ホームに設置された駅名標を見て、海がありそうな名前の駅だなと思った。
ホームに設置された駅名標を見て、海がありそうな名前の駅だなと思った。
下車した後、俺たちは改札を抜け、案内の看板に従って海岸のほうへと向かった。表示によればどうやら歩いて行ける距離にあるらしかった。
夕焼けに染まった駅の外は潮風が強く吹いていた。
肝心の海は周りの建物に阻まれてすぐには見えなかったが、歩いているだけで海のある街に来たことを匂いや肌で感じられた。
加えて、海水浴のグッズを抱えて持ったいかにも海帰りの格好をした集団ともたくさんすれ違った。どの人も日に焼けた顔で楽しそうに笑っていた。きっと最高の夏の思い出ができたのだろう。
そんな騒がしくも賑やかなテンションの彼ら彼女らと入れ替わるようにして、俺と千歳は黙々と海のある方向へ歩みを進めた。
車が行き交う夕方の大通りを渡ると、やがて視界の先に波の打ち寄せる砂浜が見えてきた。
「少しだけ浜辺を歩きませんか?」
着いた途端、千歳がはにかんだような笑みを浮かべた。俺たちは淡く輝く柔らかな砂の上へゆっくりと足を踏み入れた。
海岸にはまだ人の姿がちらほらと見受けられた。
はしゃぐ子供たち、犬を散歩させる人、並んで座るカップル、その他いろいろ。夕陽と海を前にそれぞれが思い思いの時間を過ごしていた。
俺と千歳もそんな誰かの足跡がたくさん残った夕景の砂浜を並んで歩きながら、他愛もないようなことを話し始めていた。
「わたし、こういうの夢だったんですよ。学校帰りに海に寄って砂浜を歩くっていうやつ」
「いや、学校帰りっていうほど学校帰りじゃないような。一応、学校帰りではあるけど」
「先輩、何をごちゃごちゃと言ってるんですか?」
「気にしないでくれ。まあ、千歳の言いたいことはわからなくもない」
もしも、海の近くに通う高校があったら。
そんな妄想じみた想像をしたことが実は俺にもある。
特段海が好きというわけでもないのだが、そういうロケーションで学校生活を送るということに多少なりとも憧れがあったのだ。
潮風の通学路。海の見える校舎。
近くにあったってどうせろくにその環境を活かせず、多分実際に歩んだ現実とそれほど違わない日常だっただろうけど。
それでもたまにはふらふらと訪れて、感傷的な気持ちで海を眺めているような放課後があったかもしれない。
なんてことを思いながら、俺はオレンジ色に染まる海へそっと目を向けた。
「時間帯はばっちり学校帰りだな。夕陽に砂浜に海。映画でも撮るんなら最高のシチュエーションだ」
映画制作の予定などまったくないのになんとなく思いついてそう言うと、隣の後輩はにっと不敵な笑みを浮かべた。
「浜辺を歩く姿、動画に残しておきましょうか、先輩?」
「遠慮しておこう」
「えー、そんなこと言わずに。ほら、笑ってください」
「いいって。撮るなら景色のほうにしてくれ」
俺は携帯を構える千歳から逃れるように身を動かしつつ、映らないようにレンズに向けて両手を差し出した。
「まったくしょうがないですね」
彼女は呆れた表情で抵抗する俺を見逃し、被写体を海に変更して動画や写真を撮り始めた。
そういや今更後悔しても仕方がないことなのだけど、当時の俺は携帯があったにもかかわらずそういう類いのものを全然撮らない人間だった。
それが特別悪いというわけではない。
ただ、たとえ古いカメラで解像度が今よりも荒かろうと、何気ない一秒や一枚が後々貴重な資料になったりすることも多い。高校生活の一場面を切り取った何かがあれば、それによって思い出せることもたくさんあっただろう。
千歳との思い出も同じだ。
どこかの名無しの公園や定番のファミレス、学校からの帰り道に夏祭りの夜。
それから、この夕焼けの海の光景も残しておけば……。
なんてことを思ったりもするけれど、結局はすべてをそのまま保存しておくことなどできないのだ。
だから、そこにいた自分が何を感じていたのかを俺は大切にしたい。
この千歳とどうでもいい会話をしていたわずかな時間。
俺はまるで何かから解放されたような心地だった。
それは完全に自由というわけではなかったけれど、そのとき手に入る範囲での最大限のリバティだったのだと今では思う。
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