Case.4

 頬をなぞった冷たい風。それが僕を今へと連れ戻した。こんな些細な日常でさえ、僕は愛おしいと思える。


 「燈護」

 

 繋いだ手を、父さんがもう片方の手で包み込む。呼びかけに答えて顔を上げれば、言葉に詰まったような表情で僕を見つめる父さんの目には、薄っすらと透明な膜ができていた。


 この顔を見るのは二度目だ。普段、何があっても泣いたりしない父さんの泣き顔。涙は流れてないから、正確には泣き顔とは言わないかもしれないけど。


 大丈夫、分かってるよ。


「父さん、今までずっと、僕の味方でいてくれてありがとう」


 知ってるんだ。喜んでくれている母さんの瞳の奥に、本当はまだ不安の色が浮かんでること。今でこそ認めてくれたけど、最初僕が警察官になりたいと告げたとき、母さんはかなり動揺してた。


 僕にこれ以上、危険な目にあって欲しくないから。


 そう思うのも当たり前だ。あんなことがあったのに、状況は違えど自分からまた危険な環境に飛び込もうとしてる息子を、はいそうですか、なんて簡単に受け入れられるわけがない。警察官という職業柄、何があるかわからない。また僕を心配する日々に戻るのは耐えられないって、きっとそう思ったよね。


 でも、そんなときに僕と一緒になって母さんを説得してくれたのが父さんだった。   

 僕が警察官になりたいと伝えた日からしばらくたった頃、夜中に僕が寝ていると思った2人がリビングでこっそり話し合っていたの、たまたま聞いちゃったんだ。リビングから廊下に漏れていた2人の話し声。「燈護のしたいことをさせてやりたい」そう母さんに訴える父さんの声はいつも通り穏やかで、「燈護なら絶対大丈夫だから」と僕を後押しするための一言は、普段より抑えめの声でもちゃんとわかるくらい、自信のある声だった。

 

 それから、その会話を聞いた次の日の朝。母さんは少し赤くなった目を笑顔で誤魔化しながら「警察官の制服、燈護はきっと似合うね」と頷いてくれた。

 

2人の会話を聞いてしまったのは申し訳ないけれど、父さんのその言葉を聞けたことで、僕はより、警察官になるという思いが強くなったんだ。


 たいていのことは笑い飛ばして、何とかなるさと受け止める父さん。実際、父さんがそう言えば、なにか問題が起こっても大したことじゃない気がして、自然と力が湧いてくる。そして、気づけば本当に何とかすることができた。そんな風に周りを勇気づける性格に、僕と母さんは何度助けられてきたことか。


 でも、今ならわかる。

 僕の手を強く強く握る父さんが、どんな思いで僕の味方をしてくれたのか。父さんだって僕の事を心配しないわけないのに、それでも僕を信じてくれた。

 

 僕のために。ただそれだけ。


「父さん、僕は大丈夫だよ。もし何かあっても、

必ず何とかなるから」


 だから、安心してね。

 僕の背中を押してくれたこと、後悔させないよ。


 「僕は絶対に大丈夫」

 

 ココに誓ってね。と、父さんと繋いでいないもう片方の手でグーをつくり、自分の心臓のあたりをトントン、と笑顔で軽く叩いて見せる。


 そんな僕をみて、同じように笑って頷いた父さんの目から、一粒の涙が。その小さな水滴は、僕らの繋いだ手を少し濡らした。


 父さんも間違いなく、本部長の言う「強い」人だね。


 このままだと僕まで泣いてしまいそうだから、手を離してそろそろこの場を離れようと、最後に一瞬だけ力を込める。


 それと同時に「蓮川くーん」と僕を呼ぶ声が聞こえた。振り向くと、同期の富樫とがし日向ひなたさんがこっちに向かって手をふっていた。


 「そろそろ行かなきゃ」


 そう。卒業式が終われば、僕たちはそのまま自分が配属された署へと向かう。既に各署へと向かう送迎バスは到着していて、制服姿の集団がちらほらとバスに乗り込んでいく姿が見える。

 

 僕に声をかけてくれた彼女は、同じ署に配属されることが決まっていた。


 「頑張ってね」

 「ありがとう! 母さんも体には気を付けてね!」


 またしばらく会えなくなるけれど。

 必ず会いに行くから。


大きく手を振り、僕は呼ばれた方へと駆け出した。

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