3:親衛隊作戦本部
親衛隊作戦本部(SS Führungshauptamt、略称SS-FHA)は1940年8月15日に親衛隊本部から分離して設置。
一般SSと武装SSの司令部を傘下に入れている本部である。武装SSの「総司令部」の役割を期待されて創設。
戦闘の際には武装SSは国防軍の指揮を受けたが、それ以外の際には親衛隊作戦本部の指揮下にあった。
1936年10月1日、親衛隊特務部隊(武装親衛隊の前身)を監督する機関としてパウル・ハウサーを長とする親衛隊特務部隊総監府(Inspektorat der SS-Verfügungstruppe)が親衛隊本部(SS-Hauptamt)の下に創設された。
1939年11月末に親衛隊全国指導者ハインリヒ・ヒムラーは公式に武装親衛隊の発足を宣言。これを受けて1940年6月1日に親衛隊特務部隊総監府は武装親衛隊司令部(Kommandoamt-Waffen SS)に改組された。この際に武装親衛隊司令部は親衛隊本部から独立。
さらに親衛隊本部の中の募兵担当以外の部署が親衛隊本部から切り離されて、1940年8月15日に武装親衛隊司令部と統合されて親衛隊作戦本部が創設された。
その任務は「武装親衛隊の作戦指導と一般親衛隊の入営前・退役後の指導・教育」。
ただし武装親衛隊の戦場における作戦行動は実質的には国防軍が指揮権を握っていた。作戦本部は戦場以外における武装親衛隊の指揮、また武装親衛隊への兵站や医療などを担っていた。
また親衛隊の士官学校の運営も作戦本部が行い、強制収容所総監府(Inspekteur der Konzentrationslager)も親衛隊本部から作戦本部の指揮下へと移されており、1940年から1942年までの強制収容所の運営に責任を負っていた。
強制収容所総監府は1942年3月16日に親衛隊経済管理本部の指揮下に移されている。
はじめ暫定的にヒムラーが作戦本部の指揮をとっていたが、日常的な業務はハウサーの後任の武装親衛隊司令部幕僚長ハンス・ユットナーに委ねられていた。
1943年1月30日にはユットナーが正式に作戦本部本部長となっている。ユットナーは軍人的経歴の持ち主であったので、武装親衛隊から政治色を取り除いて純然たる軍事組織へと一新する構想を抱いており、反軍的なテオドール・アイケ(髑髏師団師団長)などと争っていた。
1942年11月には親衛隊人事本部長マクシミリアン・フォン・ヘルフ親衛隊大将が「ユットナー周辺グループは危険分子として監視を要する。彼らの思想はSSの精神とは無縁の物である。彼らは護衛部隊を志向し、それ以外の事は全く眼中にない」とヒムラーに警告の報告をしている。
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