1話 茨城月夜

 二十年後。

 

 大阪 心斎橋

 表通りから少し外れると個人経営のバーや飲み屋が複数同居しているレジャービルが立ち並び、風俗の無料案内所が散見する微かに退廃的な雰囲気が漂う歓楽街。

 深夜ともなればその雰囲気は一段と濃くなる。

 道行く人々の多くは柄の悪い服装を気崩した若者たちに、派手に髪を染めたデスクワークとは無縁に見える中年男性の集団。

 フォーマルなスーツ姿に見える人間も胸元を開いていたり濃い目の色合いでコーデを纏めおり、普通の歓楽街とはまた違った趣があった。

 たいていその周りにはボディラインが見えやすい服装を身につけ、ばっちりと化粧を施した水商売風の女性の姿が見える。

 そんな人々の間を縫うように、独りの少女が通りを歩いていく。

 黒い革のハーフコートに、光沢がない黒いワイシャツと短パン姿で、足元は黒いハイカットの紐ブーツ。

 服装だけならあまり目立つものではない、しかしその風貌は非常に目立つものであった。

 髪色が派手な銀色に染まっており、容姿は人形のように整っていたからだ。

 見た目は十代半ばといったところだろうか。

 この時間に出歩くには若すぎる風貌だが、決して周囲の雰囲気に気圧されてはいない。

 少女が火遊びがてら夜の街に遊びに来たという感じではなかった。

 その右手には厳重に封をされたジュラルミンケースを持っており、慣れた足運びで夜の街を歩いている。

 少女の名は月夜。

 かつて金剛山の古い社に住み着いていた、吸血鬼だ。

 時代の影で人間の生き血を吸い、生き永らえてきた生き物である。

 そうして月夜は古いレジャービルの前に立ち止まるといくつもの店名が掲げられた看板を眺め、目的の店名があることをたしかめるとエレベーターに乗った。

 たどり着いた店はBAR"ローズ・オオサカ"。

 なんとも珍妙な名前に感じるが、実在する赤バラのれっきとした名前である

 月夜はそんな店名を見て苦笑し、店の扉を開いた。

 店の内装は特段して言うことはない。

 照明に赤い色合いのものが混じっており派手目な印象を抱くが、並んだインテリア自体はシンプルかつスマートなもので揃えられている。

 店内には客の姿はなかった。

 カウンター裏に店長らしき男が一人いるだけで、ゆったりとしたパーカーにジーンズ姿というラフな姿であった。

 

 「あっ、いらっしゃ──って月夜さん!?」

 「おう、なんや閑古鳥が鳴いとるやないか。」

 

 店長は月夜の姿を見ると嬉しそうな声を上げた。

 その顔に浮かんだ笑顔の隙間から見えるのは、長く伸びた牙。

 吸血鬼、彼もそう呼ばれる存在である。

 月夜がカウンター席に座ると、店長は顔を綻ばせたまま灰皿を差し出し、手際よくロックグラスと氷を用意する。

 ヴェルモット。

 月夜が愛飲する酒だ。

 品名はチンザノロッソという、白ワインに様々なハーブを組み合わせた深いカラメル色のものである。

 そこに店長が冷蔵庫から赤い液体が詰まったパックを取り出し、中身を少量くわえる。

 人間の血液である。

 本来であれば一般的に出回るはずがない、医療用のものだ。

 間違えてもこのようなバーにあるはずの代物ではない。

 

 「どうぞ、月夜さん!」

 「おおきに。」

 

 月夜は一言礼を言い、グラスを受け取る。

 そうして持っていたジュラルミンケースをテーブルの上に置いた。

 

 「これ、今月分の血液や。大事に提供するんやで。」

 「分かってますって月夜さん、いつも助かってます。」

 「いつもどおり廃棄寸前のものを横流ししてもらった奴やから鮮度は低いけど、堪忍してくれや。」

 「そんな…血を吸えるだけで十分ですよ。月夜さんみたいな吸血鬼がいなかったら、俺たち今頃檻の中でっスよ。」

 「それが今のあたしの仕事やさかいに、気にせんでや。」

 

 テーブルに肘をつきながら月夜が言う。

 現在、月夜という吸血鬼は人間と吸血鬼の共存を目指すために活動する仕事についていた。

 そんな仕事をしている理由は一つ、二十年前、自身を狩りに来た吸血鬼ハンターの女性に一目惚れしてしまったせいだ。

 それ以来、吸血鬼でありながら吸血鬼ハンターとして活動を始め、今では人間と吸血鬼を橋渡しする存在となっている。

 

 「いやでも本当助かってますから、こうして仕事ができるのも月夜さんのおかげですし。」

 

 吸血鬼の雇用に関しての手助けをするのも月夜の仕事だ。

 吸血鬼は伝承のとおり日光に弱く、灰になったりすることこそないが人間でいう日光アレルギーのような症状が出る。

 個体差はあれど店長は特に日光に弱い体質であったが、こうして夜のバーの仕事を斡旋することで人間社会に順応している。

 それにこうして酒に血液を淹れて提供する店は吸血鬼にとっても血液補給とストレス解消ができ、願ってもない存在であった。

 このような活動を通して月夜は人間との共存を目指している。

 

 「ああ、せや店長…今日は一つ気になってたことがあるんやけど。」

 「どうしたんスか?」

 「前に人間の女ができたって喜んどったやろ、あれ、どうなったんかて思ったんや。」

 

 ぴく、と店長の目じりが動いた。

 そのことに月夜は気づかなかったかのように装い、返事を待つ。

 

 「いや、フられちまいましたよ、やっぱ人間と恋愛なんて上手くいかないっスね。」

 「ほお、そうか。」

 「だいたい…俺ら吸血鬼ってなんなんスかね。」

 

 溜息を一つ放りながら、店長は言葉を続ける。

 

 「人間の血を吸わなきゃ生きていけない、人間がいなきゃ子供も作れない…なんか変な生き物っスよね。」

 「せやなぁ、おまけに女の吸血鬼は子供を作れへんし、妙な生き物やな。」

 

 ゆっくりとヴェルモットが入ったグラスを回しながら月夜が言う。

 吸血鬼と呼ばれる存在は特殊な繁殖形態をしていた。

 それは同属同士ではなく、オスの吸血鬼が血を吸ったメスの人間と繁殖行為を行うことで子供を成すというものだ。

 そしてメスの吸血鬼には繁殖能力がない。

 その代わりにオスの吸血鬼を超える膂力を持っている。

 ハチやアリのような社会性昆虫に近い存在といえるかもしれない。

 一匹のメスが短期間で多数の卵を産む昆虫と違い、産む数に限りがあるために進化した結果そういった繁殖形態ができたのかもしれなかった。

 

 「ま、今は大変やろけど、そのうち吸血鬼の存在が大々的に受け入れられるように土壌は作るつもりや、辛抱してほしい。」

 「月夜さん…!」

 「辛抱、してほしかったんやけどなぁ。」

 

 月夜がグラスの淵を指で弾きながら、言う。

 中の氷は半分ほど溶けてしまっているが、月夜は一切口をつけていない。

 

 「なんであたしがこの酒に口つけへんか分かるな、店長?」

 「……。」

 「ちょっと前にバラバラにされた女の死体がでてきたんや、指紋も削られててまだ身元も分かってへん…ただ、その死体からは血が抜かれてたらしいんや。」

 「……ッ。」

 

 

 「なぁ、さっきあたしのグラスに淹れてた血は…誰の血や?」

 

 

 店長が不意に右手をカウンター下に動かし、ある物を手にして月夜に突き付けた。

 黒光りする武骨な金属の物体。

 銃だ。

 チーフスペシャルと呼ばれているリボルバー銃である。

 しかし月夜は意に介さない様子で大きくため息をつくと、懐に手を入れる。

 店長が銃を握る手に力を籠めたが、月夜が取り出したのはタバコであった。

 古くからあるベージュの下地に青い文字が刻まれた銘柄のものだ。

 

 「タバコくらい吸わせてぇや。」

 

 月夜が苦笑しながら煙草に火を点ける。

 口をつけ、少し長く煙を吸ってからゆっくりと吐き出した。

 

 「なぁ、なんで殺したんや…?」

 「は、ははっ…俺ね…本気だったんスよ、あの女に。」

 

 銃を握る手を震えさせながら、大きく目を見平き店長が言う。

 

 「それである日たまらなくなって血を吸っちまったせいでそれっきり関係は終わり…酷くないっスか?」

 「……。」

 「もちろん必死に謝りましたよ、それも意味なかったっスけどね。それで俺気づいちまったんスよ…どうせこの先こんなことばっか起こるんだってね。」

 「ほぉ…。」

 「だってそうでしょう!?人間を好きになったって、意味ないんっス、だから吸血鬼らしく殺して血を抜いて──」

 「ドアホが…。」

 

 灰を灰皿に落としながら、低い声で月夜が言う。

 

 「何が吸血鬼らしくや店長、お前は吸血鬼である前に、店長って一人の存在やろうに。」

 「いいえ、俺は俺である前に吸血鬼なんですよ、どうしようもなくね!」

 「バカタレが…。」

 「俺が間違ったこと言ってますか…ねぇ?」

 「ああ…間違っとるよ、色々な。」

 

 月夜がスッとタバコを掲げるように右手を動かした。

 一瞬店長の目線が動いた月夜の右手に向けられる。

 そして次の瞬間には、月夜が自身に突き出されたリボルバー中のシリンダー──銃弾が装填されている部分を指で掴んでいた。

 

 「なっ…!?」

 「一つはあたしに銃を向けたこと、このタイプのリボルバーはシリンダーを固定されたら引き金が引けへん、やめとき。」

 

 つまらなさそうに煙を吐きながら、月夜が言う。

 

 「一つは悲恋に終わったからって相手を殺してええ訳がないってことや、たとえお前が吸血鬼でも、人に恋してたんやったら尚更な。」

 「う、うるせぇ!うるせぇ!!」

 「次で最後や──」

 

 月夜が銃口を自身から逸らしつつ立ち上がり、タバコを床に捨てると右手を強く握りしめる。

 

 「お前が正しかったらあたしがやってきたことはなんやねんボケがぁあああ!!!!!!」

 

 カウンター越しに強烈な月夜の拳が放たれ、店長の頬を的確に打ち抜いた。

 

 「ぐぇッ!!!」

 

 口から折れた牙と歯の欠片を吹き出し、銃を手放しながら後ろの酒棚に思い切り倒れこむ。

 色鮮やかな酒瓶たちが次々と落下し、けたたましい音を立てながら割れ地面に中身をぶちまける。

 月夜は自分の手に残った銃を投げ捨てるとカウンターをひょうと乗り越える。

 月夜が地面に足をつけると、ブーツの靴底が破片を割って音を立てた。

 

 「このままウチの組織経由で警察に突き出したる…覚悟しろや。」

 「ひっ…ひぃッ…ひぃ──」

 

 店長は口から血を流しながら、月夜の迫力に怯えながら後ずさる。

 そして地面に落ちていた割れた酒瓶、そのうちの一つの首を握りしめ、鋭利に尖った断面を月夜に向けて思い切り突っ込んだ。

 

 「ひぃいいいいいいい!!!!」

 

 月夜の腹目掛けて突き出された酒瓶はその肉を抉りながら深々と刺さる。

 傷口から大量の血が滴り、腹から腰をつたい、足元まで雫が零れ落ちる。

 それでも月夜は平然としていた。

 それどころかグイっと身体を前に出し、より深く酒瓶で身体を傷つける。

 

 「アホ…こんな傷が吸血鬼に効くわけないやんけ…。」

 

 哀れみさえ感じさせる声色で、月夜が言った。

 そして片手で刺さった酒瓶を力づくで引きぬく。

 するとみるみるうちに月夜の腹から噴き出た血が止まり、傷口が塞がっていく。

 吸血鬼にこの程度の傷は意味をなさない。

 吸血鬼の身体に損傷を与えるには日光の元か銀製の武器で攻撃する必要がある。

 その場合のみ吸血鬼の強い自己修復力が力を発揮しないのだ。

 

 「これ以上抵抗すんなや、やる気なら…下手したら死ぬで?」

 「う…うるせぇ!俺はあんたを裏切ったんスよ!?」

 「せやな…ただこんな仕事してたら、珍しいことちゃうんや、悲しいけどな。」

 

 静かな、ゾッとするほど静かな声色で月夜が言う。

 店長はその声から発する冷気の様なものに怯えるように身を震わせ、酒瓶から手を離して後ずさる。

 カウンター裏から逃げ出そうとするが、月夜の鋭い目線がそれを許さない。

 逃げられない。

 本能がそう告げる。

 そしてどうしようもない恐怖感を前に店長は、最も愚かな選択肢を選んだ。

 

 「あっ、ああっ…ああああああああああああ!!!!!!」

 

 拳を握り、月夜に殴りかかった。

 窮鼠猫を噛む。

 なるほど、ネズミでもネコが相手ならば窮地を脱するために噛みつくことも有効な手段であるだろう。

 ただ、今ネズミが相手をしている相手はネコだなんて可愛いものではなかった。

 店長の拳が空を切る。

 そよ風のように緩やかに、月夜が店長の懐に潜り込んでいた。

 まるで力みを感じさせない動きであった。

 しかしそのそよ風は店長の喉元を優しく撫でた途端、突如として暴風と化した。

 

 「しぃッ!!」

 

 月夜が店長の襟を掴んで捻り、前腕を喉に押し付ける。

 同時に店長の右腕を絡め捕ると右足で足を刈り取り、喉に腕を当てたまま地面に投げ落とした。

 柔道の大外刈りに形は似ている。

 しかし喉に当てた前腕、これが大外刈りと最も違うポイントであった。

 地面に投げ落とされた店長の喉が地面と月夜の腕に挟まれる。

 ギロチンを思わせる凄惨な投げ技であった。

 グキリ。

 音が響く。

 地面に落下すると同時に店長の頸椎が折れた音であった。

 

 「あ…がッ…ぎぇッ──」

 

 店長の悲痛な声が喉から漏れ出る。

 完全に頸椎が折れた感触をたしかめると、月夜は店長から手を離した。

 これでも吸血鬼は死なない。

 急速に断裂した靭帯や神経を修復しながら筋肉が動き、まるで形状記憶合金かのように元通りに修復してしまう。

 とはいえ頸椎骨折の様に人間なら即死する可能性すらある傷を負ってしまうとそう簡単には治らないが。

 月のが殺人技と言うに相応しい投げを喰らった店長も死んではいないものの、流石に気絶しているようだった。

 月夜はその様を悲し気に一瞥し、懐からスマホを取り出して後始末のために方々に連絡をしようとする。

 そのとき、一件の不在着信通知に気づき、相手の名前を見た月夜はわずかに目を見開いた。

 記された名前は"萩原 陽子"。

 二十年前、月夜が一目惚れした吸血鬼ハンターの名前であった。

 

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