2-1-5 親衛隊特務部隊

 ポーランド戦後、SS特務部隊は師団編成のためにただちにドイツへ帰還した。

 1939年10月10日にライプシュタンダルテを除くSS特務部隊は師団として編成され、ここにSS特務師団が誕生し、パウル・ハウサーが師団長に就任した。


 この頃、ポーランド戦においてSS砲兵連隊の隊員がユダヤ人を無法に銃殺したとして陸軍はこのSS隊員を軍規違反で軍法会議にかけた。

 ヒムラーはこれに激怒し、軍からSS隊員の裁判権を奪ってほしいとヒトラーに要請するようになった。ヒトラーはこれを許可し、1939年10月17日に国防閣僚会議布告としてSS特務部隊員の裁判権はSS全国指導者の助言に基づいて総統が任命した裁判官から成るSS特別裁判所にあると定め、国防軍の裁判権からSS特務部隊を解放した。

 なおも特務部隊には国防軍の軍規に従う事が義務付けられてはいたが、もはや軍の軍法会議で裁かれることは無くなった。


 これにて親衛隊の自浄作用がなくなったわけである。


 ポーランド戦後、特務部隊の特務師団とは別に髑髏部隊から髑髏師団、さらに秩序警察から警察官が抽出されて警察師団が編成された。

 これらSS傘下の武装勢力を合わせて「武装SS」と呼ぶようになった(親衛隊の命令書に「武装SS」の語が初めて登場したのは1939年10月29日)。


1939年11月末にヒムラーが公式に3個師団、14個髑髏連隊、2SS士官学校から成る武装SSの発足を宣言した。

1940年3月8日には国防軍最高司令部(OKW)も武装SSを承認した。


1940年6月にはSS特務部隊総監府は武装SS司令部(Kommandoamt-Waffen SS)と名称を変え、SS本部からの独立が許可された。

 さらに1940年8月15日には武装SS司令部とSS本部の兵員補充以外の部門が統合されてSS作戦本部が創設された。

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