第18話 魔法の実践

「必ず戻ります。それまでは待機を」


 馬車から下りて心配そうな顔をしている我が家の馭者に声をかける。逡巡の後に会釈で応えてくれた馭者に私も頷いて湖へと走る。


──重い、遅い


 しかし私は私の運動能力の無さに愕然とした。乗馬服は謁見の際のドレスどころか、貴族の普段着より軽く作られている。だというのにいざ自分で走るとなるとその重さが走る邪魔をする。そしてドレスが軽かったとしても私は走ったことがなく、とても遅い。貴族令嬢が走るなんてはしたない、という教育の賜物が足枷になっていた。

 少し遅れて湖に到着し、私の出方を窺わざるを得ない宮廷魔法導士様は少し困った顔をしていらっしゃるようにも見えるし、近衛兵様に至っては微笑ましいものを見るような表情をしていらっしゃる。私は走るのを諦めた。


──これから身体を鍛えるべきだろうか


 無駄だと悟る。もし男性であれば騎士道を学ぶので凡その令息はある程度の身体能力を持つだろうけれど、私は貴族令嬢として教育を受け、これまで積極的に身体を動かしたことは一度もない。それよりも作法と話術に重きを置いた教育が令嬢のそれだ。今から鍛えても恐らく市民の女子にすら及ばないことは分かりきっている。


 『復讐の魔女』も他のボスに比べて著しく体力や物理の能力値が劣っていた。火炙りになった所為で身体能力が落ちたのかと思っていたけれどそれだけではなく、元より生まれた環境と教育が原因で身体機能があまり伸びず、火炙りでそれが更に落ちたのが真相のようだ。


──魔法で対処しよう


 『復讐の魔女』もそうしていた。杖を持つ膂力すらなく、腕を動かすのもやっとの様子で、それでも魔法による攻撃も防御も『聖光譚』の中で誰よりも強力だった。主人公達の物理攻撃を炎で焼き尽くし、魔法攻撃は闇の盾で飲み込むように消す。そして炎と闇の攻撃で主人公達を苦しめてみせた。

 魔女になるのは回避したいところだけれど良い所は見習って然るべきだろう、と気持ちを切り替える。魔法素の量を比べることは出来ないけれど、少なくとも私の方が先に魔法の練習を始めたし、手数は既に勝っている。私に出来ないことではない。


 まだ少し距離がある湖を注視する。魔法素を注ぎ、動かせる水を私の足元へ移動させる。その水の上の方を凍らせて板状にし、私はその上に乗って氷をサーフボードのようにして湖へ滑り始めた。身体能力のほとんどない私がバランスを崩さないように速度を調整したから思ったより速度が出ないけれど、それでも自分で走るよりも格段に速い。湖の縁まで来たので水に魔法素を流しつつ、私はそのまま氷に乗って湖面上を滑る。魔法で水の動きを制御するのに結構な集中力が要る上に湖面上の風がやや強い。落ちても水の中なので流水魔法を使えば問題はないのだけれど、風が強い方が問題だ、私には風に親和性のある魔法素はない。


──!


 風に魔法素が混ざり始めた。吹きつけてくる風よりも私の後ろの方から強い魔法素の気配を感じる。


──宮廷魔法導士様は風樹魔法の使い手か


 炎熱魔法、次いで土地魔法の使い手が多い普人種だけれど例外がいないわけではない。魔法が使える者も限られている上での例外を囲っておきたいのか王宮はそういう人材を募っているし、雇用もされ易い。勿論、一定以上の能力がなければならないし、人格に問題があれば雇用される筈もない。そして数の力に負けるのか雇用はされ易い反面、出世は難しい。

 そんな慣例の中でロナウド・フォスター・フォウト様は宮廷占術師長にまでなられた。

 並の努力ではないし、実力も相当なものに違いない。


 私は湖面上での勝負を捨てる。


 魔法素を更に流し込んで氷を砕き、着水と同時に付近の湖水を操作して私の周囲に一人分の空気の空間を作り、その空間ごと湖水に沈んだ。空気がなくなって呼吸が出来なくなっては本末転倒なので、相手に分からない程度の細い管状の空間を作って湖面へ繋いでおくことも忘れない。形状が複雑で且つ維持が必要なので、湖面上での移動よりも更に集中力が必要で魔法素の消費が嵩む。そして二酸化炭素が空気内の他の分子より比較的重いので空間の下方に溜まりかねないから換気が必要なのだけれど、流水魔法ではどうにも出来ないので改良はどうしても必要になる。勝負がついた後にこれも試行錯誤と練習することになるだろう。


 私が私の身長の3倍程、この辺りの水底と湖面の中間くらいまで沈んで様子を窺っていると、宮廷魔法導士様が私と同じような手法で水中に沈んできた。その表情は苦々しく歪んでいる。そんなに私がエティの魔導秘法館の行き方を知っているのが気に食わないのだろうか。


「ローダネル伯爵令嬢」


 宮廷魔法導士様が此方を睨めつけてくる。水中でも音声が聞き取れるのは水の振動が此方まで伝わるからだろうか、それとも宮廷魔法導士様の魔法だろうか。


「貴女はどれ程までに魔法素に恵まれているのだ」


 私は首を傾げた。


「その魔法の使い方はまだ分かる、この短期間とはいえそれだけの修練を重ねたのだろう。だがその魔法の使い方を支えている魔法素の量は、既に私の計れる範囲を超えている」


 そういえば魔法の練習をし始めてから最初こそ疲労感があったけれど、すぐになくなった。あの疲労感が魔法素の枯渇を示しているのであれば、私は既に大量の魔法素を生産することが出来ている、ということになる。


「並の普人種では到底、敵うまい。王族にすら、ともすれば魔人種にすら匹敵するのではないか」


 私は空間と湖水の間にある足元に視線を落とした。


「本当に普人種なのか」


 『復讐の魔女』は、私に祝福と呪詛を同時に与えてくるらしい。

 陰性に限られているとはいえ魔法に恵まれる祝福と、その魔法によって周囲に疑われる呪詛とを。

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