第10話

 ――クーシア。

 ヴァーチャル・リアリティ世界である『F・B・N』ゲーム内で、そうアカウント・ネームを名乗った人物だ。


 透明感のある肌に、精巧な顔立ち。

 小柄だが女性らしい曲線を帯びた肢体は、狭いポッドの中で志道に寄り添い、小さく丸まっている。


 彼女は再び「ふ、ぅ……っ」と静かに息を漏らすと、瞼を震わせてゆっくりと開き、ターコイズブルーカラーの瞳で志道を見上げた。


「……謝罪します。攻撃を防ごうとしたのですが」

「いや、それより、? ここ、私のポッドの中だよね?」


 尋ねてから、志道はすんと鼻を鳴らした。

 ――埃っぽい、現実アウターの自分の部屋の匂い。

 それに混じって微かに甘い芳香が感じられるのは、密着したクーシアの身体の匂いか。


「不明です。なんらかの原因により、繋がってしまったのだと思われます」

「繋がったって、一体どういう……?」

「……あの、手を」

「え?」

「要求します。手を、退けて頂けないでしょうか?」

「っ、ああ、ごめん。痛かったよね」

「……否定です。特に痛みはありませんでした、が……」


 クーシアの胸部に触れてしまっていた手を退けると、彼女は志道に寄り掛かるようにして身を起こした。……なんだか妙に気恥ずかしい。

 顔を背け、志道はポッドから降りる。


「とりあえず、なんか着て。つっても、あー……私の服を貸すしかないのか」


   *   *   *


「私たちの世界は、少数報告結果マイノリティ・レポートなのです」


 志道の服――ぶかぶかの白地ワイシャツに、黒いエナメル・パンツを履いたクーシアはそう言った。


「は?」


 と、志道は首を傾げて声を漏らす。

 ……どういう意味だ? 私たちの世界?

 まるでこの世界以外にも、世界というものが複数存在するような発言である。


 ――そりゃ、ヴァーチャル世界タイトルはいくつも積み重なり、まるで異世界のような有様になっているけどれども……。


 たまに、自分が本当はどの世界ヴァーチャルに属しているのかわからなくなる感覚というものは、VR適正ランク上位者には付き物の悩みの種らしい。……まあ、Eエラー判定である志道はその感覚を味わったことがないので、SNSで見ただけの話だ。


 ――彼女も、そういった類の人間なのだろうか?


 志道は改めてクーシアを見た。……本当に、VR内と寸分違わぬ姿をしている。

 手術によってそういった整形を施す者もいるにはいるが、それでもここまでの再現度は出せない。


 白銀色の、長い睫毛の目を二度、三度と瞬かせると、クーシアは相変わらずの平坦な口調で言葉を続ける。


「説明します。あなた方がヴァーチャル・リアリティとして利用している数多の世界は、厳密には、仮想のものではありません」

「……いや、どゆこと?」

並行世界パラレルワールドと呼ばれる無数の可能性の中の、少数派マイノリティを使用しております」

「…………わかるようにお願い」


 理解しようとしてみたが、理解できない。

 クーシアの喋る言語が難しいというわけではなく、ヴァーチャルはヴァーチャルだろうというのが志道の感想だ。

 だって、それではまるで――


「――私たちは、仮想空間ではなくて、異世界転移を繰り返してたって言いたいの? 大昔の、web小説コンテンツで流行った話みたいに」


 ふと、思い出す。

 イーさんの片足が動かなくなったのは、VR内での事故が原因だ。

 眉唾物の話だと思っていたが。


「肯定します。あなた方はアストラル体で、植民地とした少数派世界を消費し続けております。……私はあの塔の頂上に、行かねばなりません」


 窓の外にそびえ建つ、巨大な塔をクーシアは見た。――VR適正上位者たちが住まうタワー


 その頂上のルームには、この街を管理するマザー・コンピュータが存在しているという。現在の技術でも小型化が追いつけないほどの規模を持ち、しかし、姿


「あのさ……」


 志道はクーシアに声を掛けようとして、躊躇った。

 白銀髪の少女の瞳は、宇宙まで続く塔を睨み続けている。


 ――そう、宇宙まで続いているのだ。あの【翼】アイテムが必要なのはそのためだろう。


 考えてみれば、いまだって昔のSFゲーム世界みたいな現実アウターだ。……ぐらぐらと、自分のいる『現実』が揺らいでいくのを志道は感じた。

 しかし、ここは現実アウターであり、だが彼女の話が本当ならば、もしかするとアウターはアウターではない。――では、現実とは何処か?


 一度、瞼をぎゅっと閉じ、また開ける。……少なくとも、ここでは瞼を閉じれるらしい。


 ……次に志道が告げるべき言葉は、もう決まっていた。


 別に、情が湧いたというわけではない。

 そういえばだが、彼女は五百万クレジットをあの【翼】に支払うと言っていたのだ。

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新造異世界のグレイブディガー 伊澄かなで @Nyankonomicon

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