Case.11

「うわわ~、君たちすんごい匂いだね。なに? あいつ初日でフェロモンぶっ放したの?」


 僕らが医務室に入った途端、そこにいた白衣の獣人がそう言って自分の鼻を摘まむ。あいつ、とは恐らくロブストさんのことだろう。苦笑する僕らに向かって「ま、とりあえずそっち座んなよ」と、来客用のソファを指さしながら、部屋の奥へと消えていった。僕と富樫さんは、言われた通りにレオーネさんとアムルさんを座らせる。ここに来るまでに呼吸の乱れや身体の震えはだいぶ収まったものの、まだ顔色が悪い。

 どう話しかけていいのかもわからず、離れた位置に立って手持ち無沙汰に制服の襟やネクタイを整える。隣にいる富樫さんも瞳に心配の色を浮かべながら、それでも何も言えずに二人をただ見つめていた。そうしていると、先ほど獣人の方が入っていった奥の扉の方からパタパタと足音が聞こえ、スプレー缶ようなものを持って再び姿を現した。


「っとー、お待たせ、今からこれぶっかけるから、目は閉じてろよ~」


 レオーネさんとアムルさんの正面に立ち、手にもっているスプレー缶を振る。数回上下に振って、ノズルを上にむけたままフタの上部を軽く押せば、プシュッ……という音と共にミストが発射されて、それを確認したその獣人が、今度は座っている二人に向けてまんべんなく振りかけていく。


「仕方ないことだけどさ、毎年この季節になるとあいつの強烈な匂いが風にのってどこまでも付きまとってくんのよ。そうすっと俺の仕事とメンタルに支障きたしちゃうのね。だからまずは匂いを消します……っと」


 本気半分軽口半分のような口調で言いながら、一通りかけ終わるとスプレーを自分の後ろにあった机に置き、改めて僕ら4人に向き直る。


「ところで、俺はヴァッシ。イヌ科の獣人じゃあないけど、一応君たち『Kー9』の専属医だ。ヴァッシ先生とでも呼んでくれ。」


 後ろで三つ編みに括っている長い赤毛の髪先を、指でくるくると弄びながら挨拶をしたヴァッシ先生。太く横に伸びた耳がパタパタと揺れ、その上には耳と同じように横向きに生えた頑丈そうな角が生えている。


「さてさて。君たち二人はロブストのをくらっちゃったってことでいい?」


 答える代わりにそっぽを向いたレオーネさんと、肩が跳ねたアムルさん。でもそれをみたヴァッシ先生は、その態度が答えと言わんばかりに笑った。


「匂いも消したし、あと30分もすれば気分もマシになってくると思うよ。しばらく向こうのベッドで休んでな。どうせ、あと一時間後には再開するとか言ってんでしょ」


 そう言って自分の斜め後ろの3台並んでいるベッドを親指でさし、先ほど机に置いたスプレー缶を手に取ってまた奥の扉へと入っていくヴァッシ先生。


「それじゃあ、私たちは戻ろうか? それともベッドまで付き添う?」


 再び室内に沈黙が訪れようとしたとき、彼女たちに話しかけることを躊躇っていた富樫さんが二人の正面に回って目線を合わせるようにしゃがみ込み、なんでもない声で聞く。


「だいじょうぶです……」

「そっか。じゃあまた、一時間後に」

「はい。あの、それと……ありがとうございました」


 消え入りそうな声で感謝の言葉を述べたアムルさんに、富樫さんは嬉しそうな笑顔でいいんだよ、と首を振り、僕はその様子を変わらず後ろから見ていた。しばらく会話を交わしたあと、富樫さんが立ち上がったので、目配せをして先に医務室の出入り口へと向かった。すると、舌打ちと「おい」と呼ぶ声が聞こえて、振り返るとレオーネさんが背もたれに頭をもたれさせ、ほぼ逆さまのような形でこっちをみていた。


「……助かった」

「どういたしまして。お大事にね」


(悪い人じゃなさそうだ。)


 そう思って笑っていると、「笑ってんじゃねぇ!」と怒鳴られてしまったけど。

 まあ、元気になったみたいで良かった。

 このやり取りの間に富樫さんも出入り口付近にやってきて二人で医務室を後にする。もと居た部屋へ向かおうとすると、後ろから医務室の扉が開く音がして、また呼び止められる。今度はヴァッシ先生だった。


「ねぇ、君」

 先生の視線はまっすぐ僕に注がれていて。

「はい、何でしょう?」

 答えると、やっぱり……と小さい声で呟き、顎に手を当てながら首を傾げた。


「もしかして、親とか親戚とかに、ハンドラー体質の人がいたりした?」

「いえ、僕の知ってる限りではいませんけど……」

「ひとりも?」

「はい、恐らく」


 どうしてそんなことを聞くんだろう。不思議に思っていると「ならいいんだ」と肩を叩かれる。


「たいしたことじゃない。ただ少しだけ、君から懐かしい匂いがしたからさ。ところで、君の名前は?」

「はい、自分は蓮川燈護といいます!」

「そ、燈護ね。これからよろしく。頑張れよ」

「はい。ありがとうございます!」

「あの子たちのことは任せときな。ヴァッシ先生特製スムージーも飲ませてやるさ」


 一時間後には別人のようになってるかもな、と笑いながら、ヴァッシ先生はまた医務室に戻っていった。


(なんだろう、懐かしい匂いって)


 詳しいことを聞く前にヴァッシ先生は行ってしまったし、あまり長居するわけにもいかない。少し気になりながらも、僕らは最初に通された部屋へ戻るために、広い廊下を再び歩き出した。

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