第19話 老夫
牢屋で初めて会ったときにはなかった足と杖で彼は歩を進める。
足は義足だろうか。
こうなってもまだ死ねないのか。
背筋が少しつめたくなった。
「腕や足の一本も失うか、気でも狂うかと思ってたんだがな。
……やっぱりメイラには無理だったんだな」
彼の口から彼女の名前が出たことが心のどこかに引っかかった。
僕は言葉に感情が出ないよう気をつける。
「……あなたも異世界人庁の職員だったんですね」
「お前みたいな異世界人の行き先を最初に決めるのが仕事だったよ。
この世界に来ただけの凶悪犯を研究や処刑ごっこに回すか、人材に回すかは俺次第だ」
牢屋で会ったときよりずいぶん砕けた物言いに感じられる。
こちらが彼の本性だろうか。
夜間の作戦中ということで、やや興奮しているのかもしれない。
「どうしてメイラに僕を誘拐させたんですか?」
「かわいい娘が復讐に燃えているなら、手助けしてやりたいだろう?」
「えっ」
僕は思わず声を上げる。
前方の隊員が振り返り、僕はまた小声で謝罪した。
隣の彼は喉で笑っている。
「良い反応だな」
「……冗談ですか?」
「本当の娘ではないさ。
俺がこの世界に渡って来たのは、元の世界で二十二歳のときだ。
この世界で『ハルト』のように犯罪を繰り返して処刑されたが死ねなかった。
こちらの時間で二十五年、刑罰として拷問や新薬、異世界人を殺す研究の実験台になった」
肝が冷える心地がした。
二十五年という時間が今の僕には無限に思える。
「その間に研究者の女性と恋におちた。
俺は真面目になり、刑罰を受けながら勉強して認められ、職員に引き上げてもらえたよ。
だがまともな職につけたとしても、異世界人とこの世界の人間の婚姻は前例もなく認められてもいない。
俺と彼女は監視されながらも街外れで静かに暮らしたよ。
――三年後、彼女は事故で亡くなったがな」
淀んだ彼の目が空を仰ぎ見る。
満ちない月がさっきより高く登り、古城は近づいていた。
歩きながら僕は黙って彼の話を聞く。
「その頃、時々世話を引き受けていたのが六歳だったメイラ・フローライトだ。
メイラは俺が異世界人だとは知らず、よく懐いてくれたよ。
メイラの兄は知っていたようだが、学校に行く間、子どもを預けられる家は限られていた。
それに俺の恋人が生きていたときは一緒に二人の面倒も見ていたんだ。
彼は聡い子で私が恋人の信頼を裏切らないこともわかっていたんだろう」
少しだけ一緒に暮らしたあの家で過ごす幼いメイラの姿を思い浮かべる。
目に入れても痛くないほど可愛らしい子どもだっただろう。
彼とメイラとメイラの兄が楽しげに過ごす光景を想像して、ふと僕は気づく。
「……あなたは今、何歳ですか?」
彼が異世界に渡ってきたのは元の世界で二十二歳のときだ。
二十五年の刑罰を受けて、三年後に恋人が死亡。
その頃に六歳のメイラと過ごしている――この時点で彼は五十歳のはずだ。
メイラは僕と同じ年か少し年下だろう。
だとすると二人が出会って十数年ぐらい。
彼は、多めにみても七十歳前後のはずではないのか。
牢屋で見た彼はぼさぼさの長い髪も髭も眉も真っ白だったように思う。
体は骨と皮で、頬は痩せ、今見えている目も薄く濁っている。
おそらく義足をつけているのだろう足は、魔法で無理矢理動かされているのではないか。
仕事の先輩の中には彼と同じくらいの年齢の人もいたが、もっと覇気があった。
異世界人への差別や拷問、孤独により早く老けた……にしては老けすぎている気がする。
まるで元の世界のニュースで見た、世界最高齢者のような――。
その年齢を思い出そうとする僕に彼は口を開く。
「気づいたか」
「僕のいた世界とこの世界……もしかしたらあなたのいた世界ともここは違う。
環境の差で老化現象に違いがあるにしても、極端な気がします」
「ほお、賢しいな。
……君は異世界人について、どこまで知った?」
この世界の人にとって異世界人は災厄だ。
悪質とみなされれば研究と称した人体実験や娯楽として処刑にかけられる。
そうならずとも普通の人と同じようには生きられない。
他の異世界人に殺されるまで死ぬことはできず、基本的には魔法も使えない。
別の異世界人に殺してもらえるまで、施設などで管理されながらずっと過ごす。
監視下に置かれながら、自死すらできない生涯を孤独に生きていくことになる。
求められているだろう答えだけを簡単に説明すると彼は少し驚いたようだった。
「この世界に来て君はまだ数ヶ月だったはずだが、よく調べたな」
「もともと、読書が好きなので。
仕事のためにも、図書館や庁舎の一般書架の本は読ませてもらえたんです」
借りられる本はできるだけ借りて家でも読んだ。
この世界のことを頭に詰め込んだ。
読書ができる環境を維持するため、仕事で失敗しないために必死でもあった。
だがそれ以上に僕は本にすがっていたかった。
死ねない生涯の時間を満たすのは本の世界と仕事になるだろう。
メイラとの記憶だっていつかきっと忘れる。
人の記憶は生きるために都合よく作り変えられてしまうものだ。
老人が喉の奥で笑い、小さくむせる。
「正確な年齢はわからん。
ただ恋人が亡くなった翌朝、一気に体が老いた」
懐かしむようにその目が眇められる。
「それまでの俺はこの世界で経過する年数に見合わないほど若かった。
数えていた年齢では四十代半ばのはずが、異世界にきたときと見た目はそれほど変わらなかったよ。
それが突然白髪や皺が目立つ顔になり、筋力は落ちてやせ細っていた。
脂肪が溜まった丸い腹はなかったが、鏡の中には子供の頃に会ったきりの祖父の顔があったよ。
それからは年々、一気に老けるようになった」
元の世界の祖父の顔を思い出す。
自分の顔が一夜にしてああなる……とは到底想像できなかった。
どちらかといえば僕は父に似ている。
僕は、母を殺して自死した父の死に顔を久しぶりに思い出した。
棺桶の中の整えられた安らかな顔ではなく、家の鴨居からぶら下がっていた方の顔だ。
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