花火が終わると、それが祭りの終わりの合図だった。

 花火が終わると、それが祭りの終わりの合図だった。


 橋の上に立っていた人たちは三々五々と散っていき、俺たちも言葉少なに駅のある方角へと歩き始めた。


 つい先ほどまで活気のあった屋台周辺は、花火の終了とともにほとんどが店じまいとなっていた。撤収の段取りを踏みつつ、売れ残ったものを販売するところがほんのわずかにある程度だった。


「先輩、かき氷とか食べませんか?」


 千歳はそういった店の一つに目を付け、楽しいことを見つけた子供みたいに提案してきた。


「まあ、どっちでも」


「じゃあ一緒に食べましょう」


 曖昧な返事をしたら半ば強制的に実行に移されてしまった。


 お店にはシロップの入ったボトルが並べられていた。自分で好きなものを選んでかけられるシステムだった。と言ってもすでに閉店間際、使われてしまったのかほとんどが空になっていた。


 俺は店主にお金を渡して削られた氷が入ったカップを受け取り、残されたシロップの中からブルーハワイ味を選んで上からかけた。千歳はイチゴ味の赤いシロップを最後の一滴まで必死に絞り出していた。


 購入後、俺たちはかき氷片手に座る場所を探して彷徨った。


 しかし、都合良くベンチなどは見つからなかった。仕方なく祭りの通りを眺めるようにして立ちながら食べることにした。


「大丈夫か?」


 横に立つ千歳に声をかけると、彼女は意外そうにこちらを見てきた。


「気遣ってくれるんですね」


「だってその格好だし」


 近くの街灯の光で淡く照らされた千歳の姿。


 品のある紺色の浴衣も、歩くたびにカランと鳴っていた下駄も、こんなふうに突っ立っているのには適さない。


 だが、心配してあげたのにもかかわらず彼女にはむっと睨まれてしまった。


「格好の問題ですか? もっと他にいろいろあると思うんですけど」


 深いため息を吐かれてしまったので、俺はとりあえず「ごめん」と一言謝った。


 気遣うポイントは確かにいろいろある。


 例えば千歳は後輩だし女の子である。着ているものや履いているものを理由にしないで、そういうことに着目して言葉をかけてあげるべきだったのかもしれない。


 あるいはそれすらも見当違いだった可能性もある。


 単純に後輩だとか女の子だとかそういうカテゴリーの問題じゃなくて、もっと『千歳皐月』だけに向けられた言葉を彼女は欲しがっていたのかもしれない。


「……でも、ありがとうございます。かき氷溶けちゃいますし食べましょうよ」


「そうだな」


 少しのやり取りを交わし、俺たちはかき氷を食べ始めた。


「結局、食べ物全制覇はできませんでした」


「そりゃそうだろう」


 冷たい氷を口に運びながらときどき会話を進めていく。


 またしばらく無言が続いて、ふいに千歳が懐かしむように語り出した。


「こうやって二人でかき氷食べてると思い出しません? あのときは棒付きのアイスでしたけど」


「ああ、バドミントンで勝負をした日か」


 実際はそんなに前の話でもなかった。


 夏休み前半の、千歳と知り合ってまだそれほど時間が経っていないときのこと。


 夏の暑い太陽の下での対決の後、俺たちは並んでアイスをかじっていた。


 そういえば偶然ではあるが、俺がそのときに食べていたアイスもブルーハワイの色に似ていた。


 重なる二つの思い出はどちらも青い色。


 けれども味は違った。ていうか、ブルーハワイが何味かよくわからないから説明のしようもないのだが。


 記憶を掘り起こしていると、千歳は先ほどと同じような調子で回顧を続けた。


「あれってついこの間のことなんですよね。結構前のことのような気がするんですけど」


「そうだな。俺の体感的に三か月は経ってる」


「三か月前ってわたしたち出会ってすらいないですよ」


「だよな。そもそも全部夏休みになってからの出来事だし」


 高三の夏休み。実際何に一番時間を費やしたかと訊かれたら、やる気がなかったとはいっても受験勉強だっただろう。


 彼女と過ごした時間なんて、計算すればごく短いものでしかなかった。


 それでも、そのほんのわずかな一時が苦しい受験勉強の支えになっていたことを、俺はこのときにははっきりと自覚していた。


 そしてそんな日々にももうすぐ終わりが来ることを、俺も、それからおそらく彼女も感じていたと思う。


「夏休み……終わっちゃいますね」


 千歳は言おうか言うまいか迷ったような間を挟んで悲しげに微笑んだ。


「ああ、終わっちゃうよな」


 俺は会話にならない言葉を返し、再び黙考に入り込んだ。


 残り日数を冷静に考えれば、終わってしまうと嘆くにはまだ少しだけ早い気もした。


 だが、一度終わりというものを意識してしまったらそこから目を背けることは難しい。


 何かに操られたように顔を上げると、目の前の通りでは帰路に向かう人たちが思い思いの表情で歩いていた。


 そこから伝わってくる夏祭りへの感想は様々で、老若男女一人一人に彼ら彼女なりのストーリーがあったことを窺い知ることができた。


 祭りの終わりは、物語の終わりに似ているのかもしれない。


 長く読み続けてきた小説がラストを迎える前の、あのなんともいえない寂しさに近い感情が、俺と千歳の間にも触れてしまえるような距離で存在していた。


 青と赤のかき氷はすでになくなり、ここにいる理由もなくなった。


 身体が冷えたせいか思ったより寒く感じる夏の夜風を浴びながら、俺は隣の千歳にそっと話しかけた。


「帰るか?」


 短く一言。余計な言葉は一切なしで問う。しかし、千歳は小さく首を横に振った。


「まだちょっと帰りたくないです」


「……そうか。まあ、駅も今は混んでるだろうしな」


 彼女の呟く声に引っ張られるように、俺は歩き出そうとした身体を元の位置に戻した。


 千歳がそう言うのなら仕方ない。


 駅がどうというのは口をついて出た後付けの理由に過ぎなかったが、帰るまでの時間を延長する都合のいい口実にはなった。


 俺は大きく息を吐いてから再度千歳に話を持ちかけた。


「だったら神社にでも寄っていこうか? この近くにあるんだけど」


 その提案は意外だったのか、振り向いた千歳は目を丸くしていた。


「お互いの試験合格を祈願するためにも、な」


 これも取って付けたものであることは自認していたが、言葉自体に嘘はなかった。


「行きましょう、先輩!」


 元気な声に今度は俺が目を丸くする。眼前に立つ千歳は踏ん切りをつけるような笑顔で俺を見上げていた。


 だから、俺のほうもできる限りの明るさを持って応じることにした。


「よっしゃ、行くか!」


 勢いよく手を叩いて、迷わぬうちに足を踏み出す。


 それに千歳が数歩遅れてついてきた。すぐにその差が半歩になった。


 夢のような祭りが終わり、家へと帰る人たちの流れに逆らって、俺たちは夜の神社へと向かった。

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