10-1 アーヘンエルベ

アーネンエルベ(Ahnenerbe、「祖先の遺産」の意)は、ナチス・ドイツに存在した公的研究機関。


アーリア人種の人種学や歴史学の研究を行うことを目的として、親衛隊全国指導者であったハインリヒ・ヒムラーらによって1935年に設立された。


先史時代や神話時代の「北欧人種」が世界を支配していたことを証明するための様々な研究活動を行っていた。


1929年にヒムラーはまだ規模が小さかった親衛隊の全国指導者に任じられた。


彼の下で親衛隊は規模を急拡大させ、1929年には300人だった隊員数は1931年には1万人を超えた。


ある程度規模が育ってきたことで、ヒムラーは親衛隊員をもっと厳しく選抜して長身・金髪・碧眼の北欧人種によるエリート集団にすることを目指すようになった。


 そのため1931年には親衛隊人種及び移住本部(Rasse und Siedlungshauptamt der SS; RuSHA)が設立され、リヒャルト・ヴァルター・ダレが本部長に任じられた。


RuSHAは新しい親衛隊員に対してルーン文字はじめ「北欧人種の歴史」の教育を行うようになった。


1935年7月1日、ヒムラーはベルリンの親衛隊本部でダレやヘルマン・ヴィルト(de:Herman Wirth)博士ら5名の人種学の専門家とされていた人々と会談。


この席場で彼らは「ドイツ先祖遺産・古代知識の歴史と研究協会(Deutsches Ahnenerbe - Studiengesellschaft für Geistesurgeschichte)」というドイツの「古代知識」の研究機関を発足させることに合意した。


1937年以降にこの機関の名称を短縮し、「アーネンエルベ」となる。


 総裁はこの会談の合意によりヴィルトと決まった。


 またヴォルフラム・ジーヴァス博士が事務長に任じられ、実務を仕切った。


1937年初めにヴィルトはアーネンエルベを去り、代わってミュンヘン大学の学部長でインド研究家であったヴァルター・ヴュスト(de:Walther Wüst)博士が総裁となっている。


 ヴュストは、就任直後アーネンエルベの本部を拡張移転するため、30万ライヒスマルクをかけてダーレム近郊に新しい本部を建設している。


「ヒムラーのラスプーチン」と呼ばれた親衛隊の怪人物カール・マリア・ヴィリグートとも密接に連絡を取りあっていた。


 アーネンエルベは1939年1月から正式に親衛隊の下部組織となり、ヒムラーの副官カール・ヴォルフの親衛隊全国指導者個人幕僚部の傘下に置かれた。


 以降、ドイツの敗戦で親衛隊が消滅するまで、真面目な科学的領域から怪しげなオカルトまで、様々な研究を行っていた。


 機関紙『ゲルマニア』を発行し、アーリア民族の優秀性をアピールすべく、カナリア諸島の原住民グアンチェ族は金髪であったという伝説を信奉し、現地で発掘されたミイラを収集したり、オランダの湿地帯から発掘されたミイラをアーリア人の祖とこじつけたりするなど、疑似科学やミイラの金髪伝説を宣伝した。


 活動研究には多くのドイツ学者が参加したが、彼らは戦後特に裁かれることもなく大学や研究機関に復職している。

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親衛隊 大隊書記長 @Handred_Formula

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