第24話 最期

「メイラ!」


 走りながら叫んだ僕に気づいて彼女は体を起こす。

 力が入らないのか、かなりふらつきながらこちらへ向かってくる。


 逃げ出した彼女を魔王は追わなかった。

 だがガラス板を彼女の背に向けた。


「ワタルさ……!」


 昨夜よりずっとか細い声が僕を呼ぶ。

 魔法の道具で身体能力を強化されていても僕の足では間に合わない。

 魔法術のほうが確実に速い。


 僕は彼女を引っ張ろうと、魔王への攻撃をやめて呪詛のような音を呟いた。

 彼女を受け止めるためにすぐさま腕を広げる。


 だが彼女は相変わらずふらふらとやってくるだけだった。

 術が発動しなかったのだ。

 「異世界人に対する攻撃系魔法しか使えない」ことを忘れていた。


 ――だったら、今すぐ殺すしかない。


 玉座から立ち上がり、もったいぶるように歩き出した魔王を見据える。


 不気味な右目と正常な左目の両方が彼女の背後から僕たちを捉えていた。

 処刑場で見た、人がなぶられるのを見て喜ぶ種類の人の目だ。


 僕にはそういう嗜虐趣味はない。

 かといって虐げられる人々を助けてあげたいなんて正義感もない。


 だが確実に人が死ぬ方法なんか、これしか知らない。

 数分から数十分苦しむことがあると、知識として知っているけれども。


 僕は朝陽が差し込む天窓を見上げ、右手を掲げる。


 魔王の彼は笑い出す。


「天井壊したら大事なメイラちゃんも死んじゃうぜ」

「……死ぬのは君だよ」


 僕の口から出た呪詛の音は天窓のガラスを砕く。

 床へと降り注ぐ欠片が、きらめきながら太く透明な紐へと姿を変える。

 異世界人を攻撃するためならば、こんなこともできるのか。

 他人事のように冷静な感想をいだく。


 進み来る魔王は破片から身を守るためか、ガラス板を空にかざした。


 僕は紐を彼の首に巻き付けて縛る。

 その先端を天窓の縁に引っ掛け、地上から宙へと彼の体を引き上げた。


「お前……! ぐっ……」


 放っておいても死ぬだろう。

 魔王には目もくれず僕は走る。


 途中、彼が放ったのだろう爆弾のような何かが床に穴を開けていた。

 背後からの爆風に煽られ、吹き飛ばされた彼女を受け止める。

 ……なんてかっこいいことは当然できなかった。

 しかしなんとか、彼女の下敷きになることはできた。


 天窓からの光が円を描く中、僕の体の上で彼女が身じろぐ。

 ケガをした様子がなくてホッとした。

 彼女が上を見上げる前に、左腕で体を抱きしめつつ頭を押さえる。


「ワタル、さん……苦しい、です」

「……ごめん、でも、動かないで」


 腕の中で小さく呻きはしたが抵抗する様子はない。

 僕を拒否する力すらないのか、委ねてくれているのかはわからない。

 少しだけ力を緩めても彼女は動かずにいてくれた。


 彼女はきっと、僕よりひどいものを見てきたはずだ。

 見なくて済むのなら、できるだけ見ないほうがいい。


 お前なんかにもう一ミリだって、彼女を傷つけさせるものか。


 彼女を抱いたまま僕は体を起こした。

 額から脂汗が流れる。

 さっきの砲撃のような魔王の攻撃の中で右足をやられたらしい。

 動かせないほどの激痛があり、ローブが破れて黒く濡れていた。


 光の円の中心で揺れる影の先を目で辿っていくと、僕の頭に液体が降ってくる。


「航のくせに……クソが……」


 苦しげな声が僕をなじる。

 かけられた粘つく液体は唾のようだ。


 首を吊られているのに声が出せて、唾を吐く元気がある――はずがない。


 眩しさに目を細めながら確認する。

 彼はガラス板を掴んだまま右手首を首と紐の間に挟んでいた。

 自分の方に向いた手首をねじって外に向けようと動かしている。


 僕は彼女をできるだけローブで包むように抱き直した。

 気絶でもしているのか、彼女が動かないでいてくれることがありがたい。


 痛みと体が冷えていく感覚に唇が震える。

 体を支えられず僕は再び床に倒れた。

 無理矢理右手を掲げて頭上の彼を睨み、呪詛の音を呟く。


 あいつより先に死んで、たまるもんか。


 ガラス板ごと右手を、できれば胸から下を吹き飛ばしてやろうとした光は彼に触れる直前で弾かれた。防護壁か。

 光は部屋の壁にぶつかって大穴をあける。

 誰もいない立派な玉座の隣に立っていた女性が一人倒れた。


「お前……めちゃくちゃ、怒ってんじゃん……やっぱり、大事、なんだろ……」


 そんなこと君に聞かせる理由はない。

 けれど僕は彼女を抱く腕に少しだけ力を込める。


「……そうだよ」


 殺されそうになったけど、彼女は僕の大事な人だ。

 僕たちなんかに傷つけられていい人じゃない。


 少しだけ視界が霞む。

 腕の中の黒い塊がとても温かいものに思えた。

 僕なんかに守られなくても大丈夫そうな、たくましい人だ。

 けれど今は僕が守らなくちゃいけない。


「だったら……一緒に、死ねよ」

「もちろんだよ」


 僕と一緒に死ぬのはメイラじゃなくて君だ。

 死んでも君と心中なんてしたくないけど、彼女のためなら仕方ない。


 時々焦点が合う視界で揺れる彼に右手を向ける。

 彼は白い画面が半分自分の顔に向いたままでガラス板を光らせていた。


 地鳴りとともに城が揺れる。

 床に散らばった壁の欠片が人形になり始める。

 どこからか生まれた塊が爆発して壁をさらに破壊する。


 僕を狙う光線はほとんど外れていた。

 もしかしたら彼も、もうはっきりとは見えていないのかもしれない。

 それでも彼の攻撃は僕の左足や右手を貫き、右耳を削った。


 とても痛い――はずだ。

 すでにあまり感覚がなかった。


 左腕の力も抜けていく。

 気づいたのか、彼女が僕を見上げてしまう。


「ワタル、さん……」

「メイラ、ありがとう、ごめん」


 最後だから、許してほしい。

 そう言い訳して僕は彼女の額にそっとキスをした。


 左腕に意識を集中して、ポケットから小瓶を取り出す。

 ぼんやりした表情の彼女の頭に中の液体をかけ、彼女をローブに包み直した。


 液体は僕が誘拐されたときに足にかけられたものと同じ薬品だ。

 調べてみれば魔法薬だった。

 少なくとも一晩は目覚めない。


 憎しみや怒りがあったとしても、ほんの僅かでも情があったなら。

 きっと目の前で死なれるのは嬉しいことじゃない。

 良くも悪くも感情豊かな彼女だ。

 ほんの少し、それこそ塵ほどには悲しんでくれるかもしれない。


 だからいつか、せめて僕とのことは全部夢だったと思ってほしい。

 

 重たい右腕を支えて穴のあいた右手を空に向ける。


 彼女に薬をかけたせいだろう。

 僕の左手首は青く燃えていた。

 まるでガルム部長が怒っているようだと思い出す。


 ローブの防護機能のおかげで炎がメイラに燃え移ることはなさそうだ。

 きっと彼女が目覚めるまで、彼女を守ってくれる。


 僕は呟いて、揺れ動く魔王の体に火をつけた。

 瞬時に彼の足元から頭へと炎の帯が巻き付く。

 彼の悲鳴は聞こえなかった。


 まもなく炎の中からガラス板のような光るものが落ちて砕けた。


 僕は彼が死にきる前に、もう一度呟く。

 完全に死なれたら、この場に異世界人がいなくなったら、この魔法術は発動しないかもしれない。


 もしも城内に生きている異世界人がいたら申し訳ない。

 少しだけそう思ったけれど、僕は城ごと全ての異世界人を消すように魔法術を使った。


 さっきより大きな地鳴りがする。

 背中の下の床が揺れながら下へと落ちていく。

 下の階に生きている人がいたら外へ逃げて欲しい。

 この城は今、異世界人を塵にしながらどんどん地面へと吸い込まれているはずだ。


 まもなくこの部屋も地面に沈みゆく。

 崩れたり燃えたりしていた城の壁が見えない圧に圧し潰されるようにして消える。

 ぶら下がって燃えていた魔王も塵になり、透明な紐も消えた。

 

 僕ごときの力ではどこまで消せるかはわからなかった。

 タイミングを測っていたけれど、どうやらうまくいったらしい。



 古城があった場所は森の中の開けた場所になった。

 冬の太陽に照らされる砂の上に同じ隊だった人たちが倒れている。

 ローブらしき塊が数枚残っているところもあった。

 砂埃の向こうに、城から逃げ出したのだろう人たちの影も見える。


 これ以上彼女を傷つけずに終わらせられた。


 最後の息を吐き出して僕の目は閉じる。


 大事な人を抱きしめたまま終われて、幸せだった。



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