第2話

一鶴いちづちゃん、一鶴ちゃん」


 私を呼ぶ、愛しい声が聞こえる。とんとんと、私の肩を誰かが優しく叩く。

 目を開ける。「あ、起きた」と彼女が笑う。

 制服を着ている。若い。可愛い。

 大好きな彼女の笑顔に手を伸ばす。彼女は「んー?」と不思議そうに首を傾げ、私の手に頭を突っ込んだ。久しぶりに触れた彼女の柔らかい髪。


「……感触がある」


 死後の世界のはずなのに。


「あははっ。なぁに寝ぼけてんの。次の授業始まっちゃうよ。準備して。一鶴ちゃんの得意な古文だからって、寝てちゃ駄目だよ」


 彼女が言うと、チャイムが鳴り響いた。制服を着た生徒達が次々と席につき始める。そこでようやく、ここは学校なのだと気づいた。机の中には、教科書が入っていた。机の上に出し、まだぼんやりとする頭のまま授業を受ける。


 竜胆は死んだ。私はこの目で見た。棺の中で花に囲まれて眠るあの子を。その寝顔を、今でも鮮明に思い出せる。

 私も死んだ。あの子の後を追って。別に、死にたいほど苦しかった訳じゃない。ただ、彼女の居ない世界で生きる意味はない。それだけ。

 親に愛されていなかったわけでもないと思う。充分に愛をもらっていた。だけど、私が欲しかったのは竜胆の愛だけだった。私がいじめられていた時、助けてくれたのは竜胆だけだったから。親は何もしてくれなかった。『そんな奴らに負けるな』と根性論ばかりで、助けてくれなかった。竜胆だけが、本気で怒ってくれた。竜胆だけは、いつだって私の味方で居てくれた。


「……竜胆」


 彼女の名前を口にすると、なぁに?と彼女が振り返る。そして私の顔を見てギョッとして「大丈夫!?」と声を上げた。周りの生徒達も私達を見る。「馬場ばばさんどうしたの?」「大丈夫?」とざわざわする。教科書に一粒の雫が垂れた。それを見てようやく、自分が泣いていることに気づく。

 先生に一言断り、竜胆が私を教室から連れ出してくれた。手を引かれて歩く廊下には既視感があった。ここは私たちが高校生の頃に過ごした学校だと、ようやく気づく。

 繋がれた手から伝わる温もりがやけに生々しい。私はあの時確かに死んだはずなのに。


「竜胆……」


「なぁに。一鶴ちゃん」


「……夢を見たの」


「夢?」


「……竜胆が死んじゃう夢」


 竜胆の足がぴたりと止まる。


「……私はここに居るよ」


 そう。あれは夢。悪い夢。きっとこっちが現実なのだ。そう思わずにはいられないほどに、彼女の手は温かった。


「ただの夢だよ。大丈夫」


「……竜胆」


「なぁに」


「……死なないでね」


「死なないよ。一鶴ちゃんを置いて死ぬなんて、私には出来ない」


「約束だよ?」


「うん。約束」


 小指を結び、誓いを交わす。そう。あれは夢。悪い夢だった。竜胆は死なない。自殺なんてしない。この時はそう信じていた。


 信じたかった。

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