第19話 魔法戦の決着

「ローダネル伯爵夫妻は、間違いなく普人種です」


 足元から視線を上げて宮廷魔法導士様を真正面から見る。


「その2人から生まれた私も普人種であると信じています」

「……ローダネル伯爵の不貞を暴いたのは、他ならぬ貴女だっただろう」


 他の誰かの子ではないのか、とそう言いたげな様子でもあった。そう言われても仕方のないことを、ローダネル伯爵はした。


「それについて私には意見がありますので、事実確認が済むまでは保留とさせて頂きます」


 しかしローダネル伯爵の不貞については思うところがある。もしその仮説が正しいのであれば、私はローダネル伯爵のしたことを赦す。母が納得するかは別だけれど、そこはローダネル伯爵が仕出かしたことに違いはないので自力で信頼を取り戻して欲しい。


「貴女が普人種だとするなら、その魔法素の量は納得がいかない」

「それについては陛下にお尋ねください」


 私は既に陛下へ情報開示の許可を出している。陛下の信用がある方なら問題はないだろう。戻ったらすぐにでも陛下に第三者に話す場合の誓約書の書面を確認する必要はあるけれど。


「ならばそれについてはそうさせていただく」


 本当に、戻ったらすぐににでも確認しなければならない。魔女というだけで断罪されかねないのだから。

 予定を追加して私が息を吐くと、宮廷魔法導士様が長杖を構えた。空気の空間から拳一つ分程が分離して私の方へ向かってくる。攻撃は禁止ではなかっただろうか。


「僭越ながら申し上げます。あまりそちらの空間を使うのは避けた方が宜しいかと」


 それに自分を包む空気の空間を使ってしまえば空気中の酸素濃度に影響しかねない。潜ってから現在までも呼吸は空間内の空気を使うしかなく、呼吸で発生した二酸化炭素だけを使うとなると量が少な過ぎて使い物にならないだろう。そもそも恐らく宮廷魔法導士様にはこの考えがない、というかこの世界に科学の知識が少ない。


「何故だ?」

「我々が呼吸するのに必要な物質の濃度に影響する可能性がございます」

「その知識を何処で得た?」


 それを聞かれると困る、異世界のことは陛下にも話していない。話せばこの国は元より、この世界に貢献出来ることだってあるだろう。魔法とは無縁の世界だけれど科学知識は進んでいたのだから。


 だからこそ話したくない。


 仮にも永住する心算でいる国だ、この国の発展に興味がないわけではない。それでも話したくないのは環境汚染と知識の軍事利用が理由だ。

 私が何かを発言してこの国が大きく発展したとしよう。技術が進歩し事故は減り、医療の発達により老衰が遅くなり、出生率は変わらなくても死亡率が減り、人口が急激に増える可能性は否定が出来ない。そうなると今までの国力では国民を支えきれなくなって資源の消費が増え、燃料確保の為の大規模な森林伐採、産業が発達することによって工業廃水等による環境汚染が危惧される。幾らかは魔法が存在することによって防げると思いたいけれど、魔法使いにも魔法道具にも個数や能力に限界がある。完全には防げない、というのが私の見込みだ。

 そして我が国が外へ力を振るう可能性も出てきてしまう。この国は防衛に特化しているので近代になってからは積極的な攻撃を他国へ仕向けたことはない。国法にも他国へ戦争を仕掛けることを禁ずる、と明示されているくらいだ。それが覆される可能性は無視してはならない。凡その国民は戦争なんて望んでいない。国民全員が穏やかな気性である、なんて国民の1人でしかない私にはとても言えないけれど、戦争は国全体が疲弊し、弱い者から死ぬのであれば、真っ先に死ぬ可能性が高いのは市民以外にあり得ない。市民がそれを望めるか、なんて訊くまでもないだろう。そして国民の多くを占める市民の意を汲まずに国営が成り立つ筈もない。戦争は忌避すべきだ。


 故に私は、前世らしき異世界の知識を秘匿し、個人利用する。

 周囲から徐々に影響は出てしまうだろうけれど、せめて劇的な変化ではなく、ゆっくりとした変遷にしたい。


「──この賭けにそちらが勝てば、お教え致します」


 何方にしてもこの賭けには勝たなければならないし、負ける心算はない。なら私は勝ってしまえば教える必要がなくなる道を選ぶ。


「言質は取ったぞ」


 先程に宮廷魔法導士様が放った空気砲が散り、気泡となって私の空気の空間を水面へ押し上げる。御自身に有利な湖面での勝負に持ち込みたいようだが、この賭けの勝敗はエティの魔導秘法館の所有権により決まる。行き方を知らない宮廷魔法導士様にとって有利な場所に移っても、勝敗に影響することは何一つない。それを分かっているのだろうか、分かっていないとも思えないけれど。

 それとも私を亡き者にしてエティの魔導秘法館への道を閉ざす算段だったか。しかしそうなっては宮廷魔法導士様の望む知識の在処が分からなくなってしまうから、殺されはしないだろう。拷問にかけられる可能性も残っているけれど、罪を犯したわけでもないのにそうされる謂われはない。


「ええ、そちらが賭けに勝てたなら」


 考えても埒が明かないので、私が勝つことに尽力することにする。再び周囲の湖水に魔法素を流し、水の流れで気泡を私の空気の空間から遠ざけてしまう。ついでに気泡から魔法素を吸収したかったのだけれども、水が私の物ではないからか上手くいかない。影だけの性能だろうか、落ち着いたら検証したい。


 宮廷魔法導士様との勝負に意識を戻す。

 私が単身でエティの魔導秘法館に辿り着くには宮廷魔法導士様が近くにいない状況が必要で、要するに私独りが水中にいれば良い。ならば──。


「おおっ!?」


 宮廷魔法導士様のいる空気の空間ごと、湖面へ押し流してしまう。水中で宮廷魔法導士様が操れる風はあの空間しかなく、それも自分が呼吸する、あるいは自由に動く為の分しかない。何とか抵抗しようとしているけれど魔法戦にも拘らず物理的な要因によって成す術なく、宮廷魔法導士様は湖面へ流されて行く。

 そして完全に湖面へ押し上げたところで湖面一帯を凍らせてしまう。流体と固体では固体が陰性だ、冷性も強まったことで魔法素の消費率は減ったけれど範囲が広過ぎる。久々に疲労感に襲われた。私が呼吸する為の細い管も断ち、空気の空間も少し狭くしたけれど、消費した分の魔法素は回復させなければ戻らない。

 しかしゆっくりしている暇はない。宮廷魔法導士様が氷を破って再び水中に突入してくるだろう。それを待っていては、今度は魔法素が枯渇状態の私に為す術がない。一刻も早くエティの魔導秘法館へ移動しなければ。


 私は一つ、呼吸を整えて言葉にする。


「──私は、生き残ってみせる」


 しかし何も起こらない。


「私は生き残ってみせる」


 首を傾げてから今一度、そう言ってみるけれどやはり何も起こらない。何故だろう、と頭を捻ること数十秒、私は気づいてしまった。


 今、私を包んでいるのは空気の空間であって、水ではない。

 そして魔法素が極端に少なくなっていてエティの魔導秘法館へ辿り着けるか分からない。


 否、魔法素だけなら何とかなる、湖水や湖面を覆う氷から流した魔法素を回収すれば良い。強度は下ってしまうだろうから、宮廷魔法導士様が戻って来る前に移動しなければならず時間制限は厳しくなるけれど、もうそれしかない。宮廷魔法導士様に魔法素が多いと言わしめた私が枯渇寸前まで流したのだから、霧散する前なら相応の魔法素を回収出来るだろう。


 問題はこの空気の空間を解除することだ。


 解除すれば空気の空間は散り散りになり、流水魔法を使っても新たに空気の空間を作ることは出来ず、また水中に溶けている空気の成分に偏りがあり過ぎるので前世で人間と言われていた、今世での普人種が呼吸するのに必要な空気は作れない。

 私は泳げない、貴族令嬢への教育に水泳など当然ながら含まれていない。泳げたとしてもこの服装ではまともな泳ぎなど出来なかっただろうし、何より自分で張ってしまった湖面の氷の所為で空気のある所へ戻れない。そしてこの時期の水は冷たい、容易く私の体温を下げて生命を維持する機能を奪うだろう。

 解除してエティの魔導秘法館へ辿り着けなかった場合にほぼ間違いなく、私は死ぬ。

 ザァ、と血の気が引き、カタカタ、と身体が震え始めた。


 水中に私が独りだけで残る、宮廷魔法導士様との勝負に勝つ、陛下との賭けに勝つ、エティの魔導秘法館へ辿り着く、それ以前だって、夢を見たその日から私は生き残る為だけに全力を尽くしてきた。全力を尽くした結果、私は生死の境にいる。


 意図せず呼吸が早くなるのを自覚した。血の気の引いた頭は働かず、ただただ生きようと心臓を速く動かしては浅く繰り替えし呼吸をさせる。


 これでは駄目だ、と無理矢理に深呼吸をする。次の手を考えなければ────……。


 ────……否、私は既に考えていたことだ。


 生き残ることは命懸けだ、分かっている。


 足元、というかスカートの中の影に残り僅かな魔法素を流して伸ばし、空気の空間を保っている周囲の湖水以外から魔法素を回収する。魔法素が抜けて留まる力を失った空気の空間は浮力で湖面へ上がって行き、そこへ張った氷まで辿り着く頃には身体から疲労感が消えた。枯渇寸前の状態は脱した、ということだろうけれど、念の為に氷から魔法素を可能な限り回収した。


 魔法素が抜けた氷から数秒遅れて振動が伝わる。宮廷魔法導士様が攻撃を仕掛けたのだろう。


 長くは保てない。私は数回、深呼吸をして最後に大きく息を吸い込み、空気の空間を解除した。


 ただの空気の塊となったそれは私を放り出し、小さな泡となって氷の下へ散っていく。服は水を吸い、その重さで私は水底へとゆっくりと沈み始め、水の冷たさに震えそうになるけれどそんな隙はない。


 目を瞑り、叫ぶ勢いで誓う。


──私は、生き残ってみせる……!


 吸い込んでいた空気は、音にならずに冷たい水の中へ消えていった。

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