第18話 出陣
大広間を出た廊下の奥、人気のない場所でガルム部長は立ち止まった。
周囲に誰もいないことを確認して、ポケットから薄く平べったい腕輪を取り出す。
「アマハシ、右腕を出せ。
君にはこれを渡しておく。」
言われたとおりに差し出した右腕にその腕輪がはめられる。
聞き取れない言葉をガルム部長が呟くと光沢のない金属質な輪は温かくなり、僕の腕に違和感なく張り付いた。
触れてみると金属に見えた材質はガラスのようでもあった。
「今の言葉をすぐに覚えろ」
「すみません、聞き取れなくて……」
「だろうな」
聞いたことのない外国語のような言葉を数回繰り返してなんとか発音する。
音の雰囲気だけを聞けば呪詛のような気持ち悪さがあった。
「やはり君は物覚えがいいな。
それは牢屋の番人に支給される、異世界人に対してのみ魔法術を発動できる腕輪を改良したものだ。
この世界の魔法師と同じ要領で異世界人でもほとんどの攻撃魔法が使える。
ただし魔法の動力源になるのはお前の体力や気力だ。
乱発はするな」
この世界の魔法は太陽光など自然物のエネルギーを変換して発動する。
自然なので気候などによっては失敗することもある。
それを強制的にほぼ確実に成功するようにしたのが魔法術だ。
コンピューターの基盤に似た魔法陣が目的に合わせて無数に存在し、ガルム部長が呟いたような普通の人には聞き取れない言葉によって強制発動する。
便利かつ危険であり、ごく一部にしか使用を認められていない。
無断で使えば長期の懲役刑も課される。
解析や研究は政府機関の中でも極秘事項であるため、関連書籍も秘匿されている。
ソーラーパネルによる太陽光発電システムみたいなものだと僕は理解していた。
あれも使い方を変えれば軍事利用できると聞いたことがある。
「あの、そんなものを僕に渡していいんですか?」
「対異世界人にしか魔法は発動しないが、どのみちこの世界の者を傷つければどうなるか、君ならわかるだろう」
ガルム部長が僕の左腕を見る。
骨が見えていた自分の手を思い出して身の縮む思いがした。
「異世界人庁長官の許可もおりている。
どんな扱いを受けても真面目に働くほど、君は痛いことが嫌いらしいからな。
馬鹿なことはしないだろう?」
「終わりのない激痛は嫌です」
「終わりがあればいいのか?」
「嫌です……あの、ありがとうございます。
異世界人が、迷惑をかけてすみません」
ガルム部長が鼻で笑う。
彼はそういう笑い方なのだ。
浮かんだ感情や期待が正しく受け取られやすい形で表現できる人ばかりではない。
それは悪く言えば、油断している相手にこそ出てしまう癖だ。
緊張すると思ったことが口に出てしまっていた僕よりはずっと良いだろう。
「――仕留めて来い」
来た道を戻るガルム部長の背中に敬礼して、僕も後を追った。
『ハルト』のいる古城は郊外の森の中にある。
調査隊は森の外までは追われなかったそうだ。
僕たちの部隊は魔法術で駆動する、元の世界の人員輸送車のような数台の乗り物で夜の中を移動した。
この世界の技術の進み方は少し歪で不思議だとたびたび思う。
ただこの乗り物が凶暴な異世界人などの捕獲に使われたらしいことは、頑丈な柵やこびりついた血痕から想像できた。
任務としては『ハルト』を仕留めねばならない。
だがもしも任務かメイラかを選ばなければならなくなったら、僕が消えたとしてもメイラを選ぶだろう。
任務とメイラの救助、両方を僕が達成できるとは思えない。
街を抜けて農地や牧場を通り、舗装されていない道を越えて、森にさしかかったところで車は止まる。
部隊長のハンドサインに従って車を降りる。
冬の夜の乾燥した森の匂いがした。
足音と疲労を軽減する加工がされたブーツで静かに隊列を組み、歩き始める。
空高く伸びた樹の先端が弱い月明かりの下で影のように揺れる。
夜の森の先に、揺れない古城の黒い影が小さく見えていた。
そこそこ距離はありそうだ。
列を乱さずに歩いて数十分、古城までもう少しというところで隊員の一人が遅れだした。
黒いローブで杖をつく影が、とうとう最後尾付近にいる僕の隣に来る。
少し迷ってから僕は手を貸した。
「……大丈夫ですか」
その人のゆるく曲がった腰に片手を添える。
やや乱れた呼吸の合間に彼はお礼を言ってくれた。
「ありがとう……アマハシ」
小声とはいえ突然名前を呼ばれてぎょっとする。
目元以外をローブで覆った僕を判別できる人は少ないだろう。
これまでの仕事で関わった人のなかに異世界人がいたのだろうか。
しわがれた声から察するに高齢の男性のようだ。
作戦中も無駄な会話は許されていない。
黒いローブの人が僕たちを追い越しざまに一瞥していった。
僕は謝罪の代わりに会釈する。
後ろにはもう、少し離れたところからついてくる監視役の魔法師が二人いるだけだ。
男性を支えながら振り返ってみるが、一定の距離でついてくる。
逃げ出さなければ問題なさそうだ。
もう少しで古城にも着く。
これくらいは許されるのではないかと、僕はそのまま歩みの遅い男性を助けつつ歩くことにした。
それにしてもこんな体で異世界人を忌み嫌うこの世界に来るなんて気の毒だ。
弱々しい足腰では暴力から逃げることもできないだろう。
「……なんだ、気づかないのか」
視線に気づいた彼が僕を見上げる。
月明かりに照らされる少し濁った目に謝りかけて僕は思い出す。
「……なんでここにいるんですか」
黒いローブを彼も着ているのだ。
『ハルト』の仲間と思われていた僕と同じ牢にいた彼も、僕と同じくこの世界にとっての災厄である。
「元気そうで残念だよ」
牢屋で出会った老人が黒い布の隙間から底の見えない目で僕を見て笑った。
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