壱◆7
***
一瞬の隙を突かれた。
理解と同時に、天邪鬼の頭の回転の速さを知り、それを今まで隠していた──否、手を抜いて僕と接していたのだと気づき、僅かに苛立つ。やれば出来るのにやろうとしない、怠惰で傲慢。知れば知る程嫌いになる相手だ。
波立つ感情を、小さな深呼吸で落ち着ける。この程度で荒れてはならない。そう言い聞かせて、表情に出る前に渦巻く想いを抑え込む僕を、黒妖姫は嘲笑う。
「ッハ、賢者なんて呼ばれてるアンタでもしてやられる事があるのね。それも、大妖怪でもないただの一妖怪相手に」
拘束されたまま、駆け付けた仙人らに連行されようかという状況下にも拘わらず、彼女は焦りもせず言う。相手にする必要はないが、間違いがあったので訂正だけはしておくことにした。
「アレが大妖怪に数えられていないのは、やることが毎回しょうもない事ばかりだからだよ。妖力の量や質だけなら、他の大妖怪と並ぶ危険な妖怪だ」
「ああ、空従の巫女だっけ? ご立派な仙人だったらしいわね」
「……やけに詳しいね」
「歴史書や過去の議事録読んでれば、嫌でも出てくんのよ。だから知ってるだけ」
白神から開示された黒妖姫の情報は少ない。しかし齢十六で、生まれてすぐに悪さばかりで奈落に閉じ込められていた、という情報を思えば、彼女の言い分には少し無理がある。
奈落は“無”の空間だ。光のない暗闇。娯楽も何も無い。本なんてあるはずがないし、あったとしても暗くて読めやしない。彼女が閉じ込められていたという奈落の調査結果から、奈落から神位継承の儀の場に直行したと考えられている。歴史書の類を大量に読んだような彼女の言動と合わない。加えて、ナナシ山に飛ばされてから陰大王を下すまでの時間を考えれば、その間に読書が出来たとも思えない。今日ここで再開するまでの時間なら読めたかもしれないが、それだってせいぜい二、三冊が限度だろう。
だが──。
じっと、黒妖姫と目を合わせる。こちらを騙そうという魂胆はなく、素直な感情だけが感じ取れる。彼女は歴史書や議事録を大量に読み、そこで空従の事を知ったのは事実のようだ。
「それで、その大妖怪に匹敵する元仙人を、ほったらかしにして良いの?」
違和感を覚えて質問を重ねようとした僕を遮るようにして、黒妖姫は言った。邪魔する意図はなかったようで、純粋な疑問らしい。
「……場所は分かっているよ。さっき千里眼で確認した」
「早っ」
「天邪鬼が向かう先は金霊の売買を取り仕切る商人がいる場所である可能性が高い。だから今は泳がせておく」
質問に答えると、黒妖姫は不可解そうな顔をした。
「なんであの妖怪がそんなところに向かうと思うわけ?」
「天邪鬼は金霊狩りが行われていることを知っていた。ソレに君が関わっている事もね。そして、君が今ここで捕まってしまうのを避けたいようだ」
天邪鬼が逃げる間際、目が合ったから分かる。逃げたいという感情は見えたが、自分自身の為ではなく他者の方に意識が向いていた。それから謝罪(これは黒妖姫を囮に使ってしまった事に対してだろう)と、急ぐ気持ち。これらから推測できることがあるとすれば……。
「彼女がこの場から逃げたのは、君が金霊狩りに関わっていたという証拠の隠滅だろう。天邪鬼が場所を特定したら、僕も現場を押さえに行く」
「ふーん……じゃあもしも、アタシが金霊狩りに関わっていたって証拠がなかったら、勿論釈放してくれるのよね?」
「まあね」
「そう。だったら、アタシの事はもっと丁寧に扱った方がいいわよ。証拠なんて出てこないから」
随分と自信満々に黒妖姫は言い切った。直接会話もしていない天邪鬼が自分の為に動くと確信しているのだろうか。
「途中で飽きて、君を見捨てるかもしれないよ。空従……天邪鬼になってからの彼女は、飽きっぽいし薄情だ」
「馬鹿ね。妖怪になった仙人は、人だった頃の性質を残しているのよ。空従の巫女には、悪名を被ってでも町民を守った逸話があるわ。彼女は守りたいものの為に全力を尽くすわよ」
だからもう、そんな性根はどこにもないか、そもそもその逸話自体が嘘の可能性があるというのに……。呆れる僕を、黒妖姫は強気に笑った。
***
前世女の記憶では、金霊の売買自体は扶桑国で行われている。私は芽国との国境付近で空間を捩じ開け、隙間からその地に降り立った。あとはほとんど手がかりが無い。さてどうしたものか。
『げーむ』では集めた『きゃらくたー』を売る時、荷馬車を見送る黒妖姫の絵が表示される。ということは、ある程度道が整備されたところを通るのだろう。大きい道があるのは……。
周辺地域の情報を思い出しながら南に向かおうとした時だった。
「そっちじゃないのです!」
「うおっ!?」
突然耳元で声がした。私はぎょっとして耳の近くを手で払う。手ごたえは無かったが、掠った感触がしたので、僅かに重みが増した肩にしがみ付くそれを素早く掴み取った。
「痛いのです! 痛いのですー!」
「≪無音≫! そのですです≪黙る≫のを≪やれ≫!」
「何言ってるか分かんないですー!」
甲高い声に顔をしかめつつ、掴んだそれを顔の前に摘まみ上げる。黒妖姫の近くに居た小鬼、
(温羅ちゃんは分体を作れるんだよね。攻撃力は無いから、偵察用なんだけど……それにしても可愛いーっ! こんなに可愛いなら別でビジュ用意してほしかったなぁ。夢のまた夢だけど、大手になれてたら絶対おまんじゅうぬいとかになってたよ、もぎゅってしたーい)
「だァー!! この……ッ嗚呼もう! ≪不要≫な情報だけ≪言うな≫!」
近くにあった大岩に頭を叩きつける。岩は割れ、岩陰に佇んでいた幽霊が「ひゃー」と、か細い悲鳴を上げて逃げていった。荒々しく息を吐く私の手に摘ままれたまま、温羅は引いた表情で呟く。
「ヤバい妖ですか……?」
「≪雑≫になってんじゃねえよ……」
切れた皮膚を手の甲でこすり、「で?」と用件を促す。温羅は我に返って。わたわたと忙しなく小さな手足を動かした。
「そうでした! 黒姫さまを助けるのです! 証拠隠滅なのです!」
「! お前もしかして、金霊の売買場所≪知らない≫のか?」
「知ってるのです! だからさっき止めたです!」
反転術のせいで侮ったような表現になってしまい、温羅は不服そうに声を上げた。キンキンと響く声は鬱陶しいが、これは使えそうだ。
「何処だ? 私も≪違う≫理由で……」
「違うなら温羅は一匹で行くです」
「あー! もう! ≪違わない≫!」
「じゃあ一緒に行くです」
そうじゃない、という意味で言った言葉が運よく意図通りの意味に捉えられた。反転術があると意思疎通がこんなに面倒だとは……この数百年、まともに誰かと意見したり意味のある会話をしていなかったから、苦痛だ。
すでに気疲れする私を他所に、小さな温羅は、こっち、と指さして道案内を始めた。それが全く迷いなく指すので、若干不安になって話しかける。
「≪来なかった≫こと≪ない≫のか?」
「? 一度も来た事ないのです。でも、商人さんが、『林道で下ろしたら、そこからは手作業で芽国まで運ぶ』と言ってたです。温羅はよく分かんなかったですけど、姫さまが地図を指さしながら、『こういう道順でしょうね』って教えてくれたです」
(おお~! さすが黒姫さま! 奈落で地理のお勉強してただけあるね)
……“無”の空間なんだから、奈落に勉強道具があるわけないだろ。常識と照らし合わせてそう思うのに、前世女こと予言者が遊んでいた『げーむ』では、黒姫は確かに『奈落で書物を読み、知識を蓄えていた』事が窺える。予言と言えど、全てが予言通りというわけではないんだな、と考えを改め、私は温羅の説明から先読みして移動を続けた。
おそらく、隙間から抜け出た時点で賢者に居場所はバレている。どこかで足を止めれば、そこが金霊の売買所であると勘付かれ、追って来るだろう。立ち止まっていられる時間は一秒だって無い。
「あれか」
だから私は、国境付近にぽつんとある小屋を見つけると、一切の躊躇もなく飛び込んだ。
「何だ!?」
戸を蹴り破った轟音に、驚いた複数の男女の声が上がる。立ち止まれぬ私は、素早く周囲を見渡した。金霊が入った籠が幾つも並んでいる棚が見えた。ここで間違いなさそうだ。
「……金、≪浪費≫してんだって?」
「ヒッ!?」
この場で一番金目の装飾品をつけた男を目ざとく見つけ出し、私は瞬く間にそいつを壁際まで追い込んだ。有り金を寄こせと強盗しに来たように見えたのか、男は怯えながらも「か、金なら、事務所の金庫に……」と言うが、残念ながら私が欲しいのは現金の在処ではない。
「領収書」
「へ……っ?」
「≪過去≫の≪購買≫履歴。何処だ」
術で言葉が反転してはいたものの、私が欲しているものは大方理解したのだろう。男は「事務所の大きい戸棚に、あります」と小さな声で答えた。途端に温羅が私の肩から降りて、奥の部屋の戸棚に飛びついた。
「鍵かかってるです!」
「≪強力≫だな。こうすんだ、よッ!」
急いで私もその場に向かい、温羅が手こずる鍵付きの棚を腕力でこじ開けた。勢い余って棚が大きく横に揺れ、中に入っていた書類の数々が飛び出したので、慌てて妖力を混ぜた息を吹きかけて、拳一つ分程の塊に変えると、私はそれを手に取った。
「あぶね……っ。でもこれで──」
思わず声を出した──瞬間、気づいた。反転術が解けている。
まずい。賢者の視界範囲内に入っている。もう近づいてきている。憎らしい事に長い付き合いなので、賢者が来る瞬間の神通力の気配には馴染みがある。まあ、察せたところで逃げ切れないから厄介なのだが。
塊を持って逃げようと周囲を見渡す。裏口から出て間に合うか、隙間に逃げようか……瞬時の判断を迫られる中、物陰に隠れてこの場をやり過ごそうとしている妖怪が一瞬視界に入り、前世の思考が反応する。
(羅刹!? なんでいるの!?)
流しかけた視線を、片角の男鬼で止める。すっと通った鼻筋、閉じた目──いや、首にある一つ目は開いている、こちらが本物で顔にある目は作り物か。前世が反応したということは、こいつも『げーむ』に出てくる妖怪らしいが、記憶を探っている余裕はない。
(うわッ顔が良い!! 怖っ! ぅおわでも黒姫さまと並んだら絶対絵になる早く見てえ!)
確かに美男の類の顔立ちだが、何故怖がっているのか。こいつの思考はいまや私の思考と同化しているはずなのに、よく分からない。いや、しかし。この反応からして、おそらく黒妖姫の味方となる人物のはずだ。私は書類の塊と温羅をその妖怪に投げつけて、開いた隙間に二人を足で押し込んだ。
ほとんど同時に、カラン、と遊環が鳴る音がした。
私が反転術の解術に気づいてから、二秒程で賢者の到着だ。前世女が羅刹に反応しなかったら、捕まっていただろう。こればかりは助かった。
私も逃げようかと思ったのも束の間。今度は強く、シャンッ、と遊環が鳴らされ、周辺の妖力はごっそりとそぎ落とされた。力が抜けてふらついている間に、賢者の神力が室内に流れ込み、その場にいる全員が神通力により拘束された。私も例に漏れず、というより周囲よりも何重にも強力な拘束をされ、尻餅をついて転がった。
「ご苦労様。探し物は隠せたかな?」
頭上に立った賢者が、静かに微笑んでこちらを見下ろす。
(あぁ~、良いアングルだぁ……賢者君って小柄だから、それを意識するとどうしても俯瞰構図になりがちなんだけどいやそれはそれで上目遣いの可愛い賢者君が出力されるので一切の損が存在しないんだけどそれはそれとして敵対しているからこそ蔑みの意図が込められた視線で見下ろされる構図は趣深いんですよね)
前世女の、賢者に関わる神羅万象への賛辞にため息を吐き、目の前の男に見惚れる想いを端に寄せ、舌を出す。
「遅かったな、バーカ」
「ふうん?」
はったりかどうか見極めようとしたのか、賢者は少し顔を近づけて私を見つめたが、ただただ脳内が黄色い悲鳴をあげるばかりで碌な感情が受け取れなかったのか、顔をしかめてしまった。信者に仕事の邪魔をされる愉快な光景に私は声をあげて笑った。
*
……賢者が事務所に来てから数刻。陽が落ちる前には町奉行の同心らがやって来て、調査が始まった。結論から言うと、黒妖姫の金霊売買の証拠は見つからなかった。この一週間分の売買履歴をまとめて温羅たちに渡したので、昨日外に出たばかりの黒妖姫が関わった証拠もそこにあったのだろう。
「っしゃ」
報告を受ける賢者との会話を盗み聞き、拘束されつつも握り拳を作って喜ぶ私を、賢者はやれやれと小さく首を振って見下ろした。
「大っぴらに証拠隠滅を喜ぶなんて、黒妖姫の代わりに君が尋問されても知らないよ」
「今の私は神仙からの命で、修行中の身だぞ。人間共が手を出せるかっての」
「やる気も無いのによく言うよ」
私たちの会話を聞いた同心は、窺うように賢者をちらりと見やった。私を事件関係者として尋問すべきかどうかの判断を彼に委ねたようで、賢者は「結構だ」と手ぶりでそれを断った。
「彼女への罰は、一年後に神仙が下す。今回は保留してくれ」
「かしこまりました」
「後の処理は任せるよ。事件記録は見ているからね。それじゃあ、よろしく」
手は抜くなよ、としっかり釘は刺して、賢者は私を引きずって黒妖姫の下へと向かった。
「そういや、黒姫さまはどうしてんの?」
「同心に引き渡して牢に入れてもらっているよ。……動いてはいないけれど、大人しくはしていなさそうだ」
千里眼で、ちら、と黒妖姫がいる方角を眺めた賢者はため息交じりに言った。
『げーむ』では、黒妖姫は勘違いや現行犯で度々牢に入れられ、その度に牢を壊して脱走をしている。今回は動いていないということは一応待ってくれているようだが、さて、どれほど暴れたか楽しみだ。
ほんの数秒で牢にたどり着く。賢者の姿が現場に現れた途端に、奉行所の面々が泣きついた。
「賢者殿! 早うアレをどうにかしてくだされ!」
「だから言っただろう? 下手に刺激せず、お茶でも飲みながらゆっくり待つようにって」
既に人が散らばって倒れている状況を見もせず言って、賢者は牢へと歩き出す。短い道中だと言うのに、どの牢も破壊しつくされ、だというのに中にいた受刑者たちはへばりつく妖力に怯えて逃げ出す事も出来ずに隅の方で小さくなっていた。そして、黒妖姫がいる牢はというと……。
檻はひしゃげた形になって片隅に転がり、もはや閉じ込める機能など何もない広い空間となっていた。その部屋の真ん中で、折り重なって山となった奉行所の人間の上に座った黒妖姫は、私たちに気づくと、仲間の妖怪たちとの団欒を中断し、真っ黒な長髪を大袈裟に手で払った。
「あら、遅かったわね。当然、アタシの無実が証明されたのよね、天邪鬼?」
堂々と、何も不安など無いとばかりに彼女は言った。不思議と信頼を寄せてくれるのが嬉しくなって、私はニッと口の端を持ち上げた。
「当たり前だろ。私はアンタがここで捕まるなんて見たくないんでね」
「フフン。ほらね、言ったでしょ。アタシのことは丁寧に扱いなさいよって。なのに──」
自信満々に言い切って、黒妖姫は椅子にしている人間たちを不愉快そうに見下ろした。
「──吟味方まで連れて来て、裁く気満々って、どういうつもりよ! 賢者!」
「僕の指示ではないよ」
どうやら、神仙襲撃という前科を持つ彼女なら他の罪も犯しているだろうと決めかかった奉行所から、吟味方(容疑者の取り調べを行う部署)を派遣されてしまったらしい。賢者も、「君も自分のやった事で周囲からどう見られるか、少し考えたらどうかな」と苦言を溢すが、黒妖姫はふてくされた顔をして腕を組んだ。
「アタシがどう生きようが勝手でしょ。他人の目を気にしてやりたいようにやれないなんて、そんなつまんない人生は御免よ」
(あぁ~黒姫さまだ~! これこれ! この横暴さと、自分を貫く強さが好きなんだよ~!)
私も嫌いじゃない。前世の感覚に同調してにこにことしてしまう私とは正反対に、賢者は眉をひそめていた。
晴れて自由の身となった黒妖姫は瓦礫の山を抜け出し、大きく伸びをして歩く。そんな彼女を見て、周囲は神仙襲撃の一件を話題にしてひそひそと話し合っていたが、黒妖姫はそんなものは気にならない様子でこちらを振り返った。
「アタシが言うのもなんだけど……アタシを自由にして、本当にいいの?」
「神仙襲撃の事か?」
「そうよ」
私の質問返しに頷いて、黒妖姫は「一応、現行犯だったワケでしょ」と付け足した。
「ん~……ていうか、あれは……」
(めっちゃ壮絶な親子喧嘩だしねぇ……)
「そうなんだよなぁ……親子の問題だから、私たちは外野だ。黒姫さまが白神を訴えるって言うなら、応援のしようもあるけど。なぁ、賢者?」
「そうだね。君が盟約に基づいた思考回路があることに些か驚いてはいるけど」
「っるせえな……」
舌打ちする一歩手前で、黒妖姫が「ふーん」と相槌を打ったので控えた。
「ま、訴えたところで人間に神を裁けるかって話よね。人神妖平等なんて形だけじゃない。人は神を崇めるし、神はいつまでも神のままだし、妖怪の悪戯をいちいち法令で裁いてらんないから放置してる現状なんだから」
馬鹿らしいと言わんばかりに片眉を吊り上げて、黒妖姫は「そんな盟約条文を守って、アタシを見逃すって言うんだから、アンタたちも変なの」と付け足したかと思うと、広い裾を翻してそっぽ向きつつ、「一応、礼は言っておくわ」と唇を尖らせて言った。
「ありがと。……じゃーね!」
仲間の妖怪たちを連れて立ち去ろうとした黒妖姫は、ふと思い出したようにこちらを振り返った。
「あ、そうだ。ねえアンタ!」
誰に向かって呼びかけたのか分からずキョトンとして、黒妖姫の視線が真っすぐに私に向けられていたので「え、私?」と聞き返す。
「そうよ、元巫女のアンタ。そこの賢者に飽きたら、アタシのところに来なさい。こき使ってあげるわ」
にっと笑う黒妖姫に、賢者が声をかける。
「ところでお姫さん。牢の修繕費……」
「全員撤収!」
露骨に「やばっ」という顔をして、黒妖姫はそそくさと去っていった。彼女達が走り行く方向を見送った賢者は、「なるほど」と小さく呟いたかと思うと私に視線をやった。
「……気に入られたみたいだね」
(うっはあ~光栄ーっ! 先に賢者君と会ってなかったついて行ってた~!)
「賢者にはとっくに飽きてんだよなー……」
「へえ?」
賢者の含み笑いが聞こえた。嫌な予感がして私は逃げようとしたが、拘束する神通力が強まったかと思うと、首すら動かせなくなった。そうこうしている間に、賢者が私の真正面に座り、わざとらしく上目遣いで私の顔を覗き込んだ。
(くうっ)
それだけで心臓を押さえたくなる程ときめくのに、賢者は悪戯っぽく目を細めて小首をかしげた。分かりやすいあざとさに、うげえ、と思う感情が前世の感情に塗りつぶされて飛んでいき、愛しさで満ちた。
(ヴァアアアアッ!? 飽きない飽きない飽きない!! 一粒で無限に美味しい! いつまでも味のするガム! 賢者君の吐いた息があるこの世のありとあらゆるものに感謝! 一生推す、いや祀る!)
「っぬ、あ、うッ」
口元が緩むのを必死にこらえる様が面白かったのか、作った表情をひっこめた賢者を見て我に返る。この野郎! 前世女から見て自分がどれだけ可愛いかを自覚しやがった!
「アアアアアアッ!! やめろ! 私を弄ぶなァ!! 嫌だ! 好きになるゥ!!」
「ははは。君の中に僕の信者がいる限り、君の行動を縛るなんて簡単なことだよ。それじゃあこれから一年、地仙として修練に励めるかな、信者さん?」
「はーいっ! ……っは!?」
ついには信者に直接話しかけてくれやがったことで、思考が一瞬信者本人に持っていかれた。気づいた時にはすでに返事をし終えた後だった。どっ、と汗が噴き出る私を、澄んだ夜空が見下ろしていた。
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