公園を出て、俺たちはコンビニエンスストアに寄った。

 公園を出て、俺たちはコンビニエンスストアに寄った。


 時刻は午後四時前。日の入りが遅い夏のこの時間はまだまだ暑かった。


 そんな中、店内に入って買ったのは安さに定評のある氷菓子。棒に「あたり」と書かれているともう一本もらえるやつだった。


 生暖かい風が吹く外に出ると、俺と千歳はすぐさま店の前で袋を開け、甘さと冷たさに飢えた人間らしく勢いよくかじりついた。


「あたりだ」


 食べる音に合わせて隣から独り言が漏れ出る。だが千歳のアイスを見ると、まだ「あたり」を確認できるほど木の棒が露出していなかった。


「それ新しく出たやつか?」


 つまり、千歳が言う「あたり」とは味のことだ。彼女の口元にあるアイスの色を俺は見たことがなかった。


 少なくとも、そのとき俺が食べていた昔からある定番の味ではなかった。


「新発売、かつ期間限定です」


 千歳は強調するみたいに答えてから、かじりかけの部分を見せびらかすようにこちらへ伸ばしてきた。


 まさか食べてみろってことか。


 ごくりと唾を飲み込むと、アイスの先にいた千歳は睨むような目つきで食べかけのそれを即座に引っ込めた。


「あげませんよ?」


「わ、わかってるって」


 慌ててこちらも身を引いた。一瞬でも千歳のアイスに口を近づけようとしてしまったことが恥ずかしい。間接キス、などという想像までしてしまったことを反省したい。


 俺は冷静さを取り戻すべく、冷たい自分のアイスを口に入れた。


「先輩は新しいものとかそのときだけのものとか興味ないんですか?」


「ないこともない。でもあまり冒険はしない」


「でもしたい」


 テンポよく千歳が続けたため、口の中に詰め込んだアイスでゴホゴホとむせ返った。


「わかりやすいですね、先輩」


 面白がるような笑い声が聞こえた。けれど、それもわずかな間のことだった。


「わたしも似たようなものですけど」


 ようやく呼吸を整えて千歳のほうをじっくりと窺ってみると、アイス片手に自分の髪の毛を指でいじりながら何やら考え込んでいた。


 しばらく隣で様子を気にしていたら、なんの前触れもなく突然彼女は体ごとこちらを振り向いた。


「先輩、クイズです! わたしにとっては新発売で期間限定のつもりだったけど、先輩にとっては当たり前でいつも通りのことがあります。さて、それはいったいなんでしょう?」


 明るく元気な司会者のようになって、正面から堂々と問いが投げかけられる。


 しかし、いきなり解答者となった俺はすぐに答えを口にできなかった。代わりに呟いたのは時間稼ぎの台詞だった。


「……難問だな。ちょっと考えさせてくれ」


 本当は一つだけ思いついた、いや思いついてしまった答えがあった。


 ――二人で過ごす、この時間。


 だが、それを正解だとは認めたくなかった。だから、必死に別の解答を考えた。


 千歳皐月が心の内でそんなふうに思っているかもしれないということを、俺自身が知らず知らずのうちにそんなふうに思っていたかもしれないということを、どうしても受け入れることはできなかったから。


 けれども、一度強く刻まれてしまった考えはなかなか消えてはくれなかった。


「降参だ。全然わからん。答えはなんだ?」


 結局、何も思いつかなかったふりをした。お手上げだと大げさにジェスチャーで伝え、千歳の正解発表を待った。


「ふっふっふっ、正解は……」


 コマーシャルでも挟みそうなくらいたっぷりもったいぶってから、千歳は自らの頭をすっと指差した。


「この髪型です。実は本格的にショートにするの、今が人生初なんです」


 少しはにかみながら、顎の辺りまである髪の毛を撫でるように優しく触る。


「ヘアスタイルとか周りが意識するようになって、わたしもいろいろ雑誌とか読んでみたんですよ。けど、わたしは正直そこまでそういうの興味がなかったというか、いちいち変えたりするほうが面倒くさいって感じでこれまで適当な長さでずっと過ごしていました」


 髪を撫でていた千歳の手が胸の辺りまで下りて止まった。そのくらいまであったということらしい。


「でも今年の夏、一度だけ、と思って短くしてみました。先輩と出会ったときにはすでにこの髪型でしたから、わたしにとっては新鮮で今だけのつもりだったのに、先輩にとってはおそらく当たり前でいつも通りですよね?」


 同意を求める視線を向けられ、俺は頷いていた。


 先ほど、彼女が手で示した辺りまで髪の毛が伸びている姿を想像してみる。


 だが、目の前で見ていても鮮明な像を作り上げることはできず、彼女にとっては当たり前だったその容姿は俺にとってはいつまでもぼやけたままだった。


「髪の長い千歳とか想像できない」


「えー、それってあり得ないってことですか? 女子に向かってひどいこと言いますね」


「なんでそうなるんだよ? 実際に見てないからわからないだけだ。もしもっと早く出会っていたら……」


 見ることができたのに。


 あまりに現実的で、あまりに理想主義的な理論だから、終わりまでは言わなかった。


 思考を切り替えて、現代的な奥の手を導入することにした。


「写真とか残ってないの?」


「えっ、そんなに見たいんですか? もしかして先輩、ロング派ですか?」


「いや、女子の髪型にこだわりはない。似合っていればだいたいどれも好きだ」


「変な方向に振り切らないでください。写真、見せませんよ?」


「あ、あるんだ」


 むっと頬を膨らませながらも、千歳はポケットから片手で最新鋭の携帯を取り出して操作し始めた。


「これとかどうですか? 入学式のときのですけど」


 差し出された携帯の画面を覗き込むと、家の門の前らしきところで初々しい表情をした千歳が恥ずかしそうにピースサインをしていた。


「この頃はまだ純粋でした」


「入学後の四か月でいったい何があったんだよ?」


 突っ込みを入れたが、特にリアクションもなく千歳は淡々と続けた。


「あまり自分の写真とか撮らないのでこれくらいしか残ってないんですよ。これだって親に言われたから撮っただけだし」


 仕方がなかったんです、とでも言うように千歳は棒に残っていたアイスを一気に頬張り、携帯をポケットにしまった。


「先輩、アイス溶けてますよ」


「あっ……」


 会話に夢中になる余り、気づかぬうちに氷が液化して棒の下の手元まで垂れてきていた。


「拭くものありますか?」


 そう言いながら、千歳はポケットティッシュをどこかから出してくれた。


「サンキュー。助かった」


 俺は急いで溶けたアイスを口に入れ、差し出されたティッシュを使わせてもらった。


「先輩、ぼうっとしすぎですよ。もしかして純粋なわたしに見とれてました? それともやっぱり長い髪が好みだったんですか?」


 上目遣いでおちょくるように質問され、思わず俺は顔を逸らした。


 正直な話、写真の千歳は見入ってしまうくらいには可愛かった。伸ばした長い髪にしたってこんなに似合っているとは思わなかった。ショートカットの彼女も魅力的だが、ロングヘアの彼女もまた素敵だった。


 だからこそ、逆に疑問に思うこともあった。


「なんで髪短くしたの?」


「えっ?」


 向き直って尋ねると、想定外の質問だったのか千歳は目を丸くした。


「理由訊いてきますか……」


「ごめん。別に言いにくいことだったら言わなくても」


 神妙な顔で呟かれたのですぐに撤回しようとした。だが、千歳は首を横に振ってこちらに一つ提案してきた。


「じゃあこれもクイズにしましょう。わたしが髪を短くした理由はいったいなんでしょうか?」


 先ほどよりテンションは低かったが、若干の笑みを交えて出題された。


「制限時間は五秒です」


「短いな、おい」


「五、四、三」


「ちょ、ちょっと待て! 今考えるから!」


 突っ込んでいる暇もなかった。俺は慌てて脳の中にあった「女子が髪を切る理由」と書かれた引き出しみたいなものを開けた。


「二、一」


「し、失恋とか?」


 答えを述べた瞬間、千歳は「はぁ?」と威嚇するようなオーラを出してこちらを睨んできた。


 年下の女子の威迫に負け、俺は恐ろしさのあまり身震いした。


 千歳は大きくため息を吐き、呆れたように言った。


「先輩にとっては女子が髪切ったらみんな失恋したことになるんですか?」


「それは……違うだろうな」


「ですよね? だから理由だって千差万別なんです」


 もっともな解説をし、それきり千歳は黙ってしまった。


 彼女の言いたいことはわかった。理由は人それぞれ。それは至極当然である。


 だとするならば。


「千歳が髪を切った理由は?」


 俺はクイズの正解をまだ教えてもらってなかった。


 他の誰でもない、千歳皐月の答え。


「新発売で期間限定のその髪型にしたわけは?」


「人のヘアスタイルをアイスみたいに言わないでください!」


「自分でたとえたんだろ!」


 俺の追及に千歳はひとしきり抵抗を見せてから、だらんと力なく両腕を下ろして俯いた。


「……やっぱり秘密です」


「そうか。なら、別にいい」


 俺があっさりと身を引くと、意外だというように千歳は尋ねてきた。


「知りたかったんじゃないんですか?」


「たとえ知りたかったとしても、そういうのって無理矢理聞き出すもんじゃないだろ」


 千歳はきょとんと俺を見つめた。そして、なぜか口を引き結んで斜め下のほうへ視線を向けてしまった。


「どうした?」


「いえ、なんでもないです。ただ……」


 千歳にしては珍しくもじもじと照れながら、目線も合わせずに小さくぼそっと呟いた。


「先輩ってやっぱりヒーローなんだなって」


 今までとはどこか違うような『ヒーロー』のニュアンス。


 勘違いかもしれないと思いつつも、嬉しくて恥ずかしくて仕方がなかった。


「……ありがとう」


 どきどきが収まらない心を隠しながら、俺は自分が今までに見てきた創作上のヒーローとは似ても似つかないぎこちなさで礼を述べた。


 その後、またぽつぽつとお喋りを続け、日が暮れて暗くなる前に俺たちは解散した。


 そういえば言い忘れていたけれど、俺が食べたアイスの棒に「あたり」の文字はなかった。


 だから、この日俺はちゃんと「はずれ」を引いたのだと思う。


 何かと交換はできないし、あとからもう一つもらえたりもしない。


 そんなかけがえのない「はずれ」の時間を、俺は手に入れることができたのだ。

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