朝目が覚めてベッドから起き上がったとき、ふと「今日が最後の日だな」と思った。
朝目が覚めてベッドから起き上がったとき、ふと「今日が最後の日だな」と思った。それだけははっきりと覚えている。
だが、それは夏休み最終日のことではなかった。
高校三年生の夏、長期休業の終わりがあと数日に迫っていた朝、俺は千歳との勉強会が今日で終了することを意識しながら身支度を整えていた。
この日は俺も千歳も学校で授業があった。終わり次第、定番のファミレスに行って落ち合うことになっていた。
千歳の追試は二日後。
だから、先輩として直接会って助言できるのもおそらくこれが最後。
そう思いながら、俺は静かな決意を胸に学校へ向かった。
大学受験用の講義は、この日も見慣れたいつも通りの光景が続いた。
黒板の前で熱心な口調で話す先生。その言葉をそれとなく聞いてノートをとっていれば時間は勝手に過ぎていく……。
はずだったが、午前中の授業終了時刻が迫った頃、壇上にいた先生が突然「見てほしいものがある」とおもむろに口にした。
なんだろうと顔を上げたら、先生は黒板に何かを書き始めた。
数字だった。
口頭で「これが大学入試までの残り日数だ」と説明が加わった。
俺はしばらくその数字を眺めていた。
長いとも短いとも言えない、というのが俺の抱いた感想。
ただ、受験勉強の忙しさの中でその日々は過ぎていってしまうのだろうという予感はした。
多分これから先、やらなくてはならないことはさらにどんどん増えていく。
おそらく自分のスペック的に全部はこなせなくて、受かるかどうか怪しい中途半端な状態で本番を迎える。
さらに言えば、周りの雰囲気もより切羽詰まったものになる。
だから、俺もその空気にのまれて余裕がなくなる。何をする余裕なのか知らないけれどとにかくなくなる。
であれば、今のうちに何かをしておかなければならない。
そういう焦燥感みたいなものが募っているのは自分でも認識できた。
だが、何をすればいい?
受験勉強を差し置いてまでやらなければならないことなどあるか?
そう考えると、結局自分にはそこまでの強い意志はなかった。周りが言うように大学への合格を目指して勉強することが、これからの自分の人生を良くする上で最も重要だという結論に達する。
別に間違ってはいないはずだった。
大学受験は個人の将来を大きく左右するものであり、その受験が今から遠くないうちに行われる。
ならば、今のうちにしておくべきことの答えが「受験勉強」になるのは当然の帰結である。
だったら……。
どうにももどかしいこの気持ちは、いったいどこから生まれてくるのだろうか。
答えなど出ないまま時計の針は進み、解消しないもやもやを抱えたまま午前中の講座がすべて終了した。
俺は午後にも一つ授業を選択していたため、昼休みの時間帯に軽食を取り、午後の講義に参加するための準備をしなければならなかった。
だが、頭の中には黒板に書かれたあの数字が焼きついて離れなかった。
それはおそらく今後一つずつ数を減らしながら、いつまでも寄生するようにそこにあるのだろうという気がした。
それでもなんとか食事だけは済ませ、俺は次の授業が行われる教室に早めに移動した。
席に着くと、講義の開始までには少しばかり時間があった。
今のうちに千歳に連絡を取っておこう。そう思って携帯を取り出した。
彼女は午前中に補講を終えているはずだった。
こちらの予定は知っているから、先にファミレスに行って昼飯を食べながら待っているか、もしくは別の場所で過ごしているかの二択だった。
訊いておこうとして質問のための言葉を入力する。
だが、うまく文章がまとまらなかった。迷わずに「今どこ?」とでも書いて送信すれば良かったのかもしれないが、なぜか気軽に尋ねることができなかった。
何度か書いては消しを繰り返し、結局最後は送るのをやめた。
あとでどっちみち会うことになるのだ。今ここで無理に連絡をする必要はないだろう。
そう自分に言い聞かせていると、再び頭の中にはあの数字が浮かび上がってきた。
迫る大学入試。そこから逃れることはどうしたってできない。受験を放棄することなど自分には不可能だ。
高三の夏休みが終わる。あとはどっちみち会わなくなる。
だとすると、俺が彼女のためにできることは一つしかないはずだ。
幾度となく迷わせるその結論にそっと鍵をかけるように、俺は携帯を制服のポケットにしまった。
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