第22話 抑圧

 感情なんてなくなればいい。

 そう何度も願った。

 けれど飛び降りて、体を捨ててもそれは叶わなかった。


 ただ僕は感情を捻じ曲げる方法を知っている。

 誰もいない場所での読書はその最たる方法だ。

 場所や話題を変えて、忘れてしまえばやり過ごすことはできる。


「僕、生きてるの?」

「お前は三週間以上入院してるよ。

 もうあっちは夏休みだ」


 彼は前回、こちらで七日過ごし、元の世界では二日過ぎていた。

 この時間差が僕にも適用されるのかと思って計算してみるが合わない。


 誰かの死を見ることと自殺することでは条件が異なるのだろうか。

 単純に寿命の差であることも考えられる。

 だが僕の体が生きているならその条件には当てはまらない。


 解明できればこの世界に異世界人が来ないように、メイラのような目に遭う人をなくすために何かできるかもしれないが検証は難しい。

 彼に協力を仰ぐのも無理だろう。


 また一週間程度で帰ってくれるなら拘束することもできるだろうか。


 しかし彼は元の世界にいたときと同じく、僕の期待をいろんな意味で裏切る。


「まあ俺も瀕死かもしれないけど、今回はしばらく、もしかしたらずっといられるだろうから休みとか関係ないけどな」

「……どういう意味?

 君は『何かの死を見ること』でこっちに来て、『死んだものの寿命が長いほど異世界にいられる』って言ってたよね?

 まさか……人を殺したの?」

「んなわけないじゃん!

 バレたら人生終わる犯罪なんて『優等生』の俺がやるわけないじゃん。

 こっちと違って消えられないんだから。

 俺もお前と同じ『事故』だよ。

 乗ってた電車の大事故に巻き込まれたんだ」


 彼は心底おかしそうに爆笑する。


 彼と僕では物事の感じ方が違うなんて当然だとわかってはいる。

 同じような形をしていても、この世界の人と異世界人が別物であるように。


 それでも目の前で人が亡くなっていくのは誰にとってもあまり心地良いものではないと僕は思う。


 真下を向いていた魔王の右目が持ち上がり、ぎょろりと僕の周囲を見て笑った。


「部活に行く途中だったんだけどさ、びっくりする間もなかったよ。

 車内で動画見てたら電車が急ブレーキかけて、電車ごとひっくり返ったっぽい。

 気づいたら天井が真横にあったよ。

 俺も足とか変な方に向いてたけど、もっとヤバそうなヤツが多かったからなー。

 だいぶ痛かったけど、今回はすぐ帰ってこなくて済みそうだって思ったよ。

 ……し俺が死んでたら、ずっとこっちにいられる可能性もあるだろ?」


 そう思うならなぜ魔王と呼ばれるようなことをするのか。


 死ねない世界で憎まれ続けることをするなんて僕には狂気に思えた。

 それとも彼は異世界人がこの世界では死ねないことを知らないんだろうか。


 いや、それはない。

 彼は異世界人と同じ死をこの世界の人に与えたばかりだ。

 だったら彼のしていることは――。


 悪趣味な魔王の隣でうつむいて立っているメイラを見る。

 今は人形のような彼女は、僕を襲ったときの黒い服を着たままだ。


 彼女が落ち着くまで待たずに送り届けていれば良かった。

 後悔しても遅いが、そもそも彼がいなければ。


「君ってドMなの?

 じゃなきゃ、ただの子ども?」

「……は?」


 一瞬あっけにとられた顔が眉を寄せる。

 僕は思ったことをわざと、そのまま口にした。


 感情を削ぎ落とせば頭の中で始まるのは知識の連鎖だ。


 しかし怒りが残ったままならば勢いがついた言葉の暴力を生み出す。


「敵の殺し方を見るに君は僕たち異世界人がこの世界でどういう死に方をするか知ってるよね?

 処刑場にいたことを思えば異世界人の扱われ方も知っているはずだ。

 その上で人を傷つけて罪を重ねるようなことをするのは被虐趣味があるか構ってほしい子どもが駄々こねてるのと何が違うの?

 天才と馬鹿は紙一重っていうけど、今の君はどちらでもない。

 ただの迷惑な災厄だ。

 馬鹿にすら失礼だよ。

 人を傷つけて意識を奪った女性たちを侍らせるしかできないなんて、残念なのはその服の趣味だけじゃなくて実は頭の中身も、ってことの証明だろ」


 こんなに長く一息でしゃべったのは初めてかもしれない。

 僕は深く呼吸を繰り返す。

 心臓の鼓動はうるさいし、足も少し震えている。


 だけど頭も胸のつかえも多少すっきりした。


 体に力が満ちて徐々に落ち着く僕とは真逆に、彼は魔王らしく顔を赤らめる。


 しまった、とは僕はもう思わない。

 

「お前……、航のくせに」

「コミュ力あるくせに語彙力ないの?

 僕と違って君はなんでも持ってるだろ?

 才能にも外見にも恵まれてるんだから、こっちで迷惑かけなくても大人しく過ごしてまた人気者になればいいじゃないか。

 他人を巻き込むならもっとうまく楽しくやれるだろ、君は」


 魔王は数秒沈黙したまま僕を睨みつけた。 

 やがて鼻で笑い、手の中のガラス板を掲げて天窓を眺める。

 

「……面倒くさいんだよ。

 優等生やって、適当に良いこと言って他人操ってれば、だいたい俺に都合良い奴は作れるさ。

 でもそれ、一生続けるとか面倒くさいだろ。

 こっちならそんな手間かけなくても魔法術で手っ取り早く他人を操れる。

 行き来できる方法があれば、どんな罪を何度犯しても逃げられる。

 こっちで好きなだけ好きなことして戻っても、時間も少ししか経ってない。

 適当にこっちで遊んで、飽きたら向こうでそこそこやれればいいんだよ、俺は。

 ここにいるしかないならせっかく死なないんだし、全部消して俺の世界にしちゃえばいい。

 ”俺最強”は異世界モノのお約束だろ」

「……そんな君の都合で他人に迷惑かけるなよ」

「何それ、お前優等生なの?

 英雄なの? 勇者なの?

 なんでもいいけど……俺の邪魔すんなよ」


 弱い光を反射したガラス板が僕に向く。

 避ける間もなく僕の周りに黒い檻が生え、立っているしかできない窮屈な空間に閉じ込められた。


「ずっと僕の邪魔してきたのは君の方だろ。

 周りがうざかったなら、せっかく環境が変わったんだからつまらないことで暇潰してないでもっと建設的なことに――」

「陰キャがペラペラ、うるせぇよ」


 今度はガラス板が赤く光り、いくつかの泥の塊が現れて柵に当たった。

 柵にへばりついた欠片が乾いた砂みたいにぼろぼろと落ちてくる。

 腕で頭をかばったが、ローブの一部が溶けていた。


 砂粒の落下が終わるのを待って彼を見る。

 光をなくしたガラス板を下げ、魔王は玉座に座った。


 その隣に立っていた彼女が突然力なくうなだれる。

 ふらついて前のめりになる体に僕は血の気が引く。


「メイラ!」


 ここに来てから何度もこらえられたのに、思わず叫んでしまった。

 唇を噛むほど強く口を閉じてももう遅い。


 一番傷つけられたくないものは、知られないことが最も大事なのに。


 乱暴に腕を掴んで引き寄せられたメイラの体がよろめきながら魔王の膝の上に収められる。

 光はなくとも開いていた目は閉じ、体はぐったりとしていた。


 魔王は彼女の肩を抱いたまま、いやらしい笑みを僕に向ける。


「この子『メイラ』っていうんだ?

 お前の何?」


 雑に彼女を扱った手が彼女の綺麗な髪や肌を撫でてもてあそぶ。


 吐き気を越えた嫌悪が頭の中で叫んだ。


 汚い手で触るな、――ぶっ殺してやる。



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