僅かながらに抗う力を与えていた。

 深い深呼吸の後、俺は抱きついている女の子に声を掛けることにした。




「おい……なんでお前が俺の布団に入ってる?」

「う~ん、だって一緒に寝たかったんだもん~」 




 そう言って、もじもじと身動きする女の子。

 温かいモノを求めて、その女の子は俺の身体に強く抱き着いていた。

 俺の腹に柔らかい感触が強くなる。何かが俺の腹でむにゅりと押しつぶれた。

 あ、駄目だこれ。俺はそう思った瞬間、右手を振り上げた。




「勝手に入って来るな、このバカ椎名しいな




 まだ寝ている女の子――成瀬椎名なるせしいなに、俺は彼女の頭を少し強めに叩いていた。

 パチンと乾いた音が、俺の部屋に響いた。




「あだっ……! なにっ!? まだアラームなってないのに……!」




 俺に頭を叩かれて目が覚めたのか、目を擦りながら椎名は身体を起き上がらせた。

 そのままベッドに座り込み、ぶかぶかの大きいシャツを着ている所為せいで両肩がだらしなく出ていた。そこから見える実ったふたつの双丘は、やはり俺の目には毒だった。思わず、それから俺はそっと目を逸らしていた。




「良いから早く起きろ」

「む~、起こすなら叩かなくてもいいじゃん」

「勝手に人の布団に入る奴がいるか! それも男の布団に!」

「だって一緒に寝たかったんだもん……!」

「もんって……もう子供じゃないんだぞ? お前、もう16歳だからな?」




 なるべく椎名の身体を見ないようにして、俺は頭を抱えたくなった。

 こういう時、椎名は俺に対して素肌を隠そうとしない。それは長年の付き合いで分かっていた。チラリと横目で見ても、俺から見えている肌を隠す素振りなんてまったくなかった。

 まるで自宅のような安心感とでも言える態度だった。いや、コイツにとって俺の家は自宅のようなものか。

 呑気に欠伸なんてしながら、椎名がうーんと身体を伸ばす。それにより強調される胸部、相変わらず恥じらいがなかった。




「私としょーくんの仲なんだよ? 今更、気にするの?」

「俺が! 気にするの!」




 椎名の身体を見ないように背を向けて、俺は叫んだ。

 しかし後ろにいる椎名から小さな笑い声が聞こえた途端、背中に強い衝撃が走った。

 倒れないようにどうにか堪えて俺が横を向くと、そこには椎名の顔があった。




「むむ? しょーくん? もしかして私のこと、意識してるの?」




 俺の背中全体に、柔らかい椎名の身体がのしかかる。

 背中の一点に再び訪れた柔らかい感触。そして更に、があった。


 あ、もしかしてコイツ――下着すら付けてないの?

 

 そう思った途端、俺は慌てて椎名を引き剝がして離れていた。

 そして振り返れば、名残惜しそうに椎名が俺に両手を向けていた。



「あ~! しょーくんが離れたっ! もっとぎゅってしたかったのに!」

「変なことするな! いい加減にお前も自分が女だって自覚しろ!」

「もしかして……私のこと女の子って意識してくれてるの?」

「してるから言ってんの! 言わせんな!」

「えへへ……そっかぁ~、可愛い奴め」




 本当に相変わらずなにも気にしていないのか、椎名はいつも通りの態度だった。

 人の気も知らないで……眉を寄せながら、俺は椎名を睨んでいた。




「そんな恰好してないで早く着替えろ! 女の子が男の前でそんな恰好するな!」

「えー、別に気にしてないのに……」

「だ・か・ら! 俺が! 気にするの!」




 俺がそう叫ぶと、ようやく彼女は納得したのか渋々と準備を始めていた。

 おもむろにぶかぶかのシャツの裾を椎名が掴み、そして――




「待て待て待てっ! 俺の前で堂々と脱ぐなッ!」

「え、だって準備しろって」

「お前下着付けてないから見えるだろ!」

「よく一緒にお風呂入った仲じゃん? それに最近、一緒にお風呂も入ってくれないし……」

「それ子供の頃の話な⁉︎ いつも一緒に入ってるような言い方するな!」

「私、しょーくんと一緒にお風呂入りたいのに……」

「付き合ってもいないのに一緒に風呂なんて入るか!」

「あ、付き合ったら入りたいんだ?」

「あ……」




 失言だった。思わず、顔に手を当てていた。

 顔が熱い。多分、赤くなっているんだろう。男の赤面なんて需要あるわけない。

 そんな俺に、くすくすと椎名が笑っていた

 余裕を見せる椎名の態度に、憎いと俺は椎名を睨みつける。しかし彼女はそんな俺を気にもせず、嬉しそうに頬を緩めていた。

 そして自然な素振りで椎名が拳を作ると、唐突にを俺に向けていた。

 それは――昔から何度も見た光景だった。




「じゃあ、今日も……しよ?」




 それは、いつもの合図だった。

 子供の頃から変わらない太陽のような椎名の笑顔を見ながら、俺は肩を落とした。

 そして椎名と同じように、俺も拳を彼女に向けていた。

 二人が拳を突き合わせる時、それは――勝負の合図だった。




「行くよ? しょーくん?」

「ご自由に」




 俺の承諾に、椎名が笑う。そして彼女は言った。

 それは誰でも知ってる勝負を始める言葉だった。




「じゃん、けん――」




 その掛け声と共に、俺と椎名が拳を振り上げる。

 俺はいつも通り、椎名が振り上げた拳を一瞥した。

 椎名の振り上げた拳は、パーに変わっていた。




「――ぽん!」




 俺と椎名が、拳を振り下げる。

 椎名が出した手は、パーだった。対して、俺の出した手はチョキ。

 パーとチョキの勝敗は、分かり切っていた。




「あー、また負けちゃった」




 どこか悲しそうに、それでも結果が分かっていたと椎名がにこにこと笑う。

 いつも通りの結果に、俺は恒例になった指摘をすることにした。




「また、出てたぞ」

「やっぱり? 全然治らないんだよねぇ、これ」

「……早く治せよ」

「努力はしてるよ?」

「してたらもう付き合ってるっての」

「手厳しいことを言いますなぁ」




 気づけば、あの日の約束から十年近く経っている。

 それなのに俺の幼馴染の成瀬椎名は、一度もジャンケンで俺に勝ったことはなかった。

 それ故に、俺と椎名は今だ恋人関係にすらなっていなかった。

 



「もうわざと負けてくれても良いんだよ?」

「それはできない。我が家の家訓だ」

「知ってる。だから私も諦めないんだよ」





 それには、深い理由がある。

 俺――新藤勝弥しんどうしょうやの家には、代々守られている家訓がある。


――どんな時でも、勝負に負けることなかれ


 勝負において、負けることは許されない。それが新藤の家訓。かなり昔から勝負師の一族として継がれ続けた家訓だった。

 勝負をする時、自分の人生を捧げる覚悟を持て。そして負けた時、そこで自分の人生が終わる覚悟をしろ。

 そう子供の頃から言われ続けて、俺は育ってきた。その所為せいで、極度の負けず嫌いになってしまったのだが……




「絶対、しょーくんに勝って結婚するんだから! しょーくんのお母さんみたいに!」




 ガッツポーツで、椎名はそう言った。

 俺の母さんは、家訓を守る父さんを負かして交際し、結婚した。

 俺自身も過去に何度か母さんから聞いた話だったが、それはそれは随分と脚色が入っているとしか思えないロマンチックな話だった。

 それを椎名も聞いていて、自分も俺の母さんと同じような告白をしたいと思うようになった。

 俺の母さんみたいな告白をして、俺と交際して、結婚する。そんな願望を持つようになっていた。


 だから、俺と椎名は高校生になっても付き合えないでいた。


 俺に一度も勝負で勝つことができず、約10年も椎名は負け続けていた。

 わざと負けろと友達に死ぬほど言われたが、それはできなかった。わざと負けるくらになら、死んだ方がマシだ。

 俺は勝負事に、妥協ができない。それが俺の両親からの教えで、俺が大事にしていることだ。それをないがしろにできるわけがない。

 それを椎名も分かっていた。だから彼女は、今でもずっと俺に勝負を挑んでいた。

 俺に勝てる時が来るまで、毎日、どんな時も、俺と椎名は数えきれないくらい色々な勝負をしてきた。


 だけど、椎名は――ただ一度も勝てなかった。


 じゃんけんなら勝てる。そう思う人もいるだろう。

 しかし、彼女は指摘されても治らない癖があった。

 まっすぐで素直な俺の幼馴染は、必ずジャンケンで先に出す手を見せてしまう致命的な癖を持っている。


 そして、もうひとつ。


 この成瀬椎名は、こと勝負事に関してだけ、信じられないくらい不運な女の子だった。そうでなければ、彼女は俺に負け続ける理由が説明できない。

 だから今日のじゃんけんも、椎名は俺に勝てなかった。

 子供の頃の馬鹿げた約束を今も律儀に守る、まっすぐで素直な天然記念物。それが俺の幼馴染だった。

 そして俺のことがずっと好きだと馬鹿みたいに公言して、太陽のように素直に笑う可愛い女の子。

 一緒にいるのが当たり前になった、文字通り、家族と呼べる大切な幼馴染。

 そんな彼女のことを好きにならない理由なんて、俺にあるはずがなかった。









――――――――――――――――――――



この作品の続きが気になる、面白そうと思った方、レビュー・コメント・応援などしていただけると嬉しくて執筆が頑張れますので、よければお願いします。



――――――――――――――――――――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る