自転車を漕ぐこと数分、すっかり通い慣れていたファミレスに辿り着いた。

 自転車を漕ぐこと数分、すっかり通い慣れていたファミレスに辿り着いた。


 短い時間の移動とはいえ、夏の熱気は容赦なく顔や身体に降り注ぐ。制服の白いシャツには汗が滲んでいた。


 俺は店の外にチャリを停めて入店し、応対する店員に先客がいることを伝えると、そのまま迷わず奥へと進んでいった。


 真夏のうだるような暑さには必要不可欠な冷房の効いた店内。


 その中で入り口からは死角になっている場所がある。


 窓際の隅のソファー席。


 俺と千歳はだいたいいつもそこに座っていた。


 だから、たとえ彼女から席の位置を知らされていなくても、姿を見つけられていなくても自然と足がそこへ動く。


 そして目に留まる。やはり先に来ていた千歳はその場所を確保していた。


「どうだ? 捗ってるか?」


 近づいて声をかけると、勉強中だったらしい彼女はこちらに気づいて顔を上げた。


「先輩、いいところに来ましたね。今ちょうど終わるところです」


「そうか。それならよか……」


 座りながら言いかけて、いや待てと思い直す。


 様子が変である。普段だったらとっくに集中力が切れている頃だろうに、やけにやる気を感じられる。明るく見える笑顔もどこか怪しい。何か後ろめたいことを隠しているような雰囲気。


「今始めたところの間違いだろ?」


 推測して問いただすと、彼女は「ばれましたか」と可愛く誤魔化すように舌を出した。


「一応、少し前からやってましたよ」


 めげずにささやかな抵抗を示してきたので、俺は長期戦に備えていつもここに来ると頼むドリンクバーを注文し、その上で訊いた。


「それで、漫画のほうはどうなんだ?」


「どうしてわかったんですか?」


 千歳は目を丸くして驚いていたが、俺にとっては難しくない推理だった。


 おそらくだけど、彼女は勉強する前にここで漫画を描いていたのだろう。


 だって彼女の鞄が微妙に開いていて、その隙間から原稿らしきものが見えたから。


 けれども、そんな単純な仕掛けだとはまったく気づかない千歳は、さてはと心臓の辺りを両手で覆い隠すようにして身を引いた。


「もしかして透視能力の持ち主ですか?」


「あいにくそんな能力は持ち合わせていない。で、漫画は進んでるのか?」


 大げさなリアクションをする千歳には付き合わず、先ほどと同じトーンで再度冷静に尋ねた。


 すると、目の前の愛すべき後輩は胸を手でガードしたまま、探るようにじっと俺のことを見つめてきた。


「もしかして気にかけてくれているんですか、漫画のこと」


「だから訊いてるんだろ? ちゃんと完結させないといけないわけだし」


 俺がそう言うと、千歳は小さく頷いて下を向いた。


「そうですよね」


 一瞬だけ、とてつもなく寂しい表情をしたように見えた。


 でも、次の瞬間には純粋に困ったような顔でため息をついていた。


「実はどう展開させるか悩んでるんですよ。ちょっと行き詰まっているというか。まあ、プロットもなしに描き始めたわたしが全部悪いんですけど」


「できれば相談に乗ってあげたいんだが、漫画のことは俺には全然わからないからなぁ」


「少しだけ一緒に考えてもらえませんか?」


「別にいいけど」


 同意すると、千歳はお礼を述べつつすぐさま質問してきた。


「例えば最強の敵に立ち向かうとき、先輩ならどんな武器を持っていきますか?」


「……最強の敵か。武器はなんでもいいの?」


「はい。どんなものでも構いません」


 適切な返答をすべく、俺はしばし考え込んだ。


 詳しい説明はなく、条件も状況も定かではない。


 だからこそあえて自由に、最強の敵とやらに通用する武器について想像してみた。


「最強の敵と戦うわけだから基本的には使い慣れた武器がいいんだろうな。だけど、それだけじゃ多分勝てない。たいていの物語においてそういう敵は普通の武器では倒せない。最終的には何か特別な力が宿った武器が必要になる。で、それはストーリー上になんらかの形で出てきたりするんだよな」


 つらつらと思いついたことを言葉にしていくと、千歳は口をぽかんと開けたままこちらを見つめていた。


「どうかした?」


「いえ、なんでもありません。さすがは先輩だな、と」


 なぜか妙に感心されてしまった。


 いずれにせよ、千歳にはご満足いただけたようだった。


「その路線でもう一度わたしも考えてみます」


 アドバイスできたという実感はほとんどなかった。けれど、すっきりとした彼女の表情を見ていたら少しは役に立てたような心地がした


「そういえば先輩、ドリンクバーを頼んだのにまだ飲んでないですよね? わたしついでに持ってきますよ。いつものでいいですか?」


「おっ、悪いな。ありがとう」


 千歳は空になっていた自分のグラスを持って立ち上がり、楽しげな顔で席を離れていった。


 視線をテーブルの上に移す。


 そこに残されたのは……。


 開いたままの教科書、カラフルな文字と図形で埋められた勉強ノート、飾り付きの可愛いペンケース、シャープペンシル、消しゴム、多色ボールペン、付箋……。


 千歳の帰りを待つわずかな時間、俺は目の前に散らばった彼女の私物を眺めながら、ふと自分たちの現状について考察していた。


 その内容がどんなものだったのか。


 それを語るのは野暮だから、あなたの想像に任せようと思う。


 その代わりに、戻ってきた千歳が俺のために注いできてくれたジンジャエールについての感想をここで述べさせてほしい。




 ――いつもの味……じゃないなこれ。何かと混ぜただろ、千歳。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る