それでも時間は過ぎていく。

 それでも時間は過ぎていく。


 やがて、落ちてきた太陽の下の部分が海の向こうに隠れ始めた。


 それまで散々無邪気にはしゃぎ回っていた俺と千歳は、制服が汚れるのも気にせずに砂の上に体育座りで座っていた。


「夕陽が海に沈んでいきますね」


 初めて見るかのような純粋な表情で、千歳は真っ直ぐ前を見つめていた。


 頬に当たるひんやりと冷たい海の風。


 燃えるような赤と淡いオレンジの光が水面に揺れていて、沈黙を埋めるように波の打ち寄せる音が聞こえてきた。


「わたし、今ちょっと感動しています。この景色に。それから自分自身にも」


 彼女はこちらを見ないまま、独り言みたいに呟いて少し笑った。


「こういうのを見てまだ心が動かされるんだなって。感じる心をまだ敵に奪われてなかったんだなって。最後にそれがわかって良かったです」


 千歳が言っていることの意味なんてまったくわからなかった。


 いや違う。俺は彼女の言葉について深く掘り下げることをあえてしなかったのだ。


 多分、そうすることが正しいと最終的には信じ込んでいたから。


 それが大人になるための通過儀礼であるのだと。


 そこから逃れることを本気で考えちゃいけない気がしていた。


 だから、取る行動の真面目さも不真面目さもその敷かれたレールの上でのことでしかなかった。どれだけ何かに抗うような素振りをしていても、太陽が沈んで夜が訪れるような必然を心のどこかでは受け入れていた。


 この頃の俺は、きっとそうやって生き残ることを選んでいた。


「先輩」


 隣から呼びかけられ、夕暮れの海を見ていた俺はちらっと千歳のほうを振り向いた。


「先輩は……」


 彼女は言葉を切って、今まさに夕陽の沈んでいく大海原を眺めながら、現在へと繋がる『あの質問』を投げかけてきた。


「朝焼けを見たことがありますか?」


 それに対し、ろくに考えもしなかった俺の答えは……。


「あるでしょ。普通」


 咄嗟に出たのはそんな台詞。なんだったら馬鹿にしてるのかというくらいの反発的な返事になっていた。


「そうですよね」


 想定と違ったような、でも想像通りだったような、曖昧で複雑な表情をして千歳はため息を吐いた。


 会話はそのまま途切れてしまいそうだったが、波が行ったり来たりするのを幾度か挟んで再び彼女は口を開いた。


「見たことないんですよ、わたしは」


 俺はもう一度彼女のほうに視線をやった。どういう意味だと問うたつもりだったけれど、彼女はこちらを振り向きはしなかった。


 静かに押し寄せる波のように、ゆっくりと言葉だけが流れてきた。


「だからこそ、長い間ずっと憧れてきました。でも、この『見たい』っていう気持ちがいつかなくなっちゃうんじゃないかって思って。それが怖くてたまらなかったんです」


 どうしようもなく理解できそうで、どうしても理解してしまうわけにはいかない。


 矛盾してぶつかり合った感情は俺に沈黙を選ばせた。千歳は自嘲気味に笑って続けた。


「こんなこと誰にも相談できないじゃないですか、普通は」


「……普通はね」


 同調してかろうじて呟いてみたが、先を行くように千歳は表情を変え、前方の海を見据えていた。


「だから、先輩と出会えて良かったです。じゃないと誰にも知られないまま、一人でなくしちゃうところでしたから」


 俺たちは広い砂浜の上で隣同士並んで座っていた。


 状況はまるで二人きり。でも、そんな気は一切しなかった。


 千歳はどこか遠く、例えばちょうど海の上を飛んでいた小さく目に映る鳥の位置くらい、遥か彼方へと離れていってしまったように思えた。


 世界にはだんだんと青く冷たい夜が迫っていた。


 沈みゆく夕陽は赤く燃え、夜に変わる景色の中で一際強く輝いて見えた。


 夕焼けの海の終わりが刻一刻と近づいていた。

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