2話 出会い
大阪 梅田
大阪の中心地と呼べるその地に吸血鬼の少女──月夜はいた。
二十年前からその容姿に変わりはない。
少女と呼べる容姿そのままの姿で存在し続けていた。
かつては人知れぬ山奥の神社を根城にしていた月夜であったが、今は違う。
梅田の一等地に自宅を兼ねた個人用のオフィスを一間借り、煌びやかな夜景を見下ろすほどの存在になっていた。
恋心に従うまま吸血鬼を裏切り吸血鬼を狩る吸血鬼として活動してきた結果、おのずと人類と吸血鬼の共存のために活動することになり、その最前線に立っていたせいでいつのまにやら高い地位を得てしまったのだ。
月夜はオフィスのデスクでタブレット片手にデータを確認しながら、未だに紙で届く一部の書類たちを辟易した様子でチェックしていた。
服装はハーフパンツにシャツの上からカーディガンを羽織っているラフなものだが、その表情だけはもう少女のものではない。
容姿に変わりがなくとも年月を重ねれば表情の出し方や身に纏う雰囲気自体は変わっていくものである。
時折眉間を指で押さえながら、むすっとした表情で淡々と書類を処理していく様子は完全に社会人の風格が備わっていた。
テーブルの上には気休めのような栄養ドリンクの空き瓶が転がり、傍らのゴミ箱には中身を飲み干した血液パックが捨てられていた。
合法的に入手したものである。
一般に手に入らない血液パックを吸血鬼たちに流通させるのも月夜の仕事の内だ。
月夜自身もこのパックを飲むことで血に対する渇きを潤し、人間社会の中で人を襲うことなく生きている。
やがて月夜は書類の束を最後までチェックし終えると、大きく伸びをした。
「くぅ~~ッ…これで向こう三日分の書類は片付けたな、ほんま疲れたで。」
タブレットの電源を落とし、デスクの隅に書類を放り投げて月夜が立ち上がる。
しかし慌てて書類を手に取りなおすとそそくさと書類棚に綺麗に納め直し、デスクの上に転がる空き瓶やこまごまとしたゴミを片付け始める。
普段であればこのようなことを月夜はしない。
片付けや整理など精々一週間に一度やればよい方であるが、今日は特別な理由があった。
仕事を早めに処理したのもそれが原因である。
手近にあったコンビニの袋にゴミを手あたり次第まとめていると、不意にスマホの着信音が響いた。
月夜は手早く袋の口を閉め、スマホを手に相手の名前を確かめる。
表示されていた名前は"萩原 陽子"。
その名を見ると月夜は胸を昂ぶらせ、急いで通話アイコンを指でタッチした。
「もしもし、どしたん陽子?なんかあった?」
少し声を弾ませながら月夜が電話に出る。
『こんばんは月夜、いや、明日のことがあるから念のためにね。』
「そっか、明日の昼にはルーマニアに行くんやったね、任務で。」
『ええ、吸血鬼伝説本場の地よ、下手すれば長くなるかも。』
「まぁ…あたしは手助けできひんけど、あの旦那も一緒なんやろ?せやったら大丈夫やな。」
旦那、その言葉を発するときだけ月夜の声のトーンが若干沈む。
月夜が陽子から出会って数年後、陽子は相棒であったヴァンパイアハンターの男と結婚した。
月夜なりに身体を尽くして陽子を守り気を惹こうとしたが、結局そうなってしまった。
それ以来月夜は生き血を吸っていない。
血液パックの血を吸いながら日々を生きている。
二十年の間、月夜は自身に惹かれた女性と良い雰囲気になることも時にはあったが、どうしようもなく陽子の顔がちらつき血を吸うことができなかった。
端的に言えば未だに初恋を引きずっているのである。
そのまま一言二言他愛ない世間話をしてから、陽子が話題を変えた。
『そうだ、で、あの子のことなんだけど。』
「明日から預かる娘ちゃんのことやね。大丈夫!部屋はばっちり掃除したし迎える準備は万端やで!!」
『はは、ありがとう月夜。』
そう、月夜は任務で海外に行く陽子と旦那に代わり、二人の娘を預かることになったのだ。
そのために普段しない掃除を徹底的に行い、仕事も早めに片付けていたのである。
わざわざ月夜に娘を預ける理由として、万が一にも二人に恨みを持つ吸血鬼が娘を狙った際に月夜であれば対応できるからだ。
「最後に会ったん、たしか三歳くらいの頃やろ?懐かしいなぁ。」
『もうすっかり大きくなったから驚くと思うわよ、ちなみに言っとくけど…その…私に結構に似てる。』
その言葉を聞いた途端、月夜が言葉に詰まった。
二つほど呼吸の間をおいて、電話だというのに目線を泳がせながら何か言葉を発しようとする。
「そ、そそそ、そうなんかぁ~!それは…たのしみやなー!!」
『月夜、それで言っとくけど、あの子──』
「ななな、なんもせえへんよあたしは!!陽子に似てるからって間違っても手出したりせんから!!信じてや!!」
『いやそうじゃなくて…。』
「と に か く !絶対にあの子はあたしが守るから任務頑張ってな!んじゃ!!」
動揺を隠せないまま月夜は畳みかけるように言葉を発し、大声でそう言い残して電話を切る。
そして大きく息をつき、デスクのチェアに深く腰掛けてもたれかかった。
「陽子の娘かぁ…。」
月夜が過去に思いを馳せる。
陽子との会話であったとおり、月夜が最後に会ったのは三歳のころ──十二年前のことだった。
かなり前の話だが、月夜はその子のことをはっきりと覚えている。
陽子が言った通り娘の容姿が母親似で、将来必ず美人になると確信したからだ。
月夜の銀色のひらひらと舞う髪が目新しかったからか、とてとてとよく背後から追いかけてきた活発な子供だった。
「いや似てるっちゅうてもまだ子供やろ…。」
デスクの上に置かれている丸い缶に入った昔ながらの銘柄のタバコをくわえ、火を点けた。
このタバコともしばらくはお別れだと、じっくりと煙を味わいながら月夜は明日のことを想う。
「んなまた一目惚れなんてあるはずないわな。」
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翌日 大阪駅
季節は吸血鬼にとって少し日差しが疎ましく感じ始める春。
月夜は黒い日傘を手に、黒地に月を連想させる金の刺繍が入った着物姿という気合の入った服装で想い人の娘を迎えに来ていた。
銀髪に着物という目立つ見た目の月夜の横を、道行く人が一目見ては慌てて目を逸らしながら通り過ぎていく。
月夜にとっては慣れた反応だ。
いくつも改札がある大阪駅のうち、分かりやすい中央改札口の前に立ちながら月夜は嫌でも高鳴ってしまう胸を押さえて待つ。
時刻は昼前。
待ち合わせにはまだ時間があるが、月夜はもう三十分はここに立っていた。
昂ぶる心を抑えられずについ早くに来てしまったのである。
しかし、待ち人はもう改札に姿を現した。
「あ…。」
月夜は改札の向こうを見て、惚けてしまった。
艶やかな黒髪をポニーテールに纏めた、記憶の中の想い人がそこにはいた。
くっきりとした目鼻立ち、まっすぐに伸びた鼻筋、長いまつ毛にぱっちりとした瞳。
更に背は周囲の男性と比べても変わらない程高く、綺麗に伸びた背筋も相まってモデルのようだった。
そのくせ服装は年季を感じさせる少し色褪せた革ジャンパーに武骨なシルエットのデニムを合わせるややワイルドなもの。
腰に巻いたベルトも革製でバックルは分厚い金属製のものだった。
容姿と一見アンマッチなその服装が、不思議と魅力を引き立てていた。
リュックを背負い、スーツケースを転がしながら待ち人は一直線に月夜の前にやって来る。
「あ…えっ…。」
月夜の胸が更に高鳴り、頬が熱くなる。
そんな月夜を見て、待ち人は優しい微笑みを浮かべた。
「こんにちは、月夜さん。」
「あっ…あぁ~!こんにちは、よう分かったなあたしが月夜やって!」
「髪、綺麗だから。」
「そりゃそうか、あたし以外にこんな髪してる子あんまおらんもんなぁ~!」
綺麗、そう言われただけで月夜の心臓は破裂してしまうのではないと思うくらい鼓動を強めた。
待ち人は月夜の言葉にほんの少し目を伏せるが、すぐに月夜の目をじっと見つめた。
何故か急に見つめられたせいで、月夜の頬が真っ赤に染まる。
「あの…。」
「な、なに!?どしたん!?お腹でも空いたんか!?」
「ふふ、違うよ、改めて自己紹介しようかなって。」
「あ、ああ~そういうことかぁ、前に会ったんちっちゃかった頃やし、もう覚えてへんわなぁ!」
月夜の言葉に待ち人は少しばかり残念そうに小さく肩をすくめる。
月夜は少し不思議そうに首を傾げるが、待ち人はすぐに月夜の目を見つめなおしながら口を開いた。
「…萩原日向です。よろしくお願いします茨城月夜さん。」
「うん、よろしく!じゃあ行こか日向ちゃん!」
月夜が背を向けて先導しようとする。
その手を、日向が背後から不意に掴んだ。
「ふぇ…!?」
驚いた月夜が身体を跳ねさせて振り向くと、日向の手がするりと月夜の掌に流れ、その手を繋いだ。
突如として繋がれた手と、伝わってくるぬくもりに月夜は頭が沸騰するかと思った。
「ごめん、驚かせちゃった。」
日向が悪戯っぽい笑みを浮かべながら呆然とその場に立ち尽くす月夜に言う。
「大阪駅って結構道が複雑なんでしょ、はぐれちゃったら大変だから手を繋ごうかなって。」
「お…あ…え…?」
「ダメ…かな?月夜さんはこういうの苦手?」
日向が少し身体をかがめ、月夜の顔を覗き込むように問いかける。
月夜はもはや爆発寸前の脳みそをギリギリのところで稼働させながら、どうにか首を振った。
「だ、大丈夫やで…じゃあ手、繋いでいこか。」
「やった、ありがとう月夜さん。」
十五歳という年相応の可愛らしい笑みを日向が浮かべる。
月夜はこれ以上は本気で気を失ってしまうと背を向け、日向を先導しながら歩き出した。
「そや、せっかくやしちょっと話もしたいから、ご飯行かへん?」
「いいよ、どこ行こうか?」
「せやなぁ…日向ちゃんは何か食べたいもんあるか、なんでもええで。」
日向に背を向けたまま月夜が問いかける。
顔を突き合わしていないおかげでどうにか普通にふるまうことができていた。
「う~ん、じゃあステーキだなんておねだりしてみようかなぁ。」
「はっはっは、ステーキか、それくらい御馳走するっちゅうねん!」
真っ当な高い食事を提案する日向に月夜が楽し気な声を上げる。
「ほんとに、いいの?」
「ええの!でもなんか安心したわ、日向ちゃん大人っぽいから変に遠慮されたらどうしようか思た。」
「背が高いだけだよ、大人だったら手を繋いでほしいだなんて言わないし。」
「は、はは、せやなぁ。」
「…。」
日向が少しばかり握る力を強めた。
まるで今手を繋いでいるということを無理やりにでも意識させるように。
「ひ、日向ちゃん…?」
「日向、でいいよ、そっちの方が私呼ばれなれてるから。」
「そ、そうか…じゃあ日向。」
「うん、ありがとう月夜さん。」
じんわりと、掌に熱が籠った気がした。
思わず月夜もほんの少し、手を握る力を強くしてしまう。
人波で溢れかえる大阪駅であったが、ただでさえ目立つ二人を見た人々は自然と道をあけていく。
そのおかげもあってか二人はすんなりと月夜の知っているステーキハウスにたどり着くことができた。
大阪駅を出て、高層ビルや大型の商業施設が立ち並ぶ駅近くから少し歩いたオフィス街の裏。
レトロな木製の小さな看板が掲げられたステーキ屋であった。
店内も木製のインテリアを基調に内装が整えられており、古いアメリカのロックシンガーや野球選手のポスターが飾られている。
タイムスリップしたかのようなその内装はどこか非日常的で、店内にいるだけで特別感が生まれる。
お昼前ということもあり店内は少し慌ただしい雰囲気があったが、月夜が店内に入ると慌てて店員の一人が飛んで来た。
「いらっしゃいませ、いつもありがとうございます。本日はご予約は?」
「今日は予約してないんや、いけるか?」
「申し訳ありませんがテーブル席の方が埋まっておりまして…カウンターでしたらすぐにご用意させていただきますが…。」
ちらりと月夜が日向を見ると、日向は無言で頷いた。
「じゃ、カウンターで頼むわ。」
「ありがとうございます、ではこちらへ。お連れ様の荷物はお預かりさせていただきます。」
店員がスッと日向の持っていたスーツケースを預かり、席へと案内する。
二人して席に座ると、日向が店内の内装をサッと見回す。
「いいお店だね、私こういう雰囲気大好きなんだ。」
「おっ、それやったら案内して良かったわ。」
「店員さん慣れてたみたいだったけど、月夜さん常連なの、ここ?」
「まぁなぁ、接待でもよう使わせてもらってるし、プライベートでもちょいちょいお邪魔してるから。」
「ふぅん、なんかかっこいいね、そういうの。」
「あはは、照れるなぁそう言われると…メニュー、遠慮せんでなに頼んでもええからな。」
「分かった、じゃあお言葉に甘えちゃうね。」
日向がうきうきとした様子でメニューを開く。
その横顔を見ながら月夜は穏やかな笑みを浮かべていた。
年相応の子供の横顔である。
ずっとこの顔をしていてくれたら変にどぎまぎすることもないというのに、と月夜は思ってしまう。
一方で母親である陽子のことを思い出させる大人びた表情をされることも正直悪くはない──どころか嬉しいと思う気持ちが確かにあった。
手を急に繋がれた時など、本当にどうしていいか分からなかったが、嬉しくて仕方がなかった。
そんなことを思っていると、日向が月夜の方を向く。
「注文決まったよ、頼んでいい?」
「オッケー、じゃあ店員さん呼ぶわな。」
日向が手を上げると声を掛ける前もなく、すぐさま店員が伝票を片手に席までやって来た。
「あたしはいつもので、日向は?」
「うーんとね、Tボーンステーキ三百グラムにリブロースステーキ三百グラム…あとシーザーサラダとガーリックライスにグレープフルーツジュースで。」
本当に遠慮なく料理を注文した日向に思わず月夜が笑みを浮かべる。
この遠慮のなさは本当に嫌いではなかった。
「えらいよく食うなぁ、若い証拠や。」
「えへへ…見ての通り身体が大きいからさ、たくさん食べちゃうんだよね。」
少しばかり照れた表情で日向が言う。
「そうだ、ちょっと月夜さんに聞きたいんだけど…。」
「ん、どしたん?」
「プライベートでもここに来るって、どういうとき?」
「どういうときって…普通に肉食いたいなぁ~って思た時…かなぁ。」
月夜がお冷に口をつけながら答える。
するとなぜか日向は嬉しそうに顔の表情を緩めながら頷いた。
「ふぅん、そっか、そうなんだぁ。」
「いや、それ以外になんかあるんか?」
「てっきり彼氏とでも来てるのかと思って。」
「げふッ!!?」
月夜は思いっきりむせてしまい、あやうくカウンターを水浸しにしそうになったところをどうにかおしぼりで口元をおさえて耐える。
「つ、月夜さん、大丈夫…!?」
「ッ…い、いきなり変なこと言うからびっくりしたんやんか!」
「別に変なことじゃないでしょ、私だってお年頃なんだし、恋バナとか普通じゃないかな?」
「むぅ~…!」
月夜は口紅が付いたおしぼりに眉をひそめながら、日向にじとっとした目を向ける。
たしかに日向の言うことは間違っていなかった。
十五歳であれば恋に恋するお年頃、こんな話題一つ振ってもなにもおかしくはない。
しかし日向を意識してしまっている月夜からすれば、急にそんな質問を振られればどうしようもなく戸惑ってしまうのだ。
それに日向の表情はどこか余裕があり、大人の恋愛に興味を示す子供のそれでは到底なかった。
「じゃ、月夜さんは今フリーなんだね。」
「まぁ…せやなぁ…寂しい独り身や。」
溜息を吐きながら月夜は言う。
日向はそんな月夜の横顔をジッと眺めていた。
カウンターに肘を着いて首を下げ、月夜と目線の高さを合わせながらジッとだ。
「月夜さん、すごく綺麗なのにね。」
「…よう言われる。」
「本当に綺麗だよ、月夜さん。」
「な、なんやの急に…!?」
「着物もばっちり似合ってるし、しっかり化粧もしてくれてなんか嬉しかったから…私のために気合入れてくれたのかなって。」
「大事な親友の娘に会うんやからそりゃ…まぁ…気合も入れるやろ。」
「それでも嬉しいよ私は、ありがとう月夜さん。」
日向が先ほどメニューを見ていた表情とは打って変わった、艶やかささえ感じさせる笑みを浮かべる。
その表情にどうしようもなく、本当にどうしようもなく月夜はときめいてしまう。
いけないと分かっていてもどうしようもなく心が惹かれて行ってしまう。
本来ならここは、大人を揶揄うなと言うべきかもしれない。
だがもう月夜の心は限界だった。
「うれ…しぃ…。」
「…ん?」
微かに月夜が言葉をこぼし、日向がわざとらしく首を傾げる。
「ほんまは日向に会えるって思て、気合入れたから…そう言ってもらえて嬉しいんや。」
「月夜さん…。」
晴れやかな笑みを浮かべた月夜を見て、日向の顔が微かに赤みを増す。
それを見た月夜がにやりと笑った。
「なんや照れてるんか日向?」
「うん、すごく綺麗な笑顔だったからさ。」
「にゅッ!?」
見事なカウンターを喰らった月夜の口からもはや言葉ではない何かが飛び出す。
助けてくれ、月夜は思わず胸の中で助けを求めた。
その祈りが通じたのか絶妙なタイミングで店員が日向が注文したサラダを持ってきた。
ほっと月夜が安堵の息をつく。
日向は大皿にたっぷりと盛られた色鮮やかなシーザーサラダを前に目を輝かせた。
「きたきた、美味しそう…月夜さんも食べる?」
「あたしはええわ、先に食べてくれてええで。」
「うん、じゃあお言葉に甘えてお先に、いただきます。」
日向がフォークを手にシーザーサラダを食べ始める。
ザクザクと豪快にフォークを扱いながら大口を開けて豪快に食べていくその姿が可愛らしかった。
そんな様子をみて月夜は思う。
容姿はともかく、性格はあまり母親である陽子と似ていないなと。
少なくとも陽子は月夜を揶揄うような言動はしなかったし、戦う女らしく気が強いせいか言動もツンケンしており、間違っても手をつなぐことをねだるような性格ではなかった。
この点は月夜も陽子の旦那である相棒も少し苦労した点である。
一方、日向は口調は柔らかく常に思わせぶりな言葉で月夜の心を惑わせる、その点では母親を思い出させない不思議な性格をしていた。
とはいえ容姿が似通っているせいもあり嫌でも月夜は日向のことを意識してしまうのだが。
そんなことを考えている間にどんどん他の料理が運ばれてきた。
ガーリックライス、Tボーンステーキ、リブロースステーキ。
それらを日向は大雑把にナイフで切り分け、口に運んでいく。
レアに焼かれ切り口からたっぷりの肉汁がしたたるステーキを美味しそうに頬張っていた。
月夜も普段頼んでいるミスジのステーキを切り分ける。
月夜の所作は美しかった。
人間社会に適応し一定の地位に立っていることで自然と身に着けたマナーである。
綺麗な一口サイズにステーキを切り分ける月夜に対し、大口サイズにステーキを切っていた日向が少し恥ずかしそうに身を縮こませる。
「ん、どしたん日向?」
「いや…あんまりマナーとか知らないから、月夜さん見てたら恥ずかしくなっちゃって。」
「気にせんでええのにそんなん、ここ、肉は美味いけど高級店ってわけちゃうし、回り見てみいや。」
日向は月夜に促されて周囲を軽く見回す。
たしかに客層を見るに一部の金持ちだけが集まるような雰囲気ではなかった。
皆思い思いに美味い肉に舌鼓を打ち、中には昼からワインを嗜んでいる者までいる。
ちょっと奮発して恋人を連れて来たと思わしきカップルから何かの記念日だと思われる家族連れ、独り休日を満喫している人間まで様々だ。
その様子に日向は安心する。
「たしかに、そうみたいだね。」
「せやろ?ほら…あのカップルなんて、あんまじろじろみたらあかんけどあ~んなんてしとるがな。」
こそっと月夜が日向に伝える。
日向もバレない程度にカップルに目を向けると、たしかに互いの肉を分け合いながら楽しそうにはしゃいでいた。
それを見た日向の目が一瞬輝く。
にっこりと笑みを浮かべ、月夜の方を向いた。
「…ねぇ、月夜さん。」
「ん~?」
「私もあんな感じで月夜さんにお肉、食べさせてもらいたいなぁ。」
「ん゛むぃ!?」
「ダメ…?」
「そ、そんなマナー悪い…いやたしかにあたしはマナーは気にせんでええって言ったけど…。」
「…。」
「うぅ…分かった…ほら、あ~ん。」
観念した様子で月夜は切り分けたステーキをフォークで刺し、日向に差し出す。
日向はにんまりと笑みを浮かべると、ゆっくりと口を開き、静かに差し出された肉を口にした。
「…うん!美味しいね、月夜さんがあ~んしてくれたからかな?」
「ここのシェフの腕がええだけや!」
「ふふ、そういうことにしとくよ。」
そう言って日向は自分の料理へと向き直り、次々と切り分けたステーキを口に運んでいく。
一方月夜はというと、日向の唇が触れたフォークを前にしばらく固まっていたが、意を決したように残っていた肉を切り分けて口にする。
じんわりと暖かかった。
肉の温度がフォークに移っている、そう分かっている。
だが月夜はその温度が日向の唇が残した温度、その温もりが残っているように錯覚してしまう。
じっくりとキスでもするかのように月夜はフォークを口にし、ゆっくりと外す。
自身の変態チックな行為に少しばかり嫌悪感を覚えながらも、月夜の心は昂ぶっていた。
…あたし、このまま日向と過ごして大丈夫やろか。
絶対に手など出さない、そう陽子に啖呵を切ったはずなのにと月夜の心に不安が渦巻いた。
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