第2話

 爆炎がシドウの纏うローブを揺らし、視界の端に経験値獲得の通知が表示される。

 倒すまでに七回もの死に戻りリスタートが必要であった強敵だが、特にアイテムのドロップはない。正攻法で挑んでいれば一分も経たずに終わっていたはずの戦闘なので、当然といえば当然か。


 メニューウィンドウの右端下部。

 戦闘が終了したことにより、ログアウトパネルが有効となる。

 この世界タイトルに存在しない【魔法】を使用した影響で、どんなバグが発生するかもわからない。閉じ込めはご免だ。シドウは早々にパネルを押した。


――。

――――。

――――――。


「――っと」


 ログアウト時の酩酊感は、本来ならば目を瞑ることで回避できるらしい。

 だが、仮想の瞼を閉じたり開いたりするという行為が、シドウには上手く理解できない。


 ――眼球が乾かないのだから、瞬きも必要ないんじゃないのか……?


 と、いうのがシドウの感覚で、人間が生えていない尻尾を動かせないのと同じように、シドウはこのVR空間内で目を瞑るという当たり前の行為が不自由だった。

 結果として、国の施行するVR適正検査ではE判定を頂いている。


 ――まあ、ここには尻尾の生えた人間アバターなんざ珍しくもないわけだが。


 先ほどの世界タイトルからはログアウトしたが、未だシドウはVR世界の中にいる。


 欧米風、田舎都市をモデルとしたVRターミナル。

 シドウの視界にはパステルカラーの家々が並び、石畳の中央広場には噴水が設置されている。

 牧歌的な街の光景を行き交う人々には、まるで幻想世界ファンタジー・タイトルの登場人物であるかのように、獣の耳や尻尾がついている者もいた。一般的なファッションアイテムだ。


 付近に二人掛けのベンチを見つけ、シドウはふらふらとそちらに歩み寄った。――転送酔いで頭が痛い。


 噴水周りのベンチはどうやらカップルの待ち合わせ場所になっているようで、一人で座るシドウにちらちらと視線を向ける者もいたが、そういった用途に限定するタグが張られているわけでもない。使用しても支障はないだろう。


 仮想の息を吐き出し、操作パネルを視界に呼び出す。

 目的の人物へコールしようと指を持ち上げた瞬間、シドウの背面にべしゃっと濡れた感触が抱きついた。


「アキホちゃん! おひさ!」

「……リミか。いまコールしようとしていた」

「うん知ってる! だから来たよ!」


 首だけを動かし背後を見ると、いやに整った顔立ちのショッキングピンクの髪の少女が、ん? とシドウの顔を至近距離から覗き込む。

 たったいま、コールしようとしていた相手だ。シドウがこのターミナルに移動したことを察知して、先んじて駆けつけて来たのだろう。……それは別にいいのだが。


「離れろ。なんで濡れてるんだ、お前」

「んん? 真っ直ぐ来たから? てか別にすぐ乾くし、よくない?」

「よくない。不快」

「えー」


 どうやら件の人物は、シドウのもとに真っ直ぐ突っ切って来たらしかった。噴水オブジェクトを通り抜けて。


「もー、アキホちゃん細かいなー」


 彼女はシドウから離れると、まるで水浴びした直後の犬のようにぶるんぶるんとショッキングピンクの髪を振るった。

 即座に水滴のエフェクトが散り、茜色を基調としたワンピースまで乾く。世界がヴァーチャル・リアリティであることに慣れ切った者特有の所作。


「それで、手に入れて来たんでしょ? なんとかっていうロケットランチャー。買い取るからさ、とりあえずどっかお店入ろう?」


 ピンク髪の少女――リミの提案を受け、シドウは仏頂面で頷いた。


 ――が、



「――おい待て、七万って話だっただろ。正真正銘の未使用状態だぞ」


 手に入れるのにどれだけ苦労したと思うんだ、とシドウが努めて静かに声を荒げると、リミは肩を竦めて申し訳なさそうな笑みを浮かべる。


 二人は手近な喫茶店に入り、取引の交渉を始めたところだ。

 L字型のカウンターには淡い茶髪にフリルのついた割烹着姿のNPC。他のボックス席には昼だというのにビールを飲んでいるスーツ姿の男がいた。まあヴァーチャルのアルコールだ。別にどうということはないのだが。

 

「ごめんね。『ノアノーツ・ファンタジー・レギオン・オンライン』のワイバーンなんだけどさ、取得経験値に下方修正がされたみたいで」


 運ばれてきた巨大なパフェをスプーンの先で突きつつ、リミが言う。


 ノアノーツなんたらというのは、新作のファンタジーMMOタイトルだ。

 惑星移民が主人公である古典的ファンタジー世界タイトルらしいが、シドウはプレイした経験がない。

 月額三千クレジットを支払い、中でリアル・マネー・トレーディングをするくらいなら、まだ外部からアイテムを発掘してきたほうが儲けのあるタイトルだからだ。


「下方修正? 聞いてないぞ」


 サービスのコーヒーに備えつけの砂糖を三つ入れつつ、シドウは苦々しげに顔をしかめる。


「だってアキホちゃん、取って来るのに三日もかかってたじゃん。潜ってる間に変わったの。これでも良心的な買取値だよ?」

「……他のディガーなら一週間かかる。そっちの情報ミスだろう」

「いや、価格表を見てから売る物を獲ってくるとか普通のグレイブディガーはしないからね。相場は生き物だよ。そりゃ私のおじいちゃんの頃くらいの昔なら、ここまですぐには変わらなかったらしいけど……」

「だからって、三日で一万二千だと……」

「言っとくけど、他だともう買取してくれないよ」


 シドウのストレージにある、この【MANPANDS/MPADS-9K62-改】というアイテムの需要は、その新作のMMOに登場する飛竜ワイバーン型mob(モンスターオブジェクト)の経験値EXPが破格であることによって成立していた。


 本来の設定ならば【高位魔導術式】を覚えていなければ手出しできないようなモンスターを、他の世界タイトルの地対空ミサイルを使用することで初心者ノービスでも狩れるという、いわゆる不正行為チートが流行ったのがその由来だ。


 まあ、早々に対処されるのは仕方がない。

 シドウは苦いため息を吐く。もう一つ、コーヒーに仮想の砂糖を放り込んだ。


「んー、でも、買い取るからさ! 売って売れないこともないし。それより聞いて聞いて! さっきは『相場は生き物だー』とか言ったけどさ。いますんごい話があって、それでアキホちゃんを待ってたんだよー!」

「リミがそういう言い方をするときは信用できない。大抵は面倒なことになる」

「あっ、ひどっ! なんでそんなこと言うかなー! アキホちゃんが喜ぶかなって思って、情報を持ってきたのにー!」

「……聞くだけは聞く。さっさと話して」


 すでに【MANPANDS/MPADS-9K62-改】の買取値で落胆の淵に立たされているのだ。いまさら微妙なターミナル・ゴシップの一つや二つ、聞いてやらないこともない。彼女はシドウのスポンサーなのだから。


「むー、なんか釈然としないけど、見て。この動画なんだけどさ……」


 唇の先を尖らせつつ、リミはフリー閲覧状態にしたホログラムウィンドウをシドウへ滑らせた。


    *   *   *


 世界げんじつはヴァーチャル・リアリティが主流となり、法規定は改正された。

 人々はヴァーチャルで学校へ行き、ヴァーチャル内で会社へ通い、ヴァーチャル内で生活をする。

 個人がVRヴァーチャル・リアリティ内で手に入れた資産は本人の所有物となり、リアル・マネー・トレーディングは経済を回す歯車の一つと公式に認められた時代。


 企業はこぞって新たな世界タイトルを発表し、それらは消費され、使い潰され、また新たな世界が発表される。

 それらは新法規定により、放棄されても消去デリートされることはない。そこ由来の所得物アイテムには、個人の財産権が認められているからだ。


 繰り返され、廃棄され、積み重なる世界タイトルの様相は、さながら新造の《異世界》を構築しているかのようであった。


 シドウ・アキホの飯の種は、それら廃棄されたサービス終了した異世界へ潜り、もう手に入らないはずの物品アイテムを入手してくることだ。


 例えば【トムの指輪】

 これは一般的なファッションアイテムとして、子供の小遣いでも買える値段で流通している。


 ジャンプ力の凄い配管工の持っていたコインも、人魚姫の髪飾りも、はたまた植物幻獣アウラウネの蜜でさえ。


 既にサービス終了した世界タイトルに潜り、入手し、必要とする人間に売却する。


 人々はシドウのような職業を、揶揄を込めてこう呼称した。


 ――墓荒らしグレイブディガーと。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る