銃と初恋と吸血鬼

いおりん

序章 一目惚れ

 三日月の綺麗な夜だった。

 微かな月明りが木々に張り付く霜に光を灯し、冷たい空気に淡く溶けてゆく。

 大阪、金剛山。

 昼間はロープウェイを利用する登山客で賑わうこの山も真夜中となれば静かなもので、町明かりが木々に阻まれた山奥は人工的な明かりがなく、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

 そんな山奥に寂れた神社が一社建っている。

 色褪せた鳥居にヒビの目立つ石畳、そして長年風雨に晒された社は今にも倒れそうな程に劣化が目立っていた。

 しかし不思議なことに、近い時期に人の手が入った痕跡が神社のところどころに残っていた。

 鳥居から石畳までの経路は雑草が引き抜かれ、社には蜘蛛の巣は張っておらず申し訳程度に埃を払った形跡がある。

 その程度のものであるがたしかに人の立ち入った形跡があった。

 おおよそ人がいるとは思えない山中にある、何を祀っているのかすら分からぬ神社にである。

 だがその時ふわり、と、不意に月に雲がかかった。

 いや雲ではない。

 社の屋根から微かな煙が上がり、それが月にかかったせいで雲のように見えたのだ。

 タバコの煙である。

 少女が独り、屋根の上でタバコを吸っていた。

 ただ月を眺めながら静かに、煙をくゆらせる。

 まるで絵画を切り取ったかのような光景であった。

 それは少女の外見にも一因している。

 月明りに照らされる髪色は雪のような輝きを持つ銀色で、瞳の色は血を思わせる深い赤色。

 顔立ちは端正ながら猫のような丸みを含んでおり、美しさと愛らしさが同居した魅力的なものであった。

 身に纏っているのは袴。

 といっても神社の巫女が身に着ける紅白の緋袴ではなく、夜を連想させる黒一色の野袴であった。

 背丈は女性の平均より僅かに低い百五十六センチ程だろうか。

 少女はしばらく静かにただタバコを吸っていたが、微かに鼻をひくつかせると何かを感じ取ったのか立ち上がる。

 そして咥えていたタバコを手にすると、まだ火が付いたままだというのに手で握り潰して火を消し屋根の下に投げ捨てた。

 

 「一人…ちゃうな、二人や。入り口から一人と裏から一人か。」

 

 少女が小さく呟く。

 関西弁だ。

 地域からいえば当然の訛りなのだが、その見た目からはなんともミスマッチであった。

 そして神社の裏手に目をやる。

 人が見れば闇に包まれ、何も見えないであろうが少女はたしかに何かを見つけていた。

 にやりと少女が笑ったのと、すさまじい破裂音が響いたのはほとんど同時だった。

 

 「おおっと。」

 

 少女がその場から飛び退くと社の屋根瓦が弾け飛ぶ。

 それを意に介さぬように楽し気に少女が屋根の上で身を躍らせる。

 跳ね、飛び、廻り、舞う。

 少女の髪が宙に銀の軌跡を描くたびに破裂音が響き、弾けた屋根瓦の破片が煌めきスパンコールのように夜空を彩る。

 まるで少女の舞を演出する舞台装置のようにさえ見えた。

 そして破裂音が消えると同時に少女は舞を止め、不敵な笑みを浮かべながらもはや自身の舞台と化していた屋根の上から飛び降りた。

 地に足が降り立つやその場で一転、衝撃を殺しながら身を撓め、猫のように身体を伸ばして地面を駆ける。

 駆けた先は神社の裏手。

 生い茂る雑草に身を隠すように少女は駆け、突如魚が水面から跳ねるように草原から身体を上げた。

 

 「みぃ~っけた!」

 

 その目の前にいたのは、グレーの夜間迷彩服を身に纏う人間の男であった。

 暗視ゴーグルが備え付けられたメットを被り、手には俗にアサルトライフルと呼ばれている大型の銃を手にしている。

 先ほどの破裂音の正体はこのライフルが発した銃声であった。

 

 「くそッ!!」

 

 迷彩姿の男は口元を歪めながら咄嗟に手に持っていたライフルを少女に向けるが、少女は銃身を左掌で弾き射線を反らしつつ右手で掴み、動きを封じてから迷彩男の腹に右の蹴りを放った。

 

 「うぎぇッ…!!」

 

 男が嗚咽の声を上げながら身体を丸める。

 さらに少女は左手でライフルの銃床を掴み、縦にくるりと回しててこの原理を使って男の手から奪い取る。

 そして銃床を容赦なく男の顎に向って叩きつけた。

 

 「が…ッッ!?」

 

 口から白い破片──折れた歯を吹き出しながら、男が呆気なく地面に倒れる。

 少女は奪い取ったライフルをご機嫌そうな目で眺めてから、倒れた男に目をやった。

 

 「おぉ~これたしかおフランス製のええライフルやんか、人間に売りとばしたらええ金になんで。」

 「き…さまぁ…!!」

 「なんや最近儲かってるんか、うらやましいなぁ──吸血鬼ハンターは。」

 

 少女の顔に厭らしい笑みが浮かぶ。

 血を思わせる赤い瞳が妖しく光り、笑みの隙間から覗く犬歯は人間のものよりもいっそう鋭く、長く、発達していた。

 まさしくその容姿は、伝承やおとぎ話に伝えられる吸血鬼の特徴と一致していた。

 

 「まだやる気なんか?ええで、退屈してたし遊んだるわ。」

 「うッ…うぉあああああああ!!!」

 

 少女がライフルを投げ捨て挑発すると、男は雄たけびを上げながら立ち上がり、腰に備えていた拳銃を引き抜き少女目掛けて発砲する。

 男は少女の下腹部から眉間目掛けて正中線を綺麗に狙い撃った。

 だが少女はあらかじめ銃弾が飛来する位置を理解しているかのように身体を動かし、全てを避けた。

 銃のスライドが止まり、弾が切れたことを告げる。

 

 「綺麗に急所狙うんはええけど、バレバレやで?」

 「化け物が…ッ!!」

 

 男はそれでも恐怖に負けぬように歯を食いしばり、胸元に装着していたナイフを右手で引き抜くと順手で喉元を突きにかかった。

 

 「刃を銀でコーティングしとるんか、当たったら簡単に傷は治らんな。」

 

 少女は上半身を反らすだけで軽く突きを避けてみせる。

 

 「当たれば、な。」

 

 さらに顔目掛けて左右に振るわれたナイフを首を左右に振って撫でるように見切って避けて見せた。

 それどころか男の手首を捕ると肘に掌底を打ち込み、衝撃で手からナイフを落とさせる。

 そして右掌を軽く男の胸に打ち込み、数歩後ろに下がらせた。

 

 「くそがッ!!」

 「おおっとぉ~!」

 

 男はパンチを放つとみせかけて少女の腰に組み付き、力づくで持ち上げながら地面に倒れこんだ。

 少女の体重は見た目相応のものであるらしい。

 男は地面に押し倒した少女に上から殴りかかるが、少女が膝を使って上手く男の身体を阻み、巧みに動きを封じる。

 それでも男は強引に拳を振るうが、少女が振るわれた右手の袖を下から掴んだ。

 少女は袖を捕ったまま身体を回転させ、太ももで男の二の腕を挟みこむ。

 

 「ほいさぁ。」

 

 少女が腕を挟んだまま背筋を使って身体を引き延ばす。

 男の天地がひっくり返り、地面に仰向けになるように倒され、そして──

 ビチッ。

 男の肘靭帯が引きちぎれる音が鳴った。

 腕ひしぎ十字固め。

 寝技の中でもポピュラーな関節技である。

 

 「ぬぐぁッッ!!!」

 

 男がたまらず声を上げた。

 少女は楽し気にその声を聞くと腕を離し、その場に横たわる男の傍らに立つと大仰に肩をすくめた。

 

 「根性だけは認めてええけど、それ以外はまだまだやなぁ…遊び相手には悪ないし殺そか迷うなぁ。」

 

 顎に手をやりながら呑気な声で少女が言う。

 

 「…あッ!」

 

 そこで少女は何かを思い出したのか声を上げると、急に地面に伏せて草影の中に身を隠した。

 パパパパパパパァン!!

 一拍遅れてライフルの銃声が鳴り響き、周囲の木々の幹を抉る。

 

 「せやせや…入り口からもう一人来てたん忘れとった、いややわぁ。」

 

 地面を這いながら少女は眉をひそめる。

 そして草影から飛び出るとすぐさま近くの木の幹に身を隠した。

 銃声が鳴るが、すでに少女の姿は銃口の先にはない。

 草影と木の幹に次々と移動しながら少女は自分の位置を撹乱する。

 やがて少女の動きに反応して鳴っていた銃声が止まったことに気づき、少女はしたり顔で笑みを浮かべる。

 銃弾が当たらないことで慎重になり結果として反応が遅れてしまっているのだ。

 逆に言えば誘い出されている状況ともいえる、しかしイニシアチブは少女の側に移った。

 故に笑ったのだ。

 少女が一気に草影から飛び出した。

 銃口が向けられるや否や稲妻のようにジグザクの軌跡を描き、銃弾を回避しながら接敵する。

 銃を持った相手は男と同じ夜間迷彩服に身を包んだ女であった。

 

 「ヒュウッ!」

 

 相手が女であることに気づいた少女が口笛を鳴らす。

 少女は身体を沈めて銃口から身をかわしつつ、身体を反転させ後ろ回し蹴りをライフルに向って放つ。

 踵が銃身に叩きつけられ、女の腕からライフルを弾き飛ばした。

 少女は蹴りの勢いそのまま女に向き直り、腰のホルスターから拳銃を引き抜くより早く組み付くと素早く背後に回り込んだ。

 そして尻、腰、胸と背後から流れるように手を這わせ、いやらしい笑みを浮かべる。

 

 「下から85、61、84ってとこやな。」

 「なッ!?貴様…!!」

 「お、当たりか姉ちゃん!」

 

 思わず声を上げてしまった女に、少々下品な声色で少女が声を弾ませる。

 そして背後から襟首を掴んで引き、体勢を崩しながら顎に腕を回しつつ足を刈って地面に投げ落とした。

 

 「ぐぁッ!!」

 

 女はギリギリで顎を引き受け身をとったが、半ば後頭部から地面に投げ倒されたせいで一瞬視界が明滅し、意識が朦朧としてしまう。

 その隙に少女は素早く女に跨るとその首筋を眺め、大きく口を開きながら笑みを浮かべると舌でなぞるように牙を舐めた。

 

 「さてさて、じゃあせっかくやしお顔を拝見してから血吸わせてもらおかなぁ~。」

 

 少女が女のヘルメットに手をかける。

 未だ意識がはっきりしない女の顎に巻かれたベルトを外し、ゆっくりとヘルメットをとって女の顔を眺めた。

 

 

 

 「ふぇ…!?」

 

 

 

 少女が小さく驚きの声を上げた。

 それは女の容姿が想像を超えて美しかったからである。

 汗で微かに濡れた黒髪は月明りで艶やかに輝いており、目鼻立ちがくっきりと整っている。

 真っすぐに伸びた鼻梁の横で輝く目はぱっちりと大きく、パッと見て分かるほどにまつ毛が長い。

 唇も色気を微かに漂わせる程度に厚みがあり、シミ一つ無い肌には草原に倒されたせいでそこかしこに土汚れがついていたが、それすらも彼女の美しさを引き立てる化粧のように少女は感じた。

 しばらく少女は彼女から目を離すことができなかった。

 ぽけーーっと、一分ほど彼女を見つめ続け、ようやく絞り出すように一言呟いた。

 

 

 

 

 「あかん、ドタイプや。」

 

 

 

 

 パァン!!

 その瞬間、少女の脇腹で銃声が響き、鋭い痛みが走った。

 

 「い…ッたぁぁぁ!!!?」

 

 少女が大声を上げる。

 どうやら少女が見惚れている間に女が意識をはっきりと取り戻したらしく、腰のホルスターから拳銃を抜きなぜか自分に跨ったまま動かない吸血鬼の少女に発砲したのだ。

 少女が慌てて脇腹に突き付けられた拳銃を払いのけ、女の上から飛び退いて距離をとった。

 

 「…お前、なんのつもりだ!」

 「いや、その…なんちゅうか…あははは。」

 

 女が少女に拳銃を突き付けながら問うも、少女は曖昧な答えを返すことしかできなかった。

 それもそうだろう、自分を殺しに来た相手が好みドンピシャの美人だったせいでどうしていいか分からないなどと、言えるはずはない。

 二人は互いに動けぬまま、静かに向かいあっていた。

 しかし不意に草がかき分けられる音が鳴り、少女がちらりとそちらに目をやる。

 

 「はぁ…はぁ…陽子から離れろ、クソ吸血鬼!」

 

 先程少女が右腕を折った男が気合で立ち上がり、無事な左手でライフルを構えながら二人の元へやって来たのである。

 しかし少女にとってはそんな男のことなどどうでもよかった、大事なのは男が発した言葉である。

 

 「…陽子、かぁ。」

 「……は?」

 「いやほら、その…貴女の名前、陽子っていうんやなって思て…あははぁ。」

 

 少女が男に陽子と呼ばれた女に目線を戻しながら言った。

 ほんの少し前に銃で撃たれた脇腹からは血が流れ、袴の隙間から足元にこぼれ落ちているほどだというのに、少女の顔には奇妙な笑みが浮かんでいる。

 ただ単に好みの女の前でどぎまぎしているだけであるのだが、今の状況からすれば不気味なことこの上ない。

 男も、陽子も、訝し気な目を少女に向けて発砲することを躊躇っていた。

 その空気を感じ取り、少女は気まずそうに髪を指先で弄りながら目を逸らす。

 しかし何か意を決したように一人頷くと、改めて陽子に目を向けた。

 

 「えっと、あの…月夜っていいます…。」

 「…は?」

 

 陽子が銃を突き付けたまま首を傾げる。

 

 「あ、あたしの名前!!月夜!!」

 「え…あ…はい…?」

 「そんで貴女は陽子やね!あたしは覚えたから!陽子もできればあたしの名前覚えといて!」

 「ちょっと、それ、どういう意味なの!?」

 「えぇっと…また会いたいから…かなぁ…んじゃ!!」

 

 急に自分の名前を告げる少女──月夜に思わず陽子は銃口を下げながら声を荒げた。

 その隙を見て月夜はすぐさまその場を飛び退き、銃を構えていた男が発砲する間もなく草原に屈んで身を隠すと瞬く間にその場から逃げ去ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人の吸血鬼の少女がいました。

 

 少女は女の血を飲むことが大好きで、度々女を襲っては生き血を吸っていました。

 

 そんなある日、彼女の元に二人のヴァンパイアハンターが現れます。

 

 強い少女は二人を難なく倒してしまいました。

 

 ですが、驚くことにそのうちの一人が少女の好みドストライクな美人であったのです。

 

 そして彼女に一目惚れしてしまった少女は吸血鬼でありながらヴァンパイアハンターの仕事をお手伝いすることにしました。

 

 ある時は彼女の危機に颯爽と現れ。

 

 ある時は吸血鬼の軍団を相手取り。

 

 ある時は銃弾の盾となり。

 

 いかなる時でも彼女を守り続けました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし少女の恋は実りませんでした。





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