壱◆6
当然ながら、目の前で叫んだ私の声に吃驚した少女は飛び上がり、奥から賢者が飛んできた。
怖いとかそういう話ではなく、突然の展開に困惑して目を白黒させる少女を長が抱きかかえ、私は賢者に両頬をつねり上げられていた。
「君に良識を求めるつもりはないが、下品な事はやめてくれるかな」
「
(ああぁああぁぁああ賢者君の指が私に触れている!)
私は体を大きく揺さぶってその手から逃れると、ヒリヒリとする頬に少しばかり涙を浮かべて抗議する。
「あと私に触るな! 興奮する!!」
「子どもの前でやめなさい本当に」
かなり真面目な口調で諭された。お前の変態信者のせいだろうが! と声を上げる私を無視して、賢者はあやされる少女を振り返って声をかける。
「ごめんね、変なお婆ちゃんの言う事は気にしなくていいからね。長生きすると耄碌することもあるんだよ」
「爺がいらん記憶呼び起こしておいて人のこと言えんのか」
横槍を入れて私はそっぽ向く。私はちゃんと正式名称の方で言おうとしたんだ、と抗議を続けると、賢者は少女から私を隠すように移動して、話半分といった様子で話しを聞く姿勢を取った。
「で? 正式には何って?」
「金霊の森! 金霊を狩って金策にする祭りだ!」
「……金霊って、一応君と同じで妖怪だと思うんだけど、同類を売っていたのか君は」
「売ってねえよ金使わねえんだから!」
そうじゃなくて、と私は弁明する。妖怪同士で争ったり力比べをすることはあっても、売るわけがない。……どうしても金が必要だったら売ってたかもしれないが、今のところそういう状況は来てないので胸を張って言える。
「黒姫さまの金策だよ! ナナシ山の拠点がボロくて使えないからって立て直しの為に資金繰りが必要になってんの!」
(拠点にある十個の銅像とか建物とかを直すのに、お金がめちゃめちゃ必要なんだよね~。直した後も、十段階までグレードアップできて、それぞれ味方のステータスに影響があるからまたお金がかかるっていう……)
「つーか、さっきそこにいたんだって! 黒姫さまが網持って金霊追いかけてた!」
「昨日の今日で戻って来たって? ナナシ山と扶桑国は距離があるはずだけど……」
『転移げーと』とやらがある事は黙っておくべきだろうか。そんなものがあると賢者が知れば、黒妖姫の力が完全回復していない内に乗り込んで力づくで解決しかねない。感情を読まれぬようにと、私が視線を逸らしている間に賢者が口を開く。
「ナナシ山と扶桑国を直接行き来できる道があるのかな」
「……」
さすがに察しが良いと言うべきか、聡いと言うべきか。こちらの反応を窺う賢者から顔を逸らす。目を合わせたところで、伝わるのは前世女に支配された思考の『さっすが賢者君、頭良い~! RTA走者』という、褒めているのか何なのか分からん感情しか見えないだろうが、なんとなく嫌で押し黙る。
「まあいいか。それは後で探すとして……黒妖姫が近くにいるんだったね。丁度いい」
「……何が?」
「金策として使われているということは、金霊を売買している者がいるということだろう? 黒妖姫がその問題に関わっているのなら、これを理由に捕らえることが出来る。それに、今回の依頼とも関係があるかもしれない」
そういえば、依頼があって来ていたんだったか。自分に関係の無いことだから忘れていた。結局何の依頼だったのだろうかと目で尋ねれば、目が合った賢者は意図を汲んで説明を始めた。
「知っての通り、エナンジは扶桑国の中でも裕福な地域だ。神仙が最も利用している神奈備、八又神殿がある地域だからね」
(神仙は降臨すると、神力で周囲に良い影響を与えるから、農作物とかが良く育って高値で取引される、だっけ。そんな設定もあったね)
「神仙への貢ぎ物も多く保管されているし──当然、それを狙う不敬な連中にも目をつけられている。盗難被害も少なくない。それが、最近になって減少傾向にある」
良いことでは? 別に誰の家から何が無くなってもどうでもいい話だが、一応人間目線に立って考えてやる。私の浅い考えなど見透かして、賢者は続ける。
「連動するように、この地域一帯の資産が減っているんだよ。働いても働いても、以前のように稼げなくなっている。物価に大きな変動があったわけでもなければ、急にここらの人間皆の金遣いが荒くなったわけでもなし。先の通り、財産を盗まれているわけでもない。で、君が言った金霊が売られているという話に繋がる」
後は分かるね、とばかりに賢者は話を切った。金霊の特性を知っていれば、確かにこれ以上の説明は不要だろう。
妖怪・
「金霊が一か所に……買取業者の所に集まったせいで、里の人間が無自覚に受け取っていた金霊の効果を感じにくくなった、って?」
(今までは働けば獲得金アップのバフがかかってたけど、それが無くなっちゃったんだね)
「おそらくね」
「あほくせー」
今まで無自覚とはいえズルして大金を得ていたのが、正当な金額になっただけじゃねえか。何が働いても働いても稼げない、だ。
「じゃあこれで解決だな。金霊がいなくなったから、これからは真っ当に働いて真っ当な金額を貰って慎ましく生きな」
「そういう訳にはいかないよ」
「ア?」
なんでだよ、と突っかかろうとして、こちらを見下ろす賢者の視線に気づき、私は素早く顔を逸らした。どうしてだろうか、今から怒られる気がした。
「人神妖平等。人や神に権利や責任があるように、妖怪にも当然、権利や責任が発生する。人買いは犯罪だよ、分かるね?」
(すみません、めっちゃ狩って売り飛ばしてました……LR金霊出なかったらちょっと舌打ちしてました……)
『げーむ』では同一人物であっても格があるらしく、金霊の中でも『LR』という最高格の金霊が高く売れたようだ。前世を思い返してみれば、確かに売却完了の画面で、荷馬車か何かを主人公が見送っている絵が表示されているが……いや、まあ、それは『げーむ』での話で、私は売ってはいないから……。だって金なんて使う機会なかったのだから、前世女と違って謝罪する事なんて何も──。
「それで君、金霊が売られているという話の時、金を使わないから売ってない、と言っていたね。普段の食事や日用品はどうしていたのかな」
「……それはー……ほら、ちょっと、民家から……拝借して?」
「一般的にそれは窃盗と呼ぶんだよ。この辺りでも悪さをしただろう」
憶測で物を言うんじゃねえよ、と言い返すが、賢者は食い気味に「どの家でどれだけ盗んで、被害総額はどのぐらいか、全部記録してあるよ」と遮って来た。
「今ここで暗唱してやってもいい」
「む、無駄な事に記憶力使いやがって……。いっぱいあるんだから、一口二口貰ったっていいだろ別に!」
「反省していないようだね。でも君はこの里の問題解決に勤しむ程度の事をする義務がある」
それでも足りないぐらいだ、と付け足して、賢者は私を柱から解き(拘束そのものは解かれなかった)、長の方を振り返った。薄桃色の髪がふわりと揺れて、少し甘い匂いがした。
(ふへ、いい匂い……パンみたいで美味しそう)
「金霊がよく出る場所は? 少し見て来るよ」
「金霊でしたら、確か……」
息を止めて色々なものを堪え震える私を他所に、賢者は長から金霊が現れる場所をいくつか聞き出し、私を引っ張ってその内の一つに歩き出した。
向かうは隣村と隣接している森だ。
人が住める土地は無く、ただ木々の根と水があるばかりのこの森は、遥か昔から妖怪たちの棲み処として残されている。隣町との行き来は遠回りをするものらしく基本的に人はほとんど立ち入らず、賢者の姿を見た害の少ない妖怪や幽霊が遠巻きにこちらの様子を窺っている。
少し荒れた雰囲気はあるが、周囲を見渡せば探るまでもなく、木々の隙間を縫うようにして金霊が泳いでいるのが見える。まさに『金霊の森』だ。『げーむ』ともある程度一致しているように思う。
「んで、なんでこの森一択?」
一応理由を聞いてみる。賢者は振り返らずに言う。
「黒妖姫のものと思しき妖力を追ってみたらここにたどり着いただけだよ。それに君はさっき、『金霊の森』と言っていたから、預言者の話とも一致するんじゃないかな」
そう言って、賢者は足跡でも辿るようにして、水面に小さな波紋を浮かべながら奥へと進んでいく。
(は~……木漏れ日が青白い光になって降り注ぐ空間、神秘的……。水の上を歩く賢者君、ただでさえ神力に満ち満ちているのに、仙人を超えてもはや神々しいね。拝んじゃおっ)
やめろ、本当に拝んじゃうから。
私は浸水した木の根の上を、わざとじゃぶじゃぶと音を立てて意識を誤魔化し進む。何かしらの神の力による影響か、妖力と反発し合って疲弊する私とは正反対に、神通力で水の上を軽快に渡る賢者はどこか気が楽そうに見えた。ほぼ天仙に近い彼にとって、妖力が溢れた俗世よりは神力に満ちたこの空間の方が息をしやすいのだろう。
尚更さっさと天仙になって白神姫のところにでも行ってくれないだろうか。
(そういえば賢者君って、天仙になるのをずっと固辞してるんだよね。『地上で人と接している方が性に合っているから』って人形神のキャラクエで言ってたけど……本当かな?)
理由なんてどうでもいい、と切り捨てる気持ちとは裏腹に、思考は興奮し出す。
(折角本人が目の前にいるなら聞くべきでは……!? 聞きたい事しかないんだよね、まず黒姫さまの妖力が普通のと違うって言ってた意味とか、あーちゃん・うんちゃんといつからの知り合いですかとか、天仙になるのを固辞しているのになるべく人と関わらないようにしてる矛盾とか、)
「アー……」
「預言者から何か有益な情報でも拾えた?」
「無駄な事しか言ってねえ」
「……そう」
預言者の無駄話には興味が無いらしい賢者が黙々と進み──歩みを止めた。視線の先を目で追ってみれば、向こうもこちらに気づいた様子で振り返った。
真っ黒な髪と瞳。赤を基調とした裾の短い着物。肩に網を担いで、指先まですっぽり隠れてしまいそうな長い袖を捲ろうかという体勢の少女は、しばし賢者を見つめていたかと思うと、何事か気づいた様子で「げ」という顔をした。
「やあ、こんにちは。黒妖姫」
先んじて賢者が声をかけ、一歩近づいた。黒妖姫は侍らせていた妖怪たちごと後退る。
(あちゃー……見つかっちゃった。まあ最短距離で詰めてる感じだったもん──あ、凄いっ! 黒姫さまが連れてるの、無料ガチャ産の低レアの子たちだ! ええ~可愛い~!! 一人ぐらい貰ってもバレないかな……)
『低れあ』と呼ばれるだけあって、あまり妖力が高くない、おまけに生まれて間もない若い妖怪ばかりを連れた黒妖姫は、賢者の神力が天仙と同等かそれ以上だと気づいたのだろう。引きつった笑みを浮かべた。
「……アンタ、白姫の神位継承の儀にいた仙人ね? 見た事あるわ」
「へえ。白神様を前にして視野が広いね。僕は地仙・高従」
「地仙? 馬鹿言わないで。神仙の命で地上に遣わされた天仙の間違いでしょ」
端正な顔を顰める黒妖姫の後ろから小鬼が姿を見せ、何事か耳打ちをした。
(
記憶を少し探ってみる。どうやらあの小鬼は『げーむ』に登場する内の一人で、ナナシ山の大王・陰に言いつけられて黒妖姫と行動を共にしているようだ。小鬼の進言を聞き、黒妖姫は納得した後、肩をすくめた。
「なるほどね、アンタが賢者様ってワケ。できれば会いたくなかったわね」
「残念だけど、君を捕縛させてもらうよ」
「なんでよ。神域から追い出したのはそっちでしょ」
「それとは別件だよ」
それ。と賢者が黒妖姫の首に下げられた虫篭を指す。一瞬黙った黒妖姫は、虫篭に一度視線を落とし、それから黙ったままそっと虫篭を地面に置いた。
「……空っぽよ。それに、今日はちょっと虫捕りをしてただけよ」
「僕はまだ何も言っていないよ。その篭と網を使って、何か後ろめたい事でもしていたのかな? 例えば、ここらで最近金霊が減っていることに関係すること、とかね」
「……」
黙り込んだ黒妖姫は、覚悟を決めて顔を上げた。賢者と戦う気だ。多少なりとも妖力が回復しているので、完全勝利とはいかずとも撤退ぐらいなら出来るという判断だろう。
黒妖姫の戦いぶりが見れる! と少し浮足立ち──ふと、疑問が浮かぶ。
(……あれ? これだと、賢者君は黒姫さまの良いところを知る事が無いままでは……?)
そう。前世女の記憶通りの賢者と黒妖姫の関係にはならない。
そもそも『げーむ』では、賢者は黒妖姫が桃源郷から追い出された事件の顛末を人伝手にしか知らず、だからこそ『げーむ』の賢者は、知恵を借りたいと言ってやって来た黒妖姫を無下に追い返したり、捕まえて神仙に突き出したりするような真似をしなかった。しかし現状、賢者から黒妖姫に対する印象は最悪だ。叩ける理由が明確にあれば、賢者は必ず黒妖姫を罰するだろう。
(賢者君のイベントってバージョン2.7以降だから……レベルもスキルもカンスト、限界突破もマックス解放が大前提……ううん、それ自体は普通にプレイしてれば簡単に出来るんだけど、今の黒姫さまの戦力だとさすがに……)
私の誘導のせいで、黒妖姫の物語が終わるのでは?
やべっ、どうしよう。さすがに少し焦る。私は黒妖姫と深い関りがあるわけじゃない、自分のことだけを考えるのなら、賢者のやることを大人しく見守っているのが吉だ。だが。
前世は思う。
(描かれず終わってしまった原作の続きが、また見れないなんて──!)
あざ笑ってやりたい気持ちもあるが、今回ばかりは私も同意する。私もあの日、黒妖姫と出会ったその時から、彼女の力や態度に在り方全てに目を奪われたから、前世女の気持ちが分かる。
たったの一晩、僅かな時間、一目見た彼女のあの妖力が再び戻る場面を──純粋なる妖の力が白神を圧するその瞬間を──見たい。
前世女の思考と今の自分の思いが重なる。
(賢者君を出し抜くのは、正直難易度高いと思うけど……)
馬鹿言え、私を誰だと思っている。嘘に嘘を重ねるぐらいどうということはない。金霊の買い取り業者を、賢者よりも先に見つけ、黒妖姫が関わった証拠を探し隠滅するぐらいやってみせる。
まずは賢者と距離を取る必要がある。そのためには……。
気づけ、と黒妖姫に視線を送っていると、彼女がふいにこちらを見た。私が一つ頷いてみせると、彼女は察した様子で視線を賢者に戻した。今だ。
「! 天邪鬼──」
妖術を使おうとした瞬間に賢者がこちらの挙動に気づいたが、私はお構いなしに妖術で拘束を断ち切った。黒妖姫が「撤収!」と叫ぶと同時に、賢者が錫杖を振るう。
錫杖の遊環の音は、一瞬ではあるものの妖力を無効化する。故に仙人らは攻撃に転じる際に、まずは遊環を鳴らす癖がある。だが、錫杖や遊環そのものに妖力を無効化する力があるわけではない。問題なのは音だ、遊環が鳴らなければいい。
私は妖術で遊環の動きを止めた。賢者は即座に私の妖術を神通力で破壊する──数多の妖怪とやり合って来たお前なら、そうすると思っていた──その刹那を狙い、私は空間を捩じ開けた。
賢者の神通力が木の根の形になって隙間を閉じにかかる。そうなるのも予想済みだ。妖術で現れた黒い炎で賢者の視線を黒妖姫に誘導すれば──賢者は逃げる彼女らを追わざるをえなくなる。いつでも捕まえられる私より、“黒妖姫の悪事を止める”という神仙との約束事の方は優先順位が高いのだから。
「ちょっと!」
餌にされたことに気づいた黒妖姫が抗議の声を上げる。彼女の妖力が賢者を襲うが、賢者はそれらを他の妖怪諸共、神通力で押さえ、拘束と同時に黒妖姫の背に乗って動きを封じ込んだ。
クソ、想像していたより黒妖姫を制圧するのが早い! だが、こちらも負けていられない。
賢者は続いてこちらの拘束をしようと、錫杖を振う。隙間を閉じ、私がそれに抵抗している間に拘束する──いつもその手順だもんな? その一秒にも満たない時間で、私は新たに開けた隙間に体を滑り込ませた。
最後の最後まで隙間を壊そうとしていた賢者が、逃がしたと理解した瞬間の忌々しさ一色となった表情に嗤い、私は妖力で出来た暗い道に転がり落ちた。
「っ≪楽勝≫ぇ……」
反転術の解術効果が切れている。完全に賢者の視界外まで逃げられたようだ。
毎回同じ手で捕まえられると思っていたお前の落ち度だ、賢者! 高笑いしたい気持ちを堪え、私は後方転回で飛び上がり立つ。
油断している場合ではない。奴には障害物を無視して辺りを見渡せる千里眼の力がある。すぐに私の居場所はバレてしまう。気づかれる前に、急がねば。
私は、頭を押さえて前世の記憶を探った。『賢者君ごめんね、あとで自首するからね……!』と両手を差し出さんばかりの勢いで後悔する思考を、どうにか『げーむ』の知識に向かせる。
(『金霊の森』は常設イベントだけど一応イベントストーリーがあったはず。初回参加の時だけで、それ以降は出てこないし、すっごく短いからわざわざストーリー閲覧で確認した事は無いけど……)
そういうのはいいから。有益な情報だけ出せ。
(確か、扶桑国の西側、
曖昧だが、その情報に頼るしかない。
金霊狩りを指摘された時の黒妖姫の態度を見るに、おそらく今日が初めての狩りではないはずだ。もし初めてで、金霊が取れていなかったのなら……前世女の記憶通りに頭の回る黒妖姫ならすぐに開き直って無実だと表明する。そうしなかったということは、少なくとも二度目の利用であり、売買の証拠が必ずあるということだ。
私は妖術で再び隙間を開き、芽国方面へと走った。
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