02不運だから怨霊と相室することになった
時間は夜の十頃だろうか? 場所は、開発に失敗してしまい廃れていった住宅街。ぽつ、ぽつとしか明かりの灯っていない街灯、建設中に放棄されてしまった家々。そんな物がずらりと並ぶ、まるで廃墟のような住宅街であった。
そんな住宅街を、一人の男が自転車に乗って移動している。
地面を照らす自転車のライトは、ゆらゆらと淡い光を放ちながら揺れている。周りの雰囲気からか、それはまるで人魂のようにも見えた。もし、肝試しに来た若者達がここに居たなら、きっと人魂だと騒ぐに違いない。
そういえば、去年の夏にそういう事があったな・・・と、男は顔を顰めた。
顔を顰めた理由は、その後に若者達に絡まれたからである。勝手に肝試しに来て、周囲の迷惑も考えずに騒いだ挙句に男の乗った自転車のライトを人魂だと騒ぎ、それが違うとわかると何故か紛らわしいと男に文句を言い出したのだ。男にとっては迷惑以外の何物でもない出来事であった。
確かに廃墟みたいな住宅街だけど、何件かはちゃんと人が住んでいるのだから、もうちょっと配慮して欲しい物だ。
そんな事を考えつつ、男は自宅であるアパートに向かい自転車を走らせる。
男がこの廃墟ーー閑静に過ぎる住宅地に越して来たのは、男が就職を決め施設を出てすぐの事だ。多少の貯えはあれど、やはり高校に通いながらアルバイトで稼げる程度の貯え、でしかなかった。そんな訳で、男は「とにかく安い物件を!」と不動産屋に駆け込んだ。担当の人間を散々に困らせた挙句にようやく紹介して貰えた物件こそが、風呂・トイレ付きで月々三千円(管理費込み)という激安物件、男の今の住処である。
但し、激安というからには、もちろんこの後に続く言葉があった。それは、『事故物件』という言葉である。担当者から聞いた話では、十年程前に部屋で殺人事件があり、後に殺人を犯した犯人がこの部屋で自殺をし、その噂を聞きつけてこの部屋で心霊動画を撮ろうとした動画撮影者が数日後に死体で発見されるという事があったということであった。それからも、ここの部屋に面白半分で住もうとする者は皆死にはしないまでも、すぐに出て行ってしまうらしい。名実ともに、『事故物件』であり『心霊物件』であったのだ。
しかし、そんな話を聞いた後でも男の気持ちは揺るぎはしなかった。何より、男は心霊というものを己の体験から実在などしないと、そう考えていた。もし、幽霊や怨霊、地縛霊というモノが存在するのなら、家族を残して逝ってしまった母親が、事故に巻き込まれるという無念な死を遂げてしまった父親が、男の前に現れぬはずが無いのだ。
事故の現場でたった一人、じぃっと父親を待ち続けた男は、それを実体験で知っていたのである。
だからこそ、そこは事故物件であると、実際にそういう話があると聞かされたところで、男は気にもしなかったのだ。
むしろ、これは幸運なことだと考えてすらいた。そんなはずが無い。男にとって、不運はパートナーとでも呼ぶべき存在なのである。その証拠に、男はすぐに思い知ることとなる。この世界には、男の目では見ることの出来ない、そんな世界が存在しているのだと・・・そして、その事実を思い知った時にはすでに、男は雁字搦めに捕らえられ、強く深く仄暗い、想いという名の『呪い』から逃れられなくなっていたのであった。
まさに、自業自得といったところか・・・。
「今日も遅くなっちゃったなぁ・・・」
自転車を漕ぐ男は施設から出たばかりの頃と比べ、幾分かつやつやとした顔色で溜息を吐いた。
それから、キィーっという自転車のブレーキの音と共に、自転車を止める。目的の場所へと着いたからだ。自転車を止めた男の先にあるのは、一件のアパート。もちろん、男の暮らすアパートである。
外見的には一般的な鉄筋コンクリート造りのアパートである。一階には小さなエントランスがあり、廊下は壁で囲まれ窓がはめ込まれているような造りであり、廊下や二階に続く階段が剥き出しでは無いタイプの、割と近代的なアパートであった。
廊下の窓から漏れる灯りは電球の老朽化の為か薄暗く、夜の闇の中にぼんやりとアパートの輪郭を浮かび上がらせていた。周囲の環境も相まって、どこか底知れぬ不気味さを感じさせる光景である。
専用の駐輪スペースへと自転車を移動させた男は、二階にある部屋へと向かう為にアパートのエントランスへと入る。なんの気無しに左右を見れば、一階の幾つかの窓からは生活の灯りが漏れているのが見えた。
一応、男の他にも住んでいる人は居るのだ。事故物件である二階の部屋からは離れた場所にある部屋のみに、ではあるが・・・。
それに比べ、二階にある部屋の窓からは一切の灯りが漏れてはいない。それもその筈、二階で暮らす人間は男一人だけなのだ。だから、というわけでは無いだろうが一階と比べると二階の廊下は常に仄暗く、近づく者を拒絶するようなそんな陰鬱な空気で埋め尽くされていた。
何故か、などと考える必要は無い。そんな空気の出所など一つに決まっている。殺人事件のあった部屋であり、事故物件・心霊物件として知られている部屋、原因などそれしかない。恨み憎しみ、そういった陰の気とでも呼べばいいのだろうか? 怨念めいた何かが、強くその部屋からは漏れだしていた。
男はそんな二階へと階段を上がって逝く。端から見れば、それはまるで絞首台へと昇る囚人のように見えるだろう。もっとも、男がこの時に考えていた事と云えばーー。
「管理人さんも天井の灯りくらい替えてくれればいいのに・・・これ、勝手にLEDとかに替えちゃっていいのかなぁ?」
等と、どうでもいい事を考えていた。
ガチな霊能者が居れば、まず間違いなく「ここは本当にヤバイ」というような場所で実に呑気な物である。
とはいえ、その事故物件で暮らしているのだから、男にとってはこれが普通なのだ。どれ程危険な雰囲気があろうと、肉体的・精神的にどれ程の影響があろうと、本人がそれをどうとも感じていないのであれば、どんな事も無意味ではあるのだ。
今度、不動産屋に交換していいのか相談してみるかと男は胸の中で決め、そのまま二階へとトントントンと小気味よい音と共に上がり、昏い二階の廊下を横切る。
だが、あと少しで部屋に着く、という時であった。
ーーカチャリ・・・。
と、音がした。何の音か、男にとっては考えるまでも無い。それは、毎朝毎夜、部屋を出る時に、帰る時にと何度も聞いてきた音であるからだ。
それは閉じられた部屋の扉、その鍵の音であった。
二階に男以外の住人は居ない。なので、男が通るタイミングで偶然に隣人が鍵を開閉したということはない。
なにより、キィ・・・と軋みながら開いた扉。そここそが、男の部屋なのであった。
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