第3話

「で、これ観て」


 視界に映し出されたのは、一人の銀髪の男性だった。

 長いカタナ型ウェポン装備で、肩に大きなパットのついた黒色のロングコートを身に纏っている。銀髪は足首まで伸びていた。随分と端整な顔立ちだ。


「……? あー、なんだっけ、この人?」


 会ったことはないが見覚えのある顔に、仮想のコーヒーを啜りつつシドウは小首を傾げる。


 質問の言葉を発してから、シドウが生まれる前に五度目のリメイクをされて流行った、ソロ用ロールプレイングゲームに出てくる登場人物のコス・アバターだと気がついた。動画の本題はそこではないのか、リミは「いいから観てて」と短く答える。


「確かによくできたアバターだけどさ。それが……?」


 表示された画面の中で、男は人差し指を立てウィンクをする。

 元になったキャラクターであればしないような仕草に見えた。なんというか、胡散臭い。

 直後、彼の背中に純白の翼が展開され、録画の設定位置が二メートルほど後方に離れた。


「……プロモーション・ビデオかなんか?」

「もう、アキホちゃん。いいから観ててって!」


 現代の流行トレンドにおいて考えれば、随分と古めかしい作りの動画だ。もったいぶらずに、翼が生えるところから始めればいいのに。


「ほらっ!」


 リミの声に合わせてホログラムウィンドウを覗き込めば、窓の中では銀髪の男が空を飛翔する場面であった。彼は一般的な幻想世界ファンタジータイトルの丘を越え、森を見下ろし、雲を突き抜け羽ばたいていく。


 ――そして天井オブジェクトである星の欠片をひと蹴りし、さらに上空へと飛び上がった。


「……は?」

「ね? やばくない?」


 三日月の先端に座り込み、得意げな笑顔とともに再びウィンク。動画はそこで終了した。「やばくない?」とリミは言ったが、確かにやばい。本来ならば、彼のいる世界タイトルは月のある空間までをも行動範囲に設定されたものではないだろう。張りぼてのような構造が逆にそれを証明している。明らかなバグだ。


「この動画、元々の投稿されたやつは20秒で消されちゃったんだけどさ」


 ショッキングピンクの髪を揺らして、リミはテーブルの上に体を乗り出しシドウへ耳打ちする。


「噂によると、この【翼】アイテム。制限なしで本当にどこまでも飛べるらしいよ」


 ――はぁ?

 シドウの表情が大昔の顔文字アートのごとく歪んだ。……と、思う。


 どこまでも飛べる。どこまでも登れる。などは遥か以前から、新作のタイトルが発表される度に付随してくる謳い文句だ。いまさら珍しいものでもない。


 だが、実際にそうである世界タイトルはもちろん存在していない。

 リソースやキャパシティの問題もあるのだろう。そして単純に、作ってない箇所にまで這入はいられると運営は困る。大抵の場合はヘビー・ユーザーでも辿り着けない設定の箇所に制限の壁が設けられているか、場面の繰り返しループ設定により疑似的な『どこまでも』を作っているかだ。


「……なにそれ? この【翼】自体にクラッキング機能でもあんの?」


 シドウは停止した動画サムネイルを再び覗き込んだ。

 見た目だけで言えば、古くからあるファッション・アイテムだ。有翼人種――というかこの場合は天使だろう――を模した純白の翼は、元になった銀髪男性アバターにも標準で装備されていたもののような気がする。該当のゲームをプレイした経験がないので、詳しく知っているわけではないが。


「さあ? わかんないけど。でもこの【翼】型の飛翔アイテム、いまの末端価格で百万だって」

「ひゃく……ッ!?」

「うん。いま見せた動画のミラーのミラーのミラーがバズってね。あ、バズったのも消されちゃったんだけど、だからこそ逆に信憑性あるってさ」


 電脳古物市場界隈で、百万クレジットというのはそう珍しい価格でもない。

 とはいえ、それはブロックチェーンの施された絵画作品であったり、もう同じものが手に入らないよう権利者によって複製をロックされたデータの価格だ。


 シドウのような一介のグレイブディガーに獲って来れるようなデータには、そういった高額の値はつかない。人々は、希少性にこそクレジットを払う。


 シドウは胡乱な眼差しで画面の中の【翼】アイテムを睥睨した。

 見れば見るほど一般的なファッション・アイテムだ。ともすれば、初等教育中の子供の小遣いでさえ、同じ見た目の品物がそこらで購入できるのではないだろうか。


「で、この【翼】の出所のタイトル、『フリッツ・ブリッツ・ノヴァレイド』っていうんだけどさ。ファンタジー・タイトルなのに血が出る表現がえぐすぎる! ってやつでね。もうオークとかこんな! エルフも殴られるとこんな!」


 ホログラムウィンドウを開いているのだから、それに関する動画を表示してくれればいいのに、リミは顔芸でその世界タイトルの「えぐさ」とやらを表現してみせる。せっかく端正なアバターなのだが。


「それでさー、コアユーザーもいたみたいだけど。いまってまたそーゆーところ厳しいじゃん? あっという間にサービス終了しちゃってね。その直後に投稿されたのが、さっきの動画ってわけ」

「うん? 最近終了したタイトルなの?」

「ちょうど三日前なんだなー。アキホちゃん潜ってるとき、コール繋がらないからさ」


 サービス終了ロストした世界タイトルに潜っている最中、シドウが外界との連絡を絶っているのはひとえにバグ対策だ。

 通常通り運営中のタイトルであれば多少の不具合は瞬く間に修正されるが、管理者のいない世界となるとそうはいかない。


 例えば、戦友トムとの別れの場面。

 あそこでは、【紙巻煙草】を過去のイベントであるChapter3で入手していない場合、永遠に閉じ込められることになる。


 荒れ果てた前時代的なデザインの鉄橋の上で、満身創痍のトムに「なぁ、煙草を一本持ってないか?」と訊かれ続けながら、進まない世界に立ち尽くし続けるはめになるのだ。もちろん、イベント中なのでログアウトはできない。


 進行中の会話イベントを外部からのコールによって遮られた場合も同様で――まあ、いまどきそこまでお粗末なタイトルもないのだが――最悪の場合、同様の現象が起きかねない。直前の会話を繰り返しつつ無表情でこちらを眺めるNPCとともに、久遠の時を過ごす初心者ビギナーディガーの笑い話は、ネットミームにもなっているほどだ。


「当たり前。そんで最近のタイトルだったら、もう持ってる人もいまから潜って獲って来れる人もいるはずでしょ? なんで百万なんて懸賞クイズの賞金みたいな値がついてるの、その【翼】」

「んー、それが全然いないんだなー」


 シドウの問いかけに、リミは頬に人差し指を添え、プリセットから呼び出したようなあざとい笑顔を浮かべて答える。


「この【翼】なんだけど、なんかギルドレイドイベントのランキング報酬だったらしいんだよね。でも終了してたらイベントもないじゃん? 加えて、オープニングのチュートリアルから断片化されてぐちゃぐちゃらしくて……。とにかく、潜ったダイブした人がみんな戻ってきてないんだって。『フリッツFブリッツBノヴァレイドN』」


 終了した世界タイトルへ潜り、そして帰還する技術。

 それは単純に、Wikipediaやらのネット情報を読み込んだだけでは、身につかないものだ。

 

「んでね、でも私はアキホちゃんなら潜って獲って来れると思うんだよね。さっきまで潜ってた『アーマード・メタル・ロックギア・バースト』だって、潜れる人いなかった世界タイトルじゃん? そこからえっと……なんかロケットランチャーだっけ? 獲って来れたアキホちゃんだから、今回もいけると思うんだ」

「……一万二千って言われたけどな」

「三千出すよぉ」


 泣きそうな顔でリミは言う。千クレジット増えても彼女がいま突いているパフェすら買えない。泣きたいのはこっちである。


「七万だ。それで買い取ってくれるなら、九十三万クレジットでその【翼】を入手してきてやってもいい」

「うわえっぐ。ダストN(Nはノンプレイヤーキャラクター、この場合はゴブリン、オーク)よりえっぐ!」

「えぐいと思うのは、こっちがその【翼】を獲りに行った場合、ループザループログアウト不能すると思ってるからだろ。あとスラング使うなよ」

「そんなことないよ! 信じてるから話を持ってきたんじゃん。っていうか、アキホちゃんのそれもスラングだからね!」


 口頭での言い争いをしつつ、シドウは開いたメニューウィンドウをリミに差し出した。

 直後に振り込まれた金額は七万。入れ替わりに、【MANPANDS/MPADS-9K62-改】アイテムを彼女に差し出す。


「あ、いいや。使うかもだから持ってて」


 あっさりと取引はキャンセルされた。まあ、クレジットは入ったのでどうでもいい。


「じゃあ明日ね! プログラム組んで準備しといて!」


 明日って……必要な準備は山ほどあるし、そもそも帰ってきたばかりなのだが。

 とはいえ、相場は生き物――そう語ったリミの言葉は正論だ。いまは百万の値札がついている件の【翼】が、明後日辺りには無価値になっていてもおかしくない。シドウの掘ってディグきた、この地対空ミサイルアイテムのように。


 シドウは甘ったるくなった仮想のコーヒーを一口啜り、そこに仮想の砂糖をさらに一つ放り込んだ。

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