夜の校庭の真ん中で、俺と千歳は仰向けになって横たわっていた。
夜の校庭の真ん中で、俺と千歳は仰向けになって横たわっていた。
壮絶な戦いの末、先に千歳が限界を迎えて倒れ込み、彼女を守りながら戦っていた俺もとうとう力を使い果たした。
お互いの息遣いが聞こえる。静寂の夜に呼吸の音だけが響く。
勝負あったと判断したのか影の軍勢は襲ってこない。
密やかで真っ暗な夏の日の夜。
もしも今、真上に星空が見えていたなら、それはきっと素敵な天体ショーになっていただろう。
「なあ、千歳……生きてるか?」
ようやく少し喋れるようになって、同じように隣で仰向けに倒れている戦友にそっと声をかけた。
「生きてますよ」
切れ切れの息の音に混じって呟く声が返ってきた。千歳はさらに続けて不満そうにぼやいた。
「星、見えませんね」
「そうだな」
どうやら同じことを考えていたらしい。
それを彼女に伝えようと思ったが、疲れたせいか言葉を考えているうちに有耶無耶になってしまった。
代わりに、重くのしかかるような寂しさが襲ってきた。
そういえば、今日は夏休み最終日だったな。
明日からは学校。ていうか、今も学校にいるんだっけ。ここはふかふかなベッドの上じゃない。砂利混じりの校庭の土の上だ。
それでも、半日後には普通に登校してきて、教室の席に何食わぬ顔で座っているだろう。
それは至って自然なことなのだ。
ずっとわかっていたはずだった。
だけど、こうして真っ向から全力で戦ってみて改めて思い知った。
大きく深呼吸をし、握りしめたままだった懐中電灯を静かに置いた。
そのままゆっくり両手を使って体を起こし、辺りの様子をじっくりと見渡してみた。
だが不思議なことに、先ほどまで周囲を囲んでいた影の軍団の姿はどこにもなかった。
目を凝らして探してみても、人の形をした影は一切見当たらない。
「先輩、あれ……」
隣で起き上がった千歳が唖然とした表情で空を指差していた。
「どうした?」
言われるがまま指し示された方向に目を向け、すぐに絶句した。
星の光を遮っていた夜空の大きな黒い影が、すべてを丸ごと飲み込むような重圧感でこちらに接近していた。
この世のあらゆるものを凌駕し、圧倒するような光景。
あの影に比べたら、俺たちはなんて小さいのだろう。
押し迫まってくるのを為すすべなく呆然と眺めながら、俺はようやくこの戦いの真相を理解した。
星空を覆う巨大な影そのものが、最強の敵の姿だったのだ。
「これは勝てないな」
降参だとばかりに俺はため息を吐いた。今すぐ両手を挙げて投降したい気分。いっそ清々しささえ感じてしまう。
こんな結末で良かったかな、千歳。
語りかけるように横目でそっと彼女の姿を窺う。
千歳は真っ直ぐ夜空を見上げていた。
最強の敵、世界のすべてを覆い尽くすほどの黒い影が迫り来る様子を、彼女は声も出さないまま黙って見守り続けていた。
その瞳に……。
その頬に一滴の涙が伝ったのが見えた。
「ヒーローが諦めていたらしょうがないよな」
暗く深い闇夜の下、一人の男が威勢よく立ち上がっていた。
千歳ははっとしてこちらを振り向いたが、俺は彼女と目を合わせることなく、空から迫る比類なき巨大な敵に向けて睨みを利かせた。
少し回復したのか意外にも体は軽く、想像していたよりもまだ動き回れそうだった。
「勝負は最後までわからないっていうところを見せてやるよ」
最高にかっこつけた言葉を残し、俺は灯りのない暗闇の校庭を駆け出していた。
どうして戦い続けるのか。
馬鹿みたいに走り出した俺を見て、おそらく天下無敵の上空の影はあざ笑っていることだろう。
だけど、教えてやるつもりはない。あの敵にこの感情はわからない。
千歳皐月は泣いていた。
涙の理由も、その意味も俺は知らないけれど。
でも、それだけで充分だ。
彼女が涙を流していたという事実一つで俺は戦える。どんな敵であろうと立ち向かえる。
夜の校庭の片隅。無造作に置き去りにされていたリュックサック。
日の目を見ることのなかった『最強の敵と戦うための武器』が、鞄から突き出して使い手が現れるのを待っていた。
駆け寄って、俺は力強くその武器を引き抜いた。
手に伝わる木の感触は妙に懐かしく感じた。それと同時に、微笑ましいほどの勇気が自然と体の中に流れ込んできた。
これであの敵を斬る。
固く誓うように武器を持った手をもう一度ぎゅっと握り込んで、決着をつけるために校庭の中心へ走った。
極大の影が空から間近に迫っていた。
それと真っ向から対峙する構図を選び、俺は一人足を止めた。
夜風が音を立てて急激に吹き荒れる。黒い嵐は恐ろしいほどの凶暴さでこちらを飲み込まんとしていた。
かろうじて目を開けていると、世界を覆う影がにやりと笑った。
――最強の敵、か。
大胆不敵な笑みを見て、俺はこの世の仕組みが身震いするくらいにわかってしまった。
目の前の相手が『最強の敵』と言われる所以。
それは強大な矛を持っているからでも、鉄壁の盾を持っているからでもない。
そいつと戦う奴が絶対に勝てないと思っているからだ。
俺は最後まで抗うことができるだろうか。
――勝ってはいけないかもしれないこの敵に。
「答えは決まってるんだ。悪いな」
負けじと挑戦的な笑みを返し、持っていた武器を腰に据えた。
怖さはいつまでもなくならない。今だって影が放つ恐怖の波動に心と体が押しつぶされそうだ。足が竦む。手も震えている。
でも、俺はもう逃げない。奪われたくないものがあるから。
この場所で最強と呼ばれているあの敵を斬る。
「先輩!」
轟音の中で千歳の叫ぶ声が聞こえた。
眩しい光が顔に当たる。懐中電灯の光だった。彼女は届くところまで来て寄り添うように照らしてくれていた。
スポットライトに包まれた舞台の上。
輝かしい光を身に纏い、最強の敵を迎え撃つため構えの姿勢に入る。
昔から、俺は正義のヒーローになりたかった。
さすがにこんな場面は想像してなかったかもしれないけれど。
もっとかっこいい姿をイメージしていたかもしれないけれど。
それでも、なくさないで持っていて良かった。
果てしなく広がる黒い影が、すべての光を封じ込めるような凄まじい勢力でこちらに飛び込んでくる。
――今だ。
この瞬間を待っていたんだ。長い間ずっと。
俺は全身全霊を捧げて、『修学旅行のときに買った木刀』を勢いよく振り抜いた――。
斬り裂いた影の向こうに、星が見えた。
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