第20話 刑罰

 父は影の薄い人だった。


 というか僕が十歳になる頃には、両親ともあまり家にいなかった気がする。

 もっと幼いときには本好きの母に父が紅茶を用意して、穏やかに笑い合っていたような記憶もある。

 だが今となってはそれが真実なのか確かめようもない。


 父が母を刺したのは勘違い、あるいは幻覚のせいらしい。

 事件が起こるまではどこにでもありうる、ただの絆の薄い家庭だった。


 だが不仲になっていた僕の両親は、父が覚醒剤をやり、母は怪しい新興宗教にハマっていた。

 しょっちゅう集まりに出かける母を父は不倫だと思い込んだ。

 薬の効果も相まって、父は母を刺した。


 学校から帰宅した僕は、背の低い父が鴨居からぶら下がり、血だらけになっている母を見つけた。

 僕が通報したらしいがあまり覚えていない。

 僕は未成年だったこともあり、その後の対応は祖父母がした。 


 一般企業に勤めていた父と実家が資産家の母は駆け落ちして結婚したそうだ。

 両親については葬儀に参列していた品のない親族たちが、祖父母から聞いていないことまで話してくれた。


 まだ一年も経っていない出来事だが、遠い過去のような、他人事のような感覚の話だ。

 ただ、誰かの手で整えられた顔よりも、ぶら下がっていた父の顔のほうが穏やかに見えた光景は、僕が確かに見たものなのだと思えていた。



「毎年恋人の命日の翌朝、鏡を見ると昨日とは別人に老け込んだ自分がいる。

 五年近く前の真夜中に連行され異世界人庁の職員にされて、ようやくそれが異世界人特有の老化現象だと知った。

 原理はわからないが異世界人はある日、一気に老化することがある。

 そしてそうなると、ほぼ永久に突然消えることも死ぬこともないらしい」

「……最悪、ですね」


 死ねないまま老いていく。

 自由を奪われ、穏やかさもなく、ささやかな幸福もこぼれ落ちるばかりの未来は絶望しかない。


 物心がついて以降、あまり話した記憶のない父も、そうした絶望のような何かから逃れたかったのだろうか。


 老爺の話を聞くべく、僕は父の最後の顔を頭の中の暗闇に押しやる。


「……そうだな。

 まあ、俺は元の世界でも世間に疎まれる犯罪者だったからな……ある意味自業自得だ。

 地下牢で君が眠っている間に天窓から覗き込んでいたメイラも、俺の正体に気づかなかったよ。

 俺はすぐに気づいたがな……大きくなった姿にも、危険を冒してやって来た目的にも。

 あのとき、君ではなく処刑後の『ハルト』が牢にぶちこまれるはずで、『ハルト』がメイラたちにしたことも知っていたからな。

 処刑ごっこは異世界人にひどい目に遭わされた人々の心を慰めるためにある。

 君にメイラを傷つける根性はないと判断した俺は、君をあの子に売ったんだ」


 その判断は正しい。

 僕にはメイラどころか、人に手をあげるなんて早々できるわけがない。


 話し疲れたのか彼はつまづきかける。

 その体を支え、僕たちは進む。

 城はもう目の前だ。


「僕みたいなやつが言うのもなんですけど……。

 メイラはそういうの、向いてないと思います」


 彼は鼻で笑った。

 これは間違いなく嘲笑だ。


「……そうだな。

 メイラが君を取り戻しに来た話を聞いて、今日君を会議で見て、俺は判断を間違えたと後悔していたところだ」

「……すみませんでした。

 僕もまさか、彼女が僕を探すとは思ってなくて」

「メイラがいなければ君は脱獄犯だったろうな。

 今頃ここにはおらず、俺と同じ目にあっていたはずだ。

 ……あの子に感謝するんだぞ」


 言外に滲む「死んでも助けろ」の言葉に僕は小さく頷く。

 もともとそのつもりでここにいる。


 顔を上げると前方の部隊が立ち止まり、影の塊になっていた。


 調査隊の情報ではそろそろ、誘拐された人や土人形が警備している場所になるはずだ。

 古城の姿を遮る木々の影も少なくなっている。


 僕たちの少し前にいた人も速度を緩め、やがて止まったようだ。

 少しだけ僕も焦りながら彼を進ませる。

 彼も僕に合わせようとしているのか、足を早めた。


「アマハシ、他に何か聞きたいことはあるか?」


 最後尾で立ち止まると間もなく後ろにいた監視役たちも追いついた。

 最前列にいるだろう部隊長が手をあげるのが小さく見える。

 後ろの監視役たちが小声で何か呟く。

 魔法で何か通信をしているのかもしれない。


 会議で話された作戦では僕たち異世界人の一部が囮として正面を進み、討伐隊と残りの異世界人が城の裏口を探すことになっていた。

 どちらにも異世界人の監視を兼任した魔法師が後方支援隊として配分されている。

 裏口が確認できればそこから侵入、なければ正面から突入することになっている。


 監視役の魔法師が手を宙に向けて開いた。

 蛍のような光が生まれてふわふわと漂い、城へと向かっていく。


「……いえ、今は。

 あとで思いついたら、また」

「『あとで』はない。

 ……じゃあな」


 僕の隣りにいた彼は笑って前方へ飛び出した。

 追いかけそうになった僕の腕が別の隊員に掴まれる。

 フードで見えない顔の前に人差し指を立てられ、僕は体を止めて城の方を見た。


 隊列の中から浮き上がった数人分の黒い影が城に向けて飛行する。

 ぐるりと城の周りを回って、向かって右側と城の裏側のやや左から照明弾が二発ずつ上がった。


 浮遊していたいくつかの影は数秒と経たずに落下した。

 静かな冬の森に小さく、ぐしゃ、と音がした。


 隊員たちの多くが息を呑む中、ひらけていた城の周りが一瞬光る。

 地鳴りのあとで土が盛り上がり始める。


 前方の部隊長と監視役の指示で、僕たちは城の正面と右側へそれぞれ走り出した。

 彼は戻ってこなかった。


 反撃すれば灰にされるという土人形の攻撃を避け、照明弾が光った城の右側へと進む。

 僕は裏口からの侵入部隊だ。

 城の周囲には濃度の高い白い靄のようなものが漂っていた。

 正面側は裏口側より防御が堅いのだろう。

 時々悲鳴が聞こえていた。


 誘拐された街の人は皆、城の壁際に倒れていた。

 眠っているように見えたが、息はなかった。


 ほどなくして裏門が見つかり、魔法師が解錠する。

 人がなんとかすれ違える程度の狭い裏口から、僕たちの隊は靄がけぶる城内に侵入した。



 通ってきた裏門の、先端が尖った柵には一枚の黒いローブとブーツが刺さっていた。

 門扉の右半分に、わざわざ引っかかりやすいように突き刺したみたいな刺さり方だった。

 風を受けて膨らんでいた部分が人の膝や腰の位置によく似ていた。


 黒い柵の上で月光にきらめいて、風に散っていたのは灰だったのかもしれない。


 僕は戻らなかった彼に、心のなかでそっと手を合わせた。



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