新造異世界のグレイブディガー

伊澄かなで

第1話

「なあ、煙草を一本持ってないか?」


 シドウ・アキホの目の前、瓦礫に背を預けた男はそう言った。

 彼はNPCノンプレイヤーキャラクターだ。市街戦闘用の灰色の軍服姿に、短く刈り上げられた髪。右足がもげ、腹部から左の首筋までを裂傷している。

 現実アウターなら、煙草なんて前時代的なものを欲しがれるような状態ではなかった。


「ああ」


 短く答え、シドウはアイテムストレージから取り出した【紙巻煙草】を男の口元へと差し出した。そうしないと、彼は死にかけながら延々と同じ質問を繰り返すからだ。

 シドウは喫煙者ではない。このイベントのために、Chapter3で【紙巻煙草】を入手しておいた。


 自動的に、男の口に煙草が一本咥えられ、自動的に火がともる。


「……Sid(シド)。頼みがある」

「ああ」

「故郷のサレナに、これを渡してくれ。……俺はお前の幸せを、願っていると」

「ああ」


 紫煙を吐き出し、男はシドウが十年来の親友であるかのように頼み事クエストを告げた。

 頷いてやると、満足そうに瞼を閉じる。……男の口から、吸いかけの煙草が滑り落ちて消えた。


【トムの指輪】

イベントアイテム

戦友トムが故郷のサレナに渡すはずだった指輪。

あなたはトムの意思を届けなくてはならない。


 アイテムストレージに【トムの指輪】アイテムが追加される。

 ふと、シドウは考える。自分がこれを届けたとして、これまで何千何万回と「死んだ恋人」からの贈り物を渡され続けるサレナという人物は、一体どんな気持ちだろうかと。……うんざりしないものだろうか。

 もちろん、NPCである彼女にとって、一連のイベントと過去に数千万いたプレイヤーに関する連続性はないのだろう。

 今回も彼女は悲しみ、涙するはずだ。シドウの主観とは関係なく。


 そして――


 劈くようなプロペラ音が鳴り響き、シドウの眼前に一機の軍用ヘリが現れた。

 ヘリは黒塗りの機銃をシドウへ向ける。ガチャリ、とターゲッティングされた途端、脳裏で戦闘開始の警告音がこだまする。視界には、ご親切な警告文章。


《Danger》《Danger》《Danger》《Danger》――


【AH-634アパッチ改 ブラックホークコブラ】


 まるでネーミングの通販サイトのようなその機体は、このイベントのエネミーボスだ。

 シドウは素早く周囲を見回す。崩れかけた鉄橋には由来不明の瓦礫が並び、眼下の街は戦炎に覆い尽くされている。テンプレートな世界観。シドウの生まれる随分と昔に流行った舞台設定だ。戦闘用AIの暴走によって云々というのがこの世界の背景だったと思うのだが、詳細までは覚えていない。


【MANPANDS/MPADS-9K62-改】


 ストレージに、新たなるアイテムが追加される。

 この架空の地対空ミサイルを眼前の戦闘用ヘリに向けて発射すれば、今回のChapterはクリアとなる。

 本来、戦友の命を奪った敵に対してこれをぶっ放すのが「戦友トムとの死別イベント」の本筋なのだが、生憎とシドウの目的はこのアイテムそのものだ。


 機銃が光り、シドウは走る。

 すぐ背後を30mmの弾丸が穿ち仮想のアスファルトが捲り上がる。初動は躱した。良い調子だ。シドウは鉄橋の欄干へと辿り着く。

 走る速度を殺すことなく、両手を揃えて飛び込んだ。


 一瞬の浮遊感。

 右肩から着地したシドウは破損したアスファルトを素早く転がり、瓦礫を蹴って鉄橋の下へと滑り込む。


「――ふっ、はぁッ……」


 仮想の喉から吐息が漏れた。

 この一連の動作を成功するまでに、シドウは七回の死亡ゲームオーバーを体験している。

 瓦礫から飛び出している鉄筋に、モズの早贄こと串刺しになる経験が三回。空中で撃ち落とされたこと二回。あと二回は、着地後の回避行動のミスだ。


 その度にこの世界タイトルを最初からやり直すはめになり、いい加減うんざりしてきた頃合いだった。皮肉交じりの思考も恐らくはそのせいだ。多分。


 耳障りなプロペラ音が大きくなり、【AH-634アパッチ改 ブラックホークコブラ】が橋の下――シドウのいる場所を覗き込む。


 ヘリは正面で低空飛行。

 シドウは追い詰められた状況となる。


 頬が吊り上がるのを感じた。このアルゴリズムパターンに持ち込むために、これまで何度も繰り返したのだ。向こうはこれから、こちらを蜂の巣にするつもりだろう。わざとらしい作動音エフェクトを響かせて、機銃の銃身が回転した。


 衝撃。音、破裂音。

 瓦礫が破砕して舞った。シドウは冷静に、次の瓦礫に身を隠した。

 まるで発泡スチロールのように削られていく。アイテムボックスを開き、装備を入れ替える。

 ステータスもだ。アバターをセレクトし、適切な己へと切り替える。


 射撃が終わり、噴煙が舞う。

 戦闘ヘリ【AH-634アパッチ改 ブラックホークコブラ】のホバリング音が響き続ける。


 やがて、掃討射撃の終わった橋の下の景色が晴れた。


 シドウは黒いローブを纏って、その場所に立っていた。

 まるで、ファンタジー世界の魔法使いのような格好だった。そして事実、構えた木製の杖の先端には、魔術攻撃発射前の起動エフェクトが立ち昇っていた。


「……悪いな。この世界タイトルはもう、サービス終了ルール無用だ」


 シドウが吐き捨てるように告げた途端、【AH-634アパッチ改 ブラックホークコブラ】の機銃が再び火を噴いた。

 毎フレーム百発を超える仮想の弾丸は、しかしてシドウのアバターに設定されたライフを刈り取ることはない。すべて眼前で、不可視の壁に阻まれていた。


【エナジー・フィールド】

魔導遣いの基本防御術式。

物理直接攻撃をMP分/秒数軽減する。


 ここにきて、無人機動ヘリコプターである【AH-634アパッチ改 ブラックホークコブラ】の挙動に僅かばかりの動揺が見えた。

 NPCであり、しかもAIという「設定」である彼にとってはあり得ない挙動だ。


 まるで生きた人間みたいに、仮想の戦闘ヘリはぶるりと身を震わせた。

 まあ、シドウの主観からそう見えただけかも知れないが。


「バグの苦情クレームはカスタマー・サポートへどうぞだ。もう繋がらないだろうけどな。【エレクトリカル・デストラクション】」


 浮き上がり、橋の下から離脱しようとしたその直後。

 シドウの放った雷撃が【AH-634アパッチ改 ブラックホークコブラ】を貫いた。

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