05男は儀式からは逃げられない2

 男の振り返った先、そこに何時の間にやら揃えられていた可愛らしい動物さんスリッパ。男はそれを諦めたように履く。男に似合うはずが無いスリッパだが、元々からして男の趣味では無いのだから仕方のないことであった。


 帰宅時、扉を開けた時点では土間は暗くはっきりとは見えなかったが、普通に明かりで照らされている今の玄関であれば、はっきりとそれを見ることが出来た。そこにあった物は、この部屋の主は決して男では無いということの査証であり、ここが怨霊に支配される血塗られた部屋であるということを理解できてしまう、そんな物が並べられる光景であった。


 ーーそう、何度も言うが、この部屋の主は決して男などでは無い。


 その証拠は、目の前に存在する。まずは、玄関マット・・・これには、某有名キャラクターである犬小屋に寝転ぶ犬の絵が描かれていた。さらに土間の脇、そこに設置されている靴箱の上、奥に鏡が設置されているその台の上には。世界でも有名な日本アニメ映画のキャラクターである猫とバスを合体させたキメラ生物のぬいぐるみ、同じ映画内に登場した大口で傘を持つ動物のような生物の、色違い模様違いのぬいぐるみが大中小と三種。それに、二人の姉妹の人形にトウモコロシの置物が綺麗に飾られていた。


 そのどれもが男の趣味とが違う物である。男であれば、色の無い無骨なデザインの物で揃えられていたはずだ。この全てが怨霊の仕業であり、男にとって抵抗のしようも無い蹂躙の後であった。


 それらが男の元に来た事、それこそが全ての始まりだったのである。


 ある日のこと、男が仕事から帰ると見知らぬダンボール箱が階段の前に置かれていた。宅配BOXなど存在しないアパートなので、男は通販では常に玄関前配達でお願いするようにしていた。日中は仕事で家に居ない上に、こんな住宅街までわざわざ再配達をお願いするのも悪いという考えからであった。


 ちなみに、地区を担当している配達所からどうしても配達員が二階には上がりたくないと配達を拒否されるということで、階段前配達にしてもらったという経緯がある。


 まぁ、問題はそこでは無い。男にとっての問題は、それが注文した記憶のない荷物であったという事だ。箱に書かれている住所と名前は、確かに男の物であった。何だろうか・・・そう思いながら男は箱を持ち上げ、部屋へと歩いた。


 そうして、男が玄関へと入ると、何時ものように電気が点滅・・・はしなかった。代わりに、バシイイイィィィィィィッっという激しいラップ音と共に、箱がぎゅんっと何かに引っ張られ真っ暗な部屋へと、ズリ、ズリ・・・と引き摺られ飲み込まれてしまった。


 あっけに取られた男が慌てて部屋へと入ると、そこには驚愕の光景が広がっていた。


 宙に浮かぶ、人形や装飾の数々ーーそれが、まるで己の意志を持つかのようにリビングの上を飛び回っていたのだ。闇の中、独りでに宙を飛ぶ人形達・・・まさに、心霊物件にふさわしく潜在的に何か恐ろしい物を感じさせる光景であった。


 人形達の乱舞が終わった後、そこにはファンシーに浸食され蹂躙された男の部屋だけが残っていた。はっとして男が携帯の銀行アプリを開くと、そこにはーー。


 まさに、怨霊に相応しい所業であったとだけ言わせてもらおう。


 この瞬間、男は改めてこの部屋の主が誰なのか・・・それを思い知ったのであった。


 それも昔の話である。今となっては、男には抵抗する気など一切無かった。そんな感情は怨霊によって根こそぎ奪われ、何もかもがどうでもよくなってしまっていた。ただ、ファンシーグッズが増える度に怨霊から与えられる頬へのチュッという感触さえあれば、他はもうどうでもいいと思うようになってしまっていたのだ。


 思えば、この時から男は完全に怨霊から与えられる『呪い』という沼へとずぶずぶ沈んでしまっていたのだろう。男は、もう浮き上がれはしないのだ。


 男はそんな過去を思い出しつつ、可愛らしいスリッパに足を通す。最初は抵抗のあったキャラスリッパも、今では何の迷いも無しに履くことが出来るようになっていた。


 ーーペタリ・・・。


 男はスリッパを履き廊下へと足を踏み出す。ゆっくりと、確実に、一歩一歩を踏み出して行く。廊下の先は真っ暗な闇、灯りの点いていない部屋は男の目には何も映しはしない。だが、先にあるのはリビングだという事は知っていた。当たり前だ、例え見えずともここは己の家なのだから・・・だから、早く、早くリビングへ・・・!


 男は焦っていた。ここで、怨霊に捕まってはならないと・・・また、アレをやらされると、男はただ焦り急ぎリビングへ移動しようとした。ただ、走ってはならない。飽くまでも自然に、気付かれぬように自然にだ。


 男はそう考え、ただリビングへと向かい歩を進めた。そんな行為は、ただの無駄であるとも思わずに・・・ただ、アレだけは嫌だという思いだけが男を支配していた。ソレをさせられる度に、男は呼吸が止まり咽て盛大に咳き込み、辺りを激しく汚してしまうのだ。それを、毎日毎日・・・まるで、何かの儀式のようにやらされるのだ。特に、ここ二年の間は絶対に、男が何と言おうと絶対に許しては貰えなかった。


 ここを、ここさえ抜ければ・・・男は洗面台へと続く脱衣場の扉を目の端に捉えつつ、急ぎ通り過ぎようとした。


 ペタ・・・ペタ、ペタペタペタ・・・!


 男の鳴らすスリッパの音が廊下に響く。男は一人、スリッパの音も一人分・・・。


 ペタ・・・ペチャ、ペチャ・・・。


 そこに、混じり合う音があった。それは、濡れたような音・・・もし、ここに『見えてしまう人間』が居たのなら、それをはっきりと見てしまっていただろう。真っ赤な血濡れの足が、脱衣場への扉の前でじぃっとスタンバっているという、その恐ろしい現実を・・・。








 ーーニガサナイ・・・。








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