第5話

 効率化されたアルゴリズムパターンに則って整備されたVR街ターミナルにも、路地裏というものは存在する。


 ログインしたシドウは視線を左右に巡らせたのちに、仮想のビル壁に背中を預けた。

 華やかな大通りとは違い、路地には饐えた匂いのするような雰囲気が漂っている。――まあ言ってしまえば、その気配も仮想のものだが。


 メニューウィンドウを開いてリミの座標を確認すると、ちょうどコンマ35以内の誤差で、同じ場所にいるようだった。


 ――ん? は? 見間違いか? ゼロ・コンマ35座標?


「ッッッ、アキホちゃん!」

「どわッ!?」


 上から降って来た。

 意味がわからないと思うが本当に意味がわからない。

 シドウに躱されたことにより仮想のアスファルトにべしゃりと派手に着地した少女は、まるでゾンビ映画のゾンビみたいにゆらりと上半身を持ち上げて、ゾンビみたいな動きをした。


 ……失礼。びっくりし過ぎて語彙がおかしい。

 ともかく彼女はなんか昔のホラー映画みたいに、乱れた髪の隙間から恨めしそうにシドウを睨んだ。その髪はショッキングピンク色なので、怖いというよりシュールな光景。


「……なんで避けるのさ?」

「いや、避けるだろ。というか、なんでいきなり落ちて来るのさ」

「アキホちゃんを待たせないためじゃん!」


 繰り返すが、やっぱり意味がわからない。

 わからないが、とりあえずシドウは仮想の深呼吸をする。


 ――――すぅ、――はぁ。


 ……落ち着いて考えてみればまあ、いつものリミの行動だ。

 シドウがログインしたことに気がついて、最短距離を来たのだろう。

 

 改めて周囲を見回すと、ログイン直後の「世界に対する違和感」が薄れて視界がクリアになってくる。背後のビル壁にシドウは再び背中を預けた。リアリティのある硬さを感じる。


心臓バイタルに悪いからやめて。……ってか、こっちのIN状況をストーキングしてたわけ? VR古物商ってそんなに暇なの?」

「んー、暇っちゃ暇。私の場合、インスタントのヴァーチャル店舗も持ってないしさ」


 てへへ、と可愛らしく笑ってリミは言う。暢気な話だ。

 シドウもVR古物商免許を取得できさえすれば、彼女のように奔放に生きられるのだろうか。


 まあ実際、そのライセンスを手に入れるための勉強はそう難しいものではない。テキストデータを丸暗記して、古典的な引っかけ問題に騙されさえしなければ、誰にでもクリアできる簡単な試験だ。


 ただ、それを取得するには「犯罪歴がない」ことが大前提となっている。ついでに言えば、VR適正C以上も。


 シドウのようなディガーにとって喉から手が出るほど欲しいライセンスなのに、所得していないのはそれが理由だ。

 ちなみに、サービス終了ロストした世界タイトルに潜るのは立派な犯罪行為である。いまさら重ねて言うまでもない。


 なので、リミのようにVR古物商免許ライセンスを持ったスポンサーはシドウからすれば貴重な存在に違いなかった。……多少の奇行は、この際目を瞑ることにする。


「……いまから潜るから、一応連絡入れようとしてた。調べたけど、【天元の識翼】って装備アイテムでいいんだよね?」

「そうそう、ギルドレイドイベントの報酬ね。レイドって私、久々にやるなー。なんかね、めっちゃ大きいカタツムリが出るらしいよ。やばくない?」

「あー、やばいね。……は?」


 強襲レイドと名のつくマッシブリーMマルチプレイヤーMオンラインOロールプレイングゲームRPG内イベントは、通常ならば複数人のプレイヤーが参加することを想定して作られている。


 パーティ、ギルド、サークル、クラン。呼称は様々だが、そういった集団を構成するプレイヤーたちが、力を合わせて強大なモンスターオブジェクトmobに挑むというのがオーソドックスな内容であり――じゃなくて、


「は? え? なに? リミ、来るの?」

「うん? アキホちゃんなに言ってんの? だからここにいるんでしょ?」

「いや、やめて。絶対わけわかんないことになる。っていうか前科つくよ? ライセンス剥奪されんじゃん」

「そこはアキホちゃんの腕を信じてるよぉ! ダイブ記録ログなんか残さないでしょ?」


 確かに、シドウは過去に潜ったロスト・タイトルにおいて、痕跡を残すような失敗をした経験はない。


 そしてぶっちゃけて言えば、雇ったディガーの引率を受けてそれらに潜るVR古物商が多数存在することは事実だった。小狡い話だが、そういった事柄に対する見解をいま述べることはやめておく。他人の不正チートに文句を言っても、シドウの立場では結局ブーメランとなる。

 

「そりゃ、残さないけどさ。だからって一緒に潜るなんて、仕事のやり方変えたわけ? ガイド・ディガーの相場価格とか知らないんだけど」

「あっ!? ひどっ!? 私はアキホちゃんが心配だから一緒に行くよ! って言ってるのに、そこに料金クレジット取ろうとするんだ!?」

「いや、まあ別に取らないけど。そうじゃなくて、危ないよって話してんの」

「だからついて行くんじゃん!」


 むぅ、と唇を尖らせて、リミはシドウをじとりと睨んだ。

 端正なアバターなのでそういった仕草も様になるなと頭の片隅で考えてから、そういえば彼女から七万クレジットの投資を受けていることに思い至る。


 仮にシドウがループザループログアウト不能した場合、もちろん投資の見返りはない。「心配だからついていく」というリミの行動も、そう考えれば当然なのかもしれなかった。


 なんにせよ、ここで押し問答を続けたとして、結局は最終的にスポンサーの意向に逆らうことはできないだろう。議論しても時間の無駄だ。


「……言っとくけど、潜った先では自己責任でお願いね。ガイドの経験とかないし、するつもりもないから」

「わかってるよ。っていうかソロだとパーティもクランも組めないでしょ。そしたらレイドイベントにも参加できないよね? アキホちゃんは、もっと私に感謝するべきだと思うけどなぁ」


 そこにはちゃんと、墓荒らしグレイブディガーとしてのやり方がある。

 というか、サービス終了したタイトルでまともに大型イベントが運営されているわけがないと、前日に自分で言っていたではないか。このピンク髪は。


「はいはい。つーかマジでお願いね。こっちが指示するまで、周りのものに触らないこと」

「ガイドしてんじゃん」

「っ、……」


 仏頂面で舌打ちしてから、シドウはホログラム・ウィンドウを操作してストレージからアンティーク調のキーを取り出した。

 件の『フリッツFブリッツBノヴァレイドN』に潜るための圧縮データだ。真鍮製のファンシーな形状であるのは、単にシドウの趣味である。それはともかく。


「じゃあ、行くから。開いたらすぐにゲートくぐってね。あとコール関係の通知は潜る前に切っといて」

「はーい」


 振り返り、いまさっきまで背にしていた壁に小さな鍵を差し込むと、そこに扉が構成される。

 緑色がかった錆エフェクトの浮いた、古めかしい銅製の扉だ。水晶型オブジェクトで作られた、薄水色の蔦が絡みついている。ファンタジー・タイトルとしては、よくあるデザインのログイン・ゲート


 ちらりと大通りへ視線をやって、誰もこちらを見ていないことを確認。

 シドウはドアノブに手を触れた。


――。

――――。

――――――。


 酩酊感。

 白を基調とした建造物は、神殿を模したスタート地点か。


 立ち並ぶ柱には細かなレリック加工が施されていて、この場所に対するクリエイターの意気込みが伝わる作りだった――パルテノン宮殿、あるいは伝説の勇者の仲間である遊び人が、賢者に転職するための神殿――いくつかの元ネタを思い浮かべつつ、荘厳な景色を睥睨してシドウは細く息を漏らす。


 ……リミは?

 あとに続いて潜ったはずの急造ペアの姿がない。

 微かな焦りを感じたところで、柱の後ろからひょこりと彼女は姿を見せた。いつもの茜色ワンピースの上に、革製のチープな胸当て姿。


「あ、アキホちゃん繋がった? なんかちょっと遅いから少し心配しちゃったよ。大丈夫?」


 ――お前が早いんだよ。

 とは、言い返さない。VR適正の低さはシドウ本人の責任である。とはいえ、こうして何気なく差を見せつけられると悔しく感じないわけでもないが。


「……平気。っていうかその、いかにもFタイトル(ファンタジー世界)な胸当て、初期装備? こっちのストレージには、獲得ログとか出てないけど」

「ん? ああこれ? 向こうにいる女の人にもらったの。転職NPCみたい。私は【剣闘士】ジョブにしたよ。初めから転職できるって、ノービスの意味ないじゃんって思ったけどさ。ステータス上がるんならやっとこうかなって」

「……は?」


 嫌な予感を感じつつ、シドウは白亜の柱が並ぶ大通路の先に目を向ける。

 そこには金髪で白いトーガを纏ったNPCが、ぽつんと一人で空を眺めて立っていた。本来ならば彼女の周囲には、取り巻きとして複数のお付きNPCがいたのかもしれない。そんな配置設定だった。


「……リミ、アバターのプロパティ見せて」


 サービス終了ロストした世界タイトルの哀愁はともかくとして、シドウは渋い表情をリミに向ける。


「ふぇ? ん? いいけど? ……えっ? それってヴァーチャル・ハラスメントだよ? アキホちゃんだから別にいいけど。……いや、やっぱ恥ずい。どうしようかな」

「いいから表示して。すぐに」

「はい。……ぅ? ん? あれれ?」


 目を泳がせつつリミが表示した画面には、通常のアバター・ステータスならば発生しえない、文字化けしたテキストの列が見る者の解読を拒むかのように踊り狂っていた。……シドウは目頭を指先で押さえ、深く息を吐き出す。


「……リミ、まずいよ。これキメラになっちゃってる」

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