第16話 赫怒

 僕は初めて仕事に遅刻した。

 ガルム部長に叱られたが左手首を燃やされることはなかった。

 だがその鋭利な眼差しに心臓を貫かれるような恐怖を感じた。


 普段のガルム部長は大量の書類や指示を淡々とさばいている。

 それでいて話しかければ手を止め、ほどよい緊張感を保ちながら穏やかに対応してくれる人だ。


 それが今は別人かと思えるほど険しく威圧的な雰囲気をまとっている。

 部長室に来るまでの庁舎の中も異様にざわついてた。


 僕は居住まいを正し、指示を待つ。


「……アマハシ、君は昨夜、メイラ・フローライトを送り届けなかったのか?」

「なにか、あったんですか?」


 突然出された名前に心臓が跳ね、思わず聞き返した。

 憤りがにじむガルム部長の目に怯んでしまう。

 反射的に身をすくませた僕は何を説明したものかと困惑し、視線をさまよわせた。


 ガルム部長が苦々しく説明する。


「数日前に現れたらしい異世界人が昨夜のうちに街の人々を誘拐したようだ。

 詳細は調査中だが子供や若い者を中心に被害は数百人にのぼる。

 国境に近い一部の南部の街も放火や強奪などの被害にあっている」


 まさか。

 僕の動揺を読み取ったのだろう彼は机の書類を静かに手に取る。

 不安の九割以上は起こらないといわれる。

 だが悪い予感ほど命中する。


「行方不明者リストの中に、彼女の名前もあった」


 ガルム部長が僕に書類を見せる。

 街にある様々な店が連絡のつかない従業員名を報告したリストだった。

 彼女が勤めるパン屋の名前の隣に彼女の名前を見つけて、僕は一瞬呼吸を止める。

 体が勝手に執務室の外へ走り出そうとした。


「待て!」

「すみません、すぐ戻ります、だから、」

「お前にはお前の、異世界人の仕事がある、アマハシワタル」

「いっ、うああああ!」


 左手首から青い炎が上がる。

 引きちぎられそうな激痛とともに、普段はほとんど見えない『異世界人庁 特別職員』の文字が赤く浮かんだ。

 見えない力に腕を引っ張られ、僕は背中から床に倒れ込む。

 燃え続ける左手首を右手で握りしめ、のたうち回る。

 皮膚が裂け、肉が溶けていく。

 手が、なくなってしまう。


「確認は他の部下たちが行っている。

 私の指示なく動くな」

「すみません、すみません!」


 絶叫して謝り続けると突然炎は消えた。

 骨が見え始めていた手は内側から一瞬で再生する。

 自分の体に起きたことが信じられず凝視した左手首の文字の横には、小さくただれたような傷跡だけが残っていた。


「異世界人の根城らしき場所に調査隊を派遣している。

 それが戻り次第、その討伐・捕獲部隊を結成する」


 震えに耐えて体を起こした僕にガルム部長が近づく。

 いつでも踏みつけられる、あるいは蹴り飛ばせる距離から見下される。

 僕は動悸がおさまらず浅い呼吸を繰り返しながら歯を食いしばった。

 異世界人への憎悪が正しくおさまる目を睨み返す。


「お前は」

「僕もそこに入れて下さい」


 ガルム部長とほぼ同時に口を開く。


 運動ができない僕でも死なないなら、盾くらいにはなれる。

 防御は最大の攻撃だ。


 今の炎ですらめちゃくちゃに痛かった。

 これ以上痛いなんて本当に死んだほうがマシだ。

 それでも、それで彼女が助けられるなら。


 まだ少し力が入らない膝に手をついて体を支えながら立ち上がる。

 ガルム部長が僕の腕をつかんで引き上げた。

 その口角がわずかにあがっている。


「当然だ。

 そのための『特別職員』だからな」


 彼の憎悪は異世界人に対するものではないのではないか。

 向けられる眼差しに期待と信頼を感じて、僕は応えたいと願った。


 

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