- 縁は異なもの -

壱◆1

【今にして思えば、どうしてここまでこのゲームと、このキャラクターに狂ってしまったのか、定かではない。


 リリース前のアプリ一覧の中でたまたま可愛い女の子のキャラクターアイコンが目について、なんとなく事前登録をした。リリースした後も通知が来なければダウンロードしてなかっただろう。そのぐらいにはどうでもよかった。


 いざゲームを始めても、それほどのめり込んではいなかった。キャラクターが可愛い、ストーリーが破天荒で好き、ゲーム性は……まあ、遊べるから不満というほど不満も無い。暇つぶしには丁度いいが、その内飽きて消すだろうと思っていた。


 賢者がイベントキャラクターとして追加された時も、可愛いキャラだな、以外の感想は特になかった。どうしてか、分からない。ただ、そのイベントが終わる頃には、私はこの賢者というキャラクターが大好きになっていた】


***


 例えば、大嫌いな奴がいたとして。


 その大嫌いな奴を、人生をかけて推した前世を思い出したとして、嫌いな奴を好きになれるだろうか。──なれるわけがない。


(はあ~最高~っ。可愛かった~。できればもうちょっと近くで見てみたかったなぁ。賢者君といえば、やっぱりあの灰色の瞳が……)


 最悪な気分とは裏腹に、思考は楽しく回っていた。


 桃源郷の外、現世うつしよの国の一つ、扶桑国ふそうのくに。そこかしこが木で覆われたこの国は、生い茂る植物が鬱蒼とした雰囲気を持つからか、いたる所から妖気が満ちていて妖怪にとっても住みやすい国だ。


(わーっ! あのお店、ゲームに出て来たアイテムショップじゃない!? すごいすごい! うわ、懐かし~! そうそう、毎月自動で更新される祠札! あったあった──)

「っだアアア! なんなんだ! なんなんだこれは!!」


 見慣れた景色が妙に新鮮で、心が浮き立ち、我に返って私はその辺の物に八つ当たりをする。夜道を急ぎ足で駆ける人間が、困惑気味に私を見て来たので睨みつける──が、視線はその人が持つ提灯に向いた。


(ハッ! この人が持ってる提灯……荒稼ぎ灯だ! レアアイテムが見つけやすくなる──)

「~ッアああァあア!!」

「ヒエッ」


 激しく前髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、私は脳みそにこびりつく自分の声に向かって威嚇をする。傍から見れば完全な気狂いを恐れて、提灯を持った男は引けた腰で急いで私から離れていった。


 これじゃない。私がこれまでの妖怪人生で愉しんできた、私の言動に人々が恐れ震えるという行為は、これじゃない。多分恐れてはいるけれど、狙ったものとは全然違う。


「くそ、クソッ! おのれ賢者、よくもよくも……ッ!」


 次に顔を合わせたら必ず復讐してやると息巻いて、私は人里から離れ、最近体を休めるのに使っている洞窟に入る。傷が癒えるまでそこでじっとしようかと思ってのことだったが、先客を見つけて足を止めた。


 地面に男も女も問わず人間たちが転がっていた。僅かながらに神力を感じたが、それも数秒のことであっという間に妖力に戻っていく。それなりに修練を積んでいただろう仙人の努力が無に還るのを横目に進み、私は洞窟の奥で酒を飲む女に声をかける──前に思考が騒ぐ。


三障さんしょうだ!! バージョン1,3で実装された強気美人! ほんと好き~! 調整アプデで強化されなかったのだけが痛いんだよなぁ。強化されてれば、もうちょっと環境にいれたのに! まあ新キャラ実装すればインフレしてくのはしょうがないんだけどね。ナーフよりはマシっていうか……)


 私は自分の顔面を手のひらで殴った。自分で自分を痛めつける時、人は加減をしてしまうと言うが、渾身の一撃だったと思う。パァンッ!! という乾いた音に、酔いどれ女も酔いが覚めたのか目をパチクリとさせている。


「天邪鬼、どうした?」

「≪静寂≫……自分の脳みそが、≪静かな≫……」

「……ああ、、か。お前のその反転術、ややこしいな」


 一拍遅れて理解し、女は盃に残っていた酒を一気に煽った。


 修行僧のような恰好をだらしなく着崩し肌を露出させた女の名は、三障。一見して真人のようだが、裾の奥や長髪の隙間に無数の赤子の手を隠した、紛れもない妖怪である。人神妖平等の契りの際、妖怪側の代表の一人として選ばれた者だ。


 出入口付近からここまで転がっている仙人たちは、善根を生ずることを妨げ数多の仙人を堕落させる事が趣味の大妖怪である三障の仕業だろう。


「はぁ……なんでここにいんの、≪貞淑≫妖怪が、」

(あぁ~、私も抱かれてえ~!!)

「アアァア!! ≪寡欲≫女、≪存命≫しろ!!」

「どうした、どうした。急に荒ぶって」


 壁に頭を打ち付けた痛みで一時的に思考を止める。そんな私を半笑いで見ていた三障は、思い出したようにニヤリと笑って、ずいっと顔をこちらに寄せた。


「そういえば、桃源郷で面白いことしていたらしいな?」

「ア……何が?」

「賢者に愛の告白したって」


 わざとらしく口笛なぞ吹く三障に、「してねえよ」と即座に返すが、彼女は「それは本音か? それとも反転術か?」とニタニタ返すばかりで話にならない。舌打ちをすれば、遊びがいが無いとばかりに彼女は肩をすくめた。


「誰から聞いた?」

目目連もくもくれんだよ。あいつ、最近は桃源郷に入り込んで人の秘密を覗き見ては、大禿おおかむろに歌わせていてな。数刻前に、お前が賢者に告白したと町中に広めていたぞ」


 噂好きの二人組妖怪の名を聞いて眉間に皺を寄せる。雷で焼け焦げにされて、告白する馬鹿がどこにいる。げんなり顔をすればこちらの言い分を信じてくれたのか、三障は、「でえ?」とわざとらしく首を動かしてこちらを見つめた。


「何がどうして、賢者相手に惚れた腫れたの話をする必要があったんだ?」

「あいつの≪陳腐≫な幻術のせいで、思考が変になった」

「ほお。どれどれ……」


 幻術と聞いて、三障は興味が湧いたのか、やや前のめりになって私の全身を舐めるように見つめ、すぐに片眉を上げて不貞腐れたように座り込んだ。


「幻術などかかってないではないか」

「≪真≫を≪言うな≫」

「こんなしょうもないことで嘘なんて言ないよ。お前じゃあるまいし」


 賢者の術と言うから期待したのに、と三障は唇を尖らせぼやいた。その様子から、嘘は言っていないように見える。幻術を駆使し数多の仙人を堕としてきた三障がかかっていないと言うなら、幻術ではないのかもしれない。だが、そうするとあの記憶やこの思考は、私の前世ということに……。


 それは嫌だ! 知らない女の欲望混じりの思考に頭を占拠されるのは御免だ!


 今も前世女が三障の妖艶さについてベラベラ語っているのを無視して、私は奇妙な現状を三障に説明した。反転術のせいで難儀したが、大まかには彼女に伝えることに成功した──のだが。


「あっはっはっはっは! あの賢者の! 強烈な信者が、前世! あはははは! お前が? あの賢者の? はははは!!」


 艶やかな唇を大きくパカリと開けて、三障は洞窟内が揺れる程笑った。気持ちは分かる。私も私以外の誰かが『賢者の信者が前世でした』とか言い出したら腹を抱えて笑う自信がある。


「≪笑え≫! ≪名誉≫だ!」

「あっははは! 毎日のように争っている犬猿の仲の奴を、慕う感情が溢れたらそりゃあ名誉だろうなぁ! ははは!」


 ついには涙を流す程笑って、ひぃひぃ言いながら三障は盃を地面に置いて、ようやく笑いが治まって来たのか、口元を歪めたまま少し真剣な顔をした。


「んー? しかし変だな。巫女時代も含めれば、お前と賢者は同い年ぐらいだろう? 前世というからには、お前が生まれる前の者のはず。どうやって賢者を知ったんだ?」


 三障に指摘されて初めて私も気づく。確かに、賢者と巫女はほぼ同い年(巫女の方が一つか二つ年上だったぐらい)で、空従の巫女から地続きに妖怪人生が始まっている。前世女が挟まる期間が無い。


「そうだなぁ……賢者がお前を懲らしめようと、意地の悪い悪夢を見せた。お前はそれを前世と思い込み、混乱状態になっている、とか?」

(いくら賢者君が嘘吐きを嫌いでも、そんなことはしないよ。解釈違い──えっ待って! 私の解釈とは違う解釈の賢者君ってこと!? 今否定したけど取り消さないで! それはそれとして残しておいて、)


 過る思考を黙らせようと私は無言で壁に頭を強く打った。


「ははは。前世の者のお気に召さなかったか」

「いや……それはそれとして、違うっ、≪古い≫解釈はそれだけで価値が、うぐぐ、≪できるだけ≫書いてほし、んんんんんッ」

「大丈夫か~?」


 心配の言葉ではあったが、三障は笑って声を震わせていた。笑ってんじゃねえ。


「なら、他者の人格が乗り移った、とか」


 三障の上げた仮定に、私は不満ながらも首を振って否定する。


「いや、他人が話しているというより、考え事が≪少ない≫……くない時に、思考が別のこと考えたりする感じだ。集中力が≪ある≫……ない、時みたいな」

「ふーん。あまり経験がないなぁ」


 生粋の妖怪である三障はそうだろう。仙人が妖力に飲まれ人の道を外れ妖怪になったのと、人々の恐怖心や噂に妖力が混じって生まれた妖怪とでは思考に違いがあって当然だ。私もどちらかと言えば後者の感覚に近かったが、人だった巫女の頃の記憶が蘇ったせいで余計に頭がこんがらがる。


「じゃあそうだなぁ……これならどう? 天邪鬼が言うには前世でこの世界は……なんだったか。げーむ? という物語を読みつつ駒で争う遊戯の舞台なんだろう? なら、その物語を作った者が、預言者だった」

「この辺と、部屋の様式が≪一緒≫……あー、じゃなかったぞ?」

「なら異国の預言者じゃない?」


 適当言いやがって。


 不満を顔に出すと、三障が「げーむの物語を、少し語ってくれよ」と言うので、私は渋々ながらも前世の記憶を探ることにした。


 ……作品名は、『黒姫さまの言う通りっ!』。主人公は黒妖姫という名の仙人で、登場人物らから『黒姫さま』と呼ばれている。彼女はあまり仙人向きとは言い難い性格で、自分こそがこの世で一番偉いのだと考えており、思うままに悪事を働き、怒った神仙の手により奈落の底に封じられていた。しかし封印を自力で解き、『らいばるきゃら』である白姫の祝いの席で暴れ、ついに桃源郷から追い出されてしまう。追い出された先で妖怪たちと出会った姫は、妖怪の力を借りて桃源郷の仙人たちに自分の存在を知らしめようと再び行動を起こす。……


(でもね、黒姫さまは確かに傍若無人なところもあるんだけど、結構義理堅くて、小さな恩を返す為に命懸けで戦ってくれたりするんだよね! それに意外と友達認定も早くて、改めてそれを言われると照れて誤魔化しちゃったりするのが可愛くて──)

「黒姫と呼ばれている仙人なんていたか?」


 水を得た魚のように、まー元気にペラペラペラペラ話す思考に、思わず私が「うへぇ」と声を溢した頃、三障が不意に口を挟んだ。私は首を振る。


「だよな。桃源郷の統治者の子、白神姫が『白姫さま』と呼ばれているのなら私も知っているけど……」

(私は、白姫さまと黒姫さまとは腹違いの姉妹だと思ってるんだけど……そこが明かされる前にサ終しちゃったからなぁ)

「……姉妹ねえ」


 思考の共有に少し慣れて来たかもしれない。前世女の記憶の中から『げーむ』に絞って探れば、『げーむ』内の白姫と、主人公の黒姫の画像を並べて検証している思い出が蘇る。


 白姫は目と髪の色が白、黒姫は黒に別れているが、瓜二つの顔立ちで描かれている。髪型も違うものの、装飾品や物語中の動作など、意図的に同じように作られているのが窺える。


 私の独り言を聞いた三障は、「白神姫に隠された姉か妹がいたかどうかというのは」と切り出す。


「招かれていない以上、桃源郷に立ち入れない私には確認のしようがないなぁ」

「割と≪困難≫に入れたぞ?」

「それはお前が元々仙人だからだ。目目連や大禿もな。第一、入れたとしても領主である白神が隠しているとすれば、並みの仙人も知らない情報だろう? 確信を得るなら、それこそ、賢者のような天仙に近い者でないと……」

「私にあいつと≪会うな≫と≪言わない≫のか!」

「おお。反転してもほとんど意味が一緒だ」


 けらけらと笑って、三障は静かな動作で立ち上がった。七十寸は優に超える巨体は、洞窟の天井に頭の頂を触れそうだ。


「まあでも、空従の巫女に戻るなら、私は歓迎するよ? 貴女がいた頃は、妖怪たちもお行儀が良くて、私もあちこちに仲裁に入らず安心して仙人を抱き落していられたもんだ」

「はあ? ≪戻る≫に決まってるだろ。記憶を多少≪思い出せない≫からって、巫女は≪未来≫の事なんだぞ」

「ははは、何言ってるんだか全然分からん。戻るわけがないと言っているなら、そんな選択肢が今のお前にあるとは到底思えないなぁ」


 そっちこそ急に何を言っているんだ。怪訝な顔をして首を傾げる私を見てにやけながら、三障は「後の事は彼に聞いたら? 詳しく説明してくれるよ」と私の背後を顎で指した。


 彼? と聞き返す前に、カラン、と遊環がぶつかり合う音を聞いて逃げ出そうとした私より一足先に、奴の神通力が私を拘束した。


「ぐわァ!?」

「僕が思っていたより、神はお怒りのようだ。残念だったね」


 まだ幼い少年のような声が近づいてくる。この数百年聞かなかった日の方が少ない程、聞き慣れた声に身構える──と同時に脳内が騒ぐ。


(賢者君だあぁあ!)


 振り返らないほうが絶対良いのに、思考につられて彼の方を向いてしまった。いつもの穏やかな表情ではあるものの、頻繁に顔を合わせるから分かるが怒りを感じる賢者の様子に、本来なら身震いをしているはずなのに、やかましい前世は勝手にときめく。


(うわああ怒ってても可愛いー!! ねえ待って? ずっと思ってたんだけど声のイメージ合いすぎだよね? 原作だと黒姫さましか声ついてなかったからさ~! こんな可愛いとカッコイイが両立する声が存在するんだ、まさに賢者君の為に神が作った声だよ! 急いでここまで来ただろうに息一つ乱れてないのホント想像通りのザ・仙人って感じで最高、)

「っせええい!」


 振り向く勢いを利用して、私はそのまま壁に頭をぶつけて思考を鎮めた。痛みで一瞬意識が飛ぶからか、これが一番うるせえ前世女を黙らせるのに丁度いい。


「……何をしているのかな?」


 攻撃を仕掛けるでもなく、何故か自らの肉体を痛めつけ始めた私に、賢者が困惑した声を出す。あまり聞かない彼の感情が出た声に胸がきゅうと締め付けられ顔がニヤケてしまうので出来ればこれ以上喋らないでほしい──いやこれは私の感情がそうさせているのではなく、前世の彼の信者女がそう感じているのが私にも伝わって気持ちが悪いという話であって……。


 もはや誰に何の弁明をしているのか分からない。呻きながら地面で丸くなる私の上で、三障が笑う。


「いや……ふふふ。これは目目連も面白がるわ。ああ、賢者よ。逃がしたりしないから、あまり近づかないでやってくれる? 話しにならなくなる」

「理由を言ってくれるかい。こちらが納得できる内容でなければ、珍妙な行動で僕の気を逸らそうとしていると判断するよ」

「理由なぁ……巫女の頃の記憶を思い出して、妖怪としての感性と仙人としての感性で揺れているのだ! とかでどう?」

「嘘つきは嫌いだよ」


 ピシャリと言い放ち、賢者は珍しく少し不機嫌そうな声になる。


「大体、空従の頃の記憶なんて然程思い出せてもいないだろう。途中で僕の術を防いだのは分かっているんだ」

「防いだ?」

「よほど思い出したくなかったんだろうね、かつての空従は用意周到だ。誰かが無理やり記憶をこじあけようとすれば、それを防ぎ、さらに強固に記憶を守る術をかけていたんだから」


 ふん、と鼻を鳴らし、賢者は錫杖を三障に突きつけたのか、遊環がカラリと鳴る音がした。


「さあ、話はこれで終わりだ。邪魔立てするなら、人神妖盟約の署名者である君も、神々の前に突き出すよ。ここらに転がっている仙人を、見落としたとは言えないからね」

「やだなぁ、房中術にちょっと失敗しただけだよ。仙人にはよくある事だろう? 清修派とかいう童貞と処女の言い訳みたいな派閥の君には縁のない話だろうけど」

「そういうことにしてあげてもいいよ。このまま黙って帰ってくれるならね」


 顔を上げる。二人にしないでくれという私の視線を受けた三障は満面の笑みを浮かべることで私の中の前世女の思考を焼き切ると、「それじゃあ、私は帰るよ」と言って、妖術で開いた隙間に体をねじ込み始めた。逃げる気だ。


「さ、三障っ! ≪行け≫! この≪厚情者≫!」

「はははっ、聞こえた言葉そのままの意味で受け取っておくよー」

「≪行け≫ーっ!」


 私の無情な叫びを聞いても楽し気に(まあそもそも、妖怪に団結を求める方が無理な話なのだが)、ぬるりと隙間に吸い込まれるようにして三障は去っていった。


 残された私は地面に顔をこすりつけて賢者と顔を合わせないように小細工をしていたのだが、「話があるんだ」と切り出した賢者の神通力で、問答無用に体を起こされ対面させられる。薄桃色の髪の愛らしい……ではなく、憎たらしい少年顔が真正面に捉えれば、前世女の思考がうっとりとしてくる。


(可愛いなぁ、カッコイイなぁ──嗚呼、会えて嬉しい)


 感極まって、涙が一粒零れ落ちた。


 じっと私と目を合わせていた賢者は、ため息を吐いて灰色の目を私から外した。


「情緒が不安定なのは本当らしいね、それは信じるよ。まあ──そんな涙の一つでやらかしが消えてなくなるわけではないから、続けるけど」

(嗚呼~、このさっさと自分の用事を済ませようとする感じ、賢者君だあ~! 好き~!)


 真顔で淡々と言い放つ賢者にも大喜びの前世思考に悪寒がするのを堪えて、嬉しいんだか憎々しいんだか分からない感情で彼を睨む。視線を戻した彼は、目が合い変に照れて俯く私を微塵も気にしていない様子で口を開く。


「君は、招かれず桃源郷に出入りしただけでなく、神仙の白神姫様に手を出した。そのことで白神様はご立腹だ。人神妖平等と言えど、その罪、罰さずにはいられない、とね。そこで空神様が一つ提案なされた」


 空神。巫女時代の云わば上司だ。数回話した程度の記憶だが、穏やかな性格をしていたような覚えがある。前世女の記憶においても、空神は神々の中でも穏健派で、荒ぶる神を宥める役を買って出ている場面がある。……とはいえ、私はその穏やかで良い神の意向を裏切り妖怪となった身だ。正直言って、今更空神の恩寵を受けられるとは思えない。


「君にはもう一度、空従となって天仙を目指してもらう」

「……はぁ?」


 公の場で空中八つ裂きあたりを想像していた私は、ポカンとして思わず視線を上げて賢者を見た。真剣な表情の彼は冗談を言ったようには見えず、


(うばああああッ!?)


 ただただ近距離で彼を見てしまった前世女の思考がやかましく叫ぶのも羞恥や照れがそわそわする心身も鬱陶しくて、私は大きく体を横に振って壁に頭を打っておいた。くらりとする視界はだんだんと暗くなり、地面に転がる拍子に見えた賢者は、肩を揺らすに留めてはいたものの怪訝な顔をしていた。

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