3-1 髑髏師団

 第3SS装甲師団 トーテンコップ(だいさんSSそうこうしだん―、独:3. SS-Panzergrenadier-Division "Totenkopf")は、ナチス政権下における武装親衛隊に38個存在した師団のひとつ。


 トーテンコップはドイツ語で骸骨、髑髏(どくろ)を意味し、この師団の構成員が強制収容所維持管理及び警備を担当する親衛隊髑髏部隊(SS-Totenkopfverbände、通称SS-TV)から抽出されたことから、髑髏師団とも呼ばれる。


 トーテンコップは他のSS師団とは異なり、SS-TV(強制収容所の看守)をベースに編成された。この部隊の構成員は、テオドール・アイケや、マックス・ジモン、ヘルムート・ベッカーなどのナチ指揮官によって訓練・指導を受けた者達。


 アイケは兵に無情さをすり込み、そして、ダッハウでの独自の訓練の間、部隊は通常時、強制収容所での囚人の看守業務も行っていた。

 師団の基幹となったSS-TVの第3連隊がポーランドで実戦を経験し、数名が戦争犯罪にかかわったとも言われている。


 師団の戦争犯罪で、唯一の記録された例として、1940年5月27日のナチス・ドイツのフランス侵攻において、フランス北部ル・パラディの町で100名弱の英軍ロイヤル・ノーフォーク連隊将兵を処刑した事件がある(en)。

 指揮官のフリッツ・クノッホライン(de:Fritz Knöchlein事件当時、SS大尉)は、ロイヤル・ノーフォーク連隊が1899年のハーグ陸戦条約に違反してダムダム弾(着弾時弾頭が潰れ銃槍を大きくさせ負傷させやすくする弾丸)を使用していたとして起訴し、処刑を行った。


 しかしながら、この主張はありえず、なぜなら戦争の期間中、独英の小火器は全て完全被覆弾(フルメタル・ジャケット)が使用されていた。

 ただし、現場において銃剣等で弾頭に切込みを入れてダムダム弾同様の効果をあげる弾薬を使用していた可能性はある。


 ちなみにこれは他国の軍隊でも同様のことは行われていた(小説等で良く見かける表現だが、弾頭部に切れ込みを入れた場合、発砲と同時に銃身内で弾芯と被覆が分離し、意味がないばかりか、そのまま連続発砲すると銃身破壊に至る。ただし、弾頭の構造によっては問題ない場合がある。)。


 戦後、彼は戦争犯罪で有罪判決を受け、絞首刑にされた。

 また1940年6月18日、フランス中部クラムシーの町において、師団に属すると思われるドイツ兵らが、北アフリカ戦線のフランス軍捕虜41人(セネガル人歩兵を含む)を処刑したとされている。


 師団の高い死傷率により、1943年後半には実際には元々の人員が入れ替わるほどの被害を受けていた。

 続く東部戦線の戦いにおける師団の記録では残忍な戦争犯罪は残されていないが、残忍な評判は残存し続けた。

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