03男はすでに憑かれている

 ーーキィ・・・と、扉が開く。


 そこに、人の気配は無い。もちろん、男の部屋の扉が自動ドアという訳でも無い。どこにでもある普通の扉である。


 それが、朝に出掛ける際にきっちりと鍵を掛けたはずの扉が、男の前で勝手に開いたのだ。


 しかし・・・。


 ガチャンッ!!!!!!


 次の瞬間には、大きな音を立て扉は勢いよく閉じてしまう。そう、扉にはドアクローザーという自動で扉を閉める機構が付いていた。しっかりと抑えていなければ、中途半端に開けたところで扉は勝手に閉まってしまうのだ。


 一体、何がしたかったのであろうか・・・男は身体を硬直させながら、閉まってしまった扉を見つめ考えた。しかし、その答えが出る前に、再び扉が開き始める。先程よりも大きく、しかし何故かぷるぷると震えるように・・・。


「はっ!?」


 それを震えを見た男は、慌てたように駆け出し扉のノブをそっと掴みゆっくりと扉を開いた。怨霊は、地縛霊でもある。部屋の中では絶大な力を振るえ、いかようにも呪いを振りまく事が出来る存在ではあるが、それは縛られた部屋に限ってのことだ。一度招きいれてさえしまえば、呪う事が出来る。呪ってさえしまえば、それは部屋から出ようと怨霊の気が晴れるまでずっと、どこまでもどコまデもドコマデモ、ヘドロのようにどろどろと憑き纏わせられる。


 しかし、部屋の外であれば話は別だ。扉を開いた先、そこはもう内では無く外なのだ。直接的な『力』は部屋からで出てしまえば途端に弱まる。つまるところ、扉がぷるぷるしていたのは、怨霊の力不足で扉の重みを支え切れていないだけあった。


 そこに思い至った男は、怨霊が無理をしているのだと気付き慌てたのだ。


「ただいま」


 扉を開いた男は、昏い部屋に向かい声を出す。もちろん、男の他に人は存在しない。一人、昏く闇に閉ざされた部屋へと向かって声をかけたのである。


 それは、ただの帰宅時の習慣だったのだろう。当然のように、男の声に応える者など居やしなかった。しかし、声が無いことこそが男にとっては正常。


 ーー異変が起きる。


 それこそ、男の待つ応えでもあった。


 玄関のライトに人感センサーは付いてはいない。だというのに、天井に備えられたライトがパッパッと点滅を繰り返し始める。


 パチ・・・パチ・・・。


 小さな音が聴こえた。


 音のする方へと目を向ければ、そこあるのは壁に備え付けられた玄関ライトのスイッチのみである。だが、そのスイッチこそが異変の原因であった。


 不思議な、いや、ここが事故物件・心霊物件であることを考えれば、まさに恐怖の光景としかいいようがないだろう。そこに人は居ない、だというのに・・・独りでに、スイッチが動いているのだ。パチ・・・パチ・・・と、オンとオフを繰り返す。


 点滅するライトの光が、何度も玄関を照らす。


『・-・・・ ・-・・ -・--- --・ ・-・ -・-・- ・- ・-・-・- --・-- ・-・ -・』


 『・』は短い間隔で点滅し、『-』は少し長く点灯してから消える。そんな、ある種の規則性も持ってライトは点滅を繰り返す。


 男はその明滅する光の中で、一人笑顔を浮かべていた。何処か照れくさそうに、しかし実に嬉しそうにである。心霊現象の起きる中、笑顔を浮かべるなど正気の沙汰では無い。そう、すでに正気では無いのだ。男は、霊の存在など信じてはいなかった。だからこそ、過去に何度か死人が出たという部屋に何の躊躇も無く、安いからという理由だけで住めたのだ。


 だが、ここは正しく、多くの人が『期待』しているであろう意味での事故物件であった。ただ、事件が起きた部屋、と云うだけでは無い。男は何度も何度も心霊現象という事象を見せつけられてきた。


 男はすでにこの部屋に住まう怨霊にがっしりと絡み憑かれてしまっている。逃れられぬように、きつくきつくきつく固く、逃げようと、そう思う意志すらも縛り上げ亀甲縛りにしてちょっぴり興奮を覚えつつ、とろけるようにな甘さでゆっくりと『呪い』という沼へと沈めて逝く。男はやがて息も出来なくなる程に沼の深い部分へと沈むだろう。だが、心配は無い。その時は、怨霊が自らその口で男の口へと空気と舌をディープに送ってやるつもりである。


 男は不運にも霊という存在を、見ることも感じることも出来ない人間であった。だからこそ、男は霊の存在を信じなかった。故に、手遅れとなってしまう。怨霊が男に掛けた『呪い』、それは決して怨霊だけが使える力などでは無く、太古の昔より人が使うことになる、もっとも古くもっとも単純な沼へと誘う『呪い』なのであった。


 だからこそ、男はすでにソレから逃れようともせず、逃れようと思うことすら出来ずにーーただ、照れたような笑みを浮かべ光の明滅を眺めているのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る