自転車を漕いでいる。

 自転車を漕いでいる。学校へと続く夜の道をひたすら進んでいく。


 背中に背負ったリュックからは『ずっと使い道のなかったもの』が収まりきらずに突き出している。もともと詰めてあった教科書やノートはすべて家に置いてきた。


 空には瞬く星が見える。担いでいるのが望遠鏡だったら天体観測でも始められるのだろうが、あいにくそのようなものは用意していない。


 夏の夜空の下、こんなものを持ってチャリを漕いでいるのは俺くらいだろう。


 今日で本当にすべてが終わる。この夜が明けたらまた明日から学校が始まる。


 だから今宵、決着をつける。


 最強の敵と戦うために、ヒーローが自転車に乗って駆けつける。


 俺は全力でペダルを漕いだ。


 夜の通学路を過去最高速で突き進み、やがて校舎が目視できる位置まで到達した。


 そこまで来て、はたと気づく。


 ――学校の門、この時間に開いてるのか?


 そんな初歩的な問題に今更ながら思い至ったが、運良く校門の鍵は閉まっていなかった。無事に自転車で侵入に成功した。


 まったくどんなヒーローだよ、と自嘲しつつ、俺は律儀にいつもの指定された駐輪場に自転車を停め、灯りのない暗闇の校庭の方角へ駆け足で向かった。


 夜の学校に人の気配はなかった。敷地の奥へと足を踏み入れるごとに静けさと暗さが増していき、普段は運動部などが頻繁に行き来している校庭までの抜け道も、どこか別の場所へ繋がっているかのようだった。


 走りながら空を見上げると、先ほどまであったはずの星々が黒い影に覆われて見えなくなっていた。


 いっそう不気味さの増す校舎の間を駆け抜け、ついに俺は開けた空間へと躍り出た。


 学校の校庭。電話で告げられた場所。


 見慣れた景色とは違って深い夜の闇に包まれたその舞台の真ん中で、輝く一筋、いや二筋の光が見えた。


 光の発信源はおそらく両手に収まった懐中電灯。その所有者は……。


 千歳皐月だ。彼女は天にも轟くような闘志剥き出しの気合いの声を張り上げながら、勢いよく前方へ向かって突進していった。


 その先にいるのは……。


「なんだよ、あれ」


 びくついて思わず声が漏れる。


 千歳皐月と対峙しているのは、まるで人を象ったような無数の黒い影。


 それらが人間離れした動きで素早く飛び回って次々と彼女に襲いかかっていた。


 その影を懐中電灯の光の剣が斬り裂いていく。


 真っ二つになった影はその場で消滅する。だが、ほぼ同時に暗闇の中から同じ形をした影が登場し、光を放つ千歳のほうへ近づき襲撃していく。


 もう何分そうやって戦い続けているのだろう。


 さすがに彼女の動きにも疲労が見え、周りを囲む影の集団の素早い攻撃に対する反応が鈍くなっていた。


 そして、ほんの一瞬、彼女の足が止まった。


 その隙をついたかのように斜め後ろの敵が襲いかかる。


 しまった、と千歳は無理やり体を反転させ対処する。しかし足がついていかず、斬り捨てた影が消えるのと入れ替わるように彼女の全身は地面に打ちつけられた。


 衝撃で左手に持っていた懐中電灯がころころと転がった。


 ――まずいっ!


 考えるよりも先に俺の体は動いていた。


 背中に背負っていた荷物を投げ捨て、滑り込むようにして転がる懐中電灯を拾いながら、起き上がろうとする千歳のもとへ最速で辿り着く。


「せ、せんぱ……」


「千歳、少し借りるぞ」


 迷っている暇はない。すぐに俺は低い体勢から足を蹴り出し、迫り来る影に対して光の斬撃を繰り出す。


 千歳もよろめきながら立ち上がり、息を切らしつつも手の残ったもう一つの光の剣を構えた。


「先輩、なんで来ちゃったんですか?」


「なんでだろうな」


 背中合わせに会話をする。周囲を取り囲む影の軍団はこちらの様子を不気味に窺っていた。


「普通、ここはもっとかっこいい台詞を言うところだと思うんですけど」


「ここまで来るのに必死だったんだよ」


「まあ、それも先輩らしいですけどね。わざわざ負ける戦いで一緒に戦ってくれる風変わりなヒーローは先輩しかいません」


「悪かったな。俺は物好きなんだ」


 周りを囲んでいた敵が一斉に動き出す。遅れまいと俺たちは外へ向けて足を踏み込む。


 再び激しい戦闘が始まった。


 どうして来たのか。簡単には答えられない。それを完璧に説明しようと思ったら、きっといつまでもここには来られなかったはずだ。


 一体、また一体、と迫り来る影。どれだけ斬ってもまた現れる敵に対し、休むことなく光の剣を振るう。


 今度は前方から敵三体が同時に接近してきた。一体は上に大きく跳ね上がり、二体は両脇から挟み撃ちにするように迫ってくる。


 俺は倒れるのを覚悟で、後ろに大きくジャンプしながら回転斬りを放った。


 両側からの敵をなんとか排除したのも束の間、上へと飛んでいたもう一体が着地し、足がもつれ不十分な体勢で地面に倒れ込んでいる俺に向かってくる。


 だが、その動きはちゃんと目に入っていた。懐中電灯を持つ右手に力を入れ、体が倒れて打ちつけられる寸前、近づいてきた敵に一撃を加えて退ける。


 直後、地面に勢いよくぶつかり全身に衝撃が走る。くらっとなり吐きそうになる。


 が、直感的に危険を察し、反動を使って体を地面の上で転がす。一秒遅れて、俺が元いたところに見えていなかった別の敵が一体飛び込んできた。


 その影は俺の回避に気づいてこちらに追撃してきた。


 けれど、それよりもわずかに速く体勢を整えた俺は、片膝立ちの状態で飛び込んでくるそいつをかろうじて斬り捨てた。


 こんなぎりぎりの戦闘、いつまで持つのかわからない。


 いつかは力尽きてやられてしまうのかもしれない。


 それでも確かなのは、俺は今、千歳とこの場所で戦っているということ。


 まだ戦えるということ。


「先輩、後ろっ!」


「わかってるよ」


 千歳を攻めていた敵一体が俺の背中側から迫っていた。


 俺は片膝立ちの格好から跳躍し、振り向きざまに光の太刀を振るった。


 しかしその攻撃は読まれたのか、黒い影は素早い動きで後ろに飛び、光のリーチが届かないところに退避していた。


「そんな動きもできるのかよ」


 距離を置いて見合った影の敵に対し、皮肉めいた笑みを浮かべてやった。


 千歳の体力はもう限界なはずだ。ならば、俺が一体でも多く引き受けるしかない。


 だけどそうも言っていられないのは、ひどく息が上がってきた自分自身が一番理解している。


 それでも、千歳皐月という人間のために最後の瞬間まで戦いたい。


 敗北するそのときまで一緒にいたい。


「まだ終わらせないぜ」


 震える右手に力を込め、影に向かって疾風のごとく突進した。


 すべてが終わった後にどんな未来があるのか。今はそんなことはどうだっていい。


 ただこの瞬間がとても怖くて、ちょっぴり楽しくて、そしてどうしようもなく愛おしい。


 千歳皐月と出会わなければ、こんな戦いがあることに気づけないままだっただろう。


 だから、彼女には心から感謝している。


 光の矛先が敵を貫く。また一つ、黒影が消える。


 されど、新たな敵は俺たちの前に続々と現れる。


 際限なく襲い来る黒い影。


 手にした光で、その闇の一つひとつを照らしていく――。

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