繋がれない空洞
母さんは私の扉を叩かなかった。誰を好きになるとかのパーソナルは踏み散らすのに、自分勝手だ。両親へ取りとめのない愚痴を考えて発散した。そうしてカーテン下の光が差し込まなくなったころ、玄関が開く音がする。
「どうも二作さん。元気かしら」
路林が取り繕って入ってきた。私の拒否権を取り上げて下卑た笑みを浮かべる。
「帰ってください」
「反抗期可愛いわね。あいちゃんのこと知りたくないの?」
彼女はカソ内の修宇あいを執拗に報告してくる。それは親切の皮をかぶせた嫌がらせだ。私が百合のことで取り乱したから勝気でいる。常に私へ油断しつつ、しかし周囲の信者候補の母親のために口調は崩さない。
「あいちゃんもかりんちゃんのこと心配してたわよ。あら、こんなに髪が伸びちゃってるじゃない」
そうして、布団からとび出た私の髪を撫でる。あいに会った時より幾らか伸びて、今や肩まである。しかし、もう容姿や世の中がどうでもよかった。
「髪の毛を切らないとあいちゃんに合わせてあげられないわね」
「え?」
「やっと顔上げた」
彼女はお団子頭をやめていた。政治家で見たようなキッチリと頭を固めてあり、服は高級そうなスーツをまとっている。全体的に先導者のようなフォーマルさが漂っていた。
「カソに入らない?」
「あいの敵を仲間にしたって言う物語ですか」
「よくわかってるじゃない」
こんなのおままごとだ。だけど、そんな幼稚じみた活動ができるような人材や資産がある。人だって脅せる。
「貴方はカソに入って、若者グループで男を見つけて付き合う。やがて結婚して幸せに過ごすの。学校に通わせながら、私たちの教育も受けさせる。そうして、社会の一員になるのよ。それが、普通なの。おままごとしてる時間は終わり。ひきこもりなんて暇つぶしは早々にやめなさい」
布団を脱いで、私はベットから起き上がる。掛けてあるジャケットを羽織り、寝巻きの上着を隠した。袖を通した手が震えている。
「どうしたの?」
「コンビニに行きます。ひきこもりを止める練習として」
「ついていこうか?」
「あなたといたら目立ちます。独り立ちさせてください」
私はそうそうに外へ出る。久しぶりに早足で外に出た。トイレよりも奥にある玄関へ来たのは、百合の侮辱以来だ。かのトラウマが外の恐怖を駆り立てるけど、走らなくちゃいけなかった。
気持ち悪い。
吐き気が込み上げては飲み込んだ。
この身体は大人の依代として計画される。望んだ大人に育てる訳ではなく、歯車を永遠と欲しているだけ。わたしも、その歯車を生産する側に回れと脅迫される。気持ち悪かった。ともかくもつれる足で地面をふむ。行かなければ、立ち止まってしまっては、マンションに住み着く大人の鬱憤に食い殺される。もはや、家は安全ではなくなった。
△
コンビニの立ち読みコーナーに来た。週間の漫画雑誌に、ビニールテープがページをまたいで付着している。読み物をさがす指は、猥雑な雑誌に止まる。
「カソの秘密?」
見出しは家庭尊重委員会に対する特集だった。私はおもむろにページを開く。
『家庭尊重委員会の路林和子。地方選挙に出馬』
彼女は政治家としてキャリアを積み上げるみたいだ。これまでの経歴やカソについて記されていた。何度も目にした彼女らの思想がありありと映る。昆虫の死骸のようなグロテスクな内容を切り上げ、めくる。
「え?」
次ページはカソの暴走について取り上げられていた。YouTubeのサムネイルを切り出されている写真の下。カソはSNSで中傷した友達を取り囲んで罵倒する様子。カソに染まった保護者が学校で自作のプリントを配布している。問題が数々挙げられていた。路林は関連を否定している。
「……気晴らしになる」
この感覚はSNSに似てる。私は久々に心の緊張がほぐれた気がした。この雑誌を記念に購入しよう。その抵抗ぐらい自分に許してあげたい。
レジに向かった。坊主頭の店員へ商品を並べる。
「2点含め588円になります」
私は小銭を出そうとした。その時、耳に曲が入ってくる。
「あれ、これ……」
「ああ、透明と犬です。知ってます?」
店員はあっけらかんと説明する。なんでも夜勤の彼はバンドのファンらしい。
「俺マジで好きで興奮しました。売れてんじゃんって。いや、複雑な気持ちはあるッスよ。でも、人気になれば、あの歌詞にある孤独感が、誰からも助けて貰えない、助けられ方のわからない人と繋がれるんじゃないかと思うんすよ」
私は彼の声を聞きながら小銭を出した。600円を店員に渡し、財布を潰すように握る。
「透明と犬良いですよね。私も、好きなんです」
「え? 姉さんどうしました?」
「え?」
「泣いてますよ」
私はまぶたに熱いものが込み上げていた。もう泣き疲れて枯れていると勘違いした。まだ私に熱が残っていたことに驚く。ここまで侮辱されて、居場所がないと思っていたけれど、まだ残っていたものがある。私にはまだ私がある。
「うっ……うう……」
「だ、大丈夫ッスか!?」
助かるには助けられる力がいる。そんな自己肯定感が他者とのつながりで得られるなら良かった。そうしたら丸く治まって私も自分を好きになれる。でも、そうはならなかった。バカにされて、親からも愛して貰えない。いや、愛がころがっていても私が蓋をしてしまった。
私が私を抱きしめてあげるしかないんだ。今ここにあるのは、このまま死んでいくだけの私。
誰も王子様になってくれない。舐められていたら、落ちぶれていくだけだ。助けられるのは私なんだ。救済を選べるテーブルに、たどり着けるのは私。
『この世界に付きまとう薄情に負けたくない。嗚咽するほど泣いたって誰も助けてくれない。僕が僕を肯定してあげなくちゃ。子供の僕に顔向けできない。布団の中で土下座しないで。復讐でも肯定でもいい。力いっぱい、自分自身を知覚し、生存抵抗するんだ』
歌詞が私の中にしみ渡る。涙が私を溺れさせる。
目の前に移る長い髪が鬱陶しく思えた。早く風呂に使って身体の汚れを取りたい。透明と犬の新曲を聞いて泣きたい。修宇あいを助けたい。
「ごめんなさい。もう大丈夫です」
「え、そうすか? 裏で休みます?」
「優しいんですね。店員さん」
「人に優しくした方が気持ちいいやないですか。いや違うな。きっと店員の俺と客の姉さんの距離だから、優しくできるんす」
「それはなんか、わかりますね」
△
コンビニを出て修宇あいに気持ちの届け方を探った。ラインは路林に管理されている。
「いや、今は彼女が家にいる」
だとしても、他のSNSも可能性はある。連絡手段を考えて、ひとつ思いつく。
「マッチングアプリのメッセージ……」
カソは同性愛者を禁止している。修宇あいが同性愛者だと周りに広めていないだろう。彼女は後継者として据えたい。政界進出で、カソの暴走に揺れるなか、不安要素は増やしたくないはずだ。
私はフユになった。
『あい。2度目のデートをしよう』
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