第13話 再会

 僕なんかにお礼を言われても気持ち悪いだけかもしれない。


 もそもそとひとりで静かな夕飯をとりながら、夜にベッドで暗闇を見上げながら、あの手紙が彼女の迷惑にならないことを願った。

 簡単にしか書けなかったとはいえ、LINEみたいに送信取消することができない言葉。

 いっそ何もしないほうが良かったのではないか。


 こういう後悔をしたくなくて、他人と関わらないようにしていたことも思い出してしまった。

 それくらい僕は彼女に惹かれて、好かれることを期待していた。


 でも彼女がいなかったら、きっと僕は今ここにはいない。

 だから手紙を送ったこと自体は多分、間違っていない。

 

 無理矢理にでもそう思いながら捨てるべき想いを何度も抑えて塗りつぶして僕は働き、読書に没頭した。


 物語や知識の世界は現実、そして何より僕自身から逃げられる世界だ。


 しかし僕はまた、異世界であれ現実に生きているのだと思い知らされる。

 女子という生き物の行動力は国や時代どころか世界が変わっても恐ろしいものだった。


「ワタルさん!」


 仕事を終えて少し遅めに帰宅したある日、僕の家の前にメイラがいた。


 人は誰かの声から忘れてしまうという話もある。

 なのに僕はとうとう、幻聴まで聞こえるようになってしまったのかと思ったが違った。本物の彼女だ。


 色素の薄い柔らかそうな長い髪が揺れる。

 空色の瞳が僕を見て微笑む。

 突進してきた彼女に驚いた僕は鞄を落として両手を上げた。


 そして彼女は、あろうことか僕に抱きつく。


「やっと、見つけました」


 感情の大洪水に溺れた僕は硬直したまま動けなかった。


「私もこっちに引っ越してきちゃいました……ワタルさん?」


 自分の胸元から女子が僕を見上げて僕の名前を呼んでいる。

 メイラは低身長の僕より小さいとはいえ、幼児ではない。

 顔が、近い。

 ひゅっと喉が鳴って呼吸を忘れた。


「あ、の……」


 遅い時間とはいえ帰路につく人は少なくない。

 ひそひそと囁き合う声も聞こえる。


 痴漢や性的な変質者に間違われたことは元の世界でもさすがになかった。

 冷や汗をかく僕に人々の視線が突き刺さる。


「ち、違うんです……」

「え? ワタルさんですよね?」


 なんとか頷く。

 引き剥がしたいが、指が彼女の体を掴む前にとまってしまう。

 後ずさろうにも足が動かず、彼女の腕の力とぬくもりに気づくとまた思考が奪われる。


「……迷惑でしたか?」

「ち、違うんです!」


 僕は叫んで仰け反った。


「きゃ!」


 勢いよく反ったせいで彼女に押し倒されるような格好で地面に倒れ込み、僕より小さな体を結局抱きしめてしまった。


 柔らかな匂いだとか、僕より筋肉がついているのに小さくて細い感触だとか――初めて触れた女子の体はとんでもない破壊力をもっていて、僕は意識をふっとばした。



 メイラの家よりずっと小さい僕の家に、メイラがいる。


 いつもは一人で食事や仕事をするテーブルの向かいに彼女が座っている。

 彼女がつくってきてくれた料理を並べ、ひとまず僕たちは夕食を摂った。


 ネットもメールもない世界で個人を探し当てるなんて、奇跡みたいなものだろう。


 嘘みたいな現実に頭がついていかない。

 久しぶりの彼女の手料理なのに、味がわからなかった。


 これまでのことはすべて幻覚で全て僕の妄想ではないか。

 元の世界で飛び降りたことも、もしかしたらこれまでの僕の人生全て。


 夏の夜空を見たあのときの空虚さに似た感覚で彼女をぼんやり見ていたら、パンを齧った彼女が気づいて微笑んだ。


 手放しそうになる意識を引き止め、呼吸を忘れないように整える。


「あの……夕飯、ありがとう」


 すでに何度か伝えたことを言ってしまう。

 違う、そうだけどそうじゃない。

 

「ふふ、はい。

 美味しいですか?」


 僕は頷いてうつむき、口の中のチキンステーキを離乳食になるまで噛み続けて飲み込む。

 こんなの、勘違いするなというほうがきっと無理だ。

 だけど本題はそこじゃない。


「えと……よく、わかったね、僕の家。

 あの手紙、住所とか書いてなかったと思うんだけど」


 ガルム部長は僕にメイラを諦めさせるために魔法で手紙を送ってくれた。

 牢屋の役人が言っていた、彼女が僕を買いたいという話が本当なら彼女に僕の居場所を知られるようなこともしないだろう。


 メイラが水を一口飲んでから綺麗な所作で口元を拭う。

 ひとつひとつの動きに視線を奪われてしまう。


「……詳しくは言えないんですけど、魔法で送られた手紙の痕跡をたどる方法があるんです」

「メイラは魔法がつかえるの?」

「いいえ。

 でも知り合いに魔法を使える人がいて……」


 魔法に関する情報が一般人に出回ることはほとんどない。

 魔法に関する書物なども読めるのは魔法が使える人たちと、仕事などで許可された一部の者に限られている。


 彼女の家にも本や魔法に関する道具などはなく、僕は当初、この世界に魔法があることを知らなかった。


 僕は仕事上、ガルム部長の許可をもらって基礎知識だけを学んだ。

 それでも漏れるときは漏れるのだろう。

 人の口に戸は立てられない。

 

「あの……そこまでして、探してくれて、ありがとう……ございます……。

 でも、なんで?」


 彼女に想われていたことが嬉しくてたまらなかった。

 だけど僕が彼女に想ってもらえるようなことをした記憶はない。

 単純に、その、僕みたいなやつが、彼女に……なんて。


 淡い期待をする自分が気持ち悪いのに心は浮ついてしまう。


 メイラは微笑んで、数秒おいた。


「……最初に助けてもらったのは私ですし、それに」


 彼女はまた沈黙して、今度は少しうつむいた。

 僕の心臓がうるさい。

 でも、続きが聞きたい。


「ワタルさんと暮らすの、楽しかったから」


 心臓が破裂するんじゃないかと思った。

 どうしようもない僕でも、嫌われていない、どころか、もしかしたら。

 彼女が嫌でないなら、と僕は思ったことを口にしてしまう。


「あ、あの、都市部は郊外より危険だしっ、ここで一緒に住みませんか!」


 時々街で仕事をしていたとはいえ女子が都会でひとりで暮らすのは大変で危険かもしれない。

 この地区は政府による管理区域だから治安も良い方だ。

 認められればもう少し広い家にも住めるかもしれない。

 以前より、多少は、僕もマシになった……はずだ。


「えっと、僕、今、異世界人だけど、ちゃんと仕事あって、」


 今も何もずっと異世界人だ。

 ガルム部長に同居を認めてもらうことも容易くはないだろう。


 だがそんなことは頭の中から抜け落ちている。


 あたふたする僕に、彼女は軽く握った片手を口元に添え、眉尻を下げて困ったように微笑んだ。


「それはちょっと」


 あ、ハイ、そうですよね。

 見るからに彼女といた家より狭いし、そもそもこんな人目のある場所で異世界人と住むほうが彼女のためにならないかもしれない。


 欲のままに飛び出た言葉に恥じ入り、僕は火をふく顔を両手で覆った。



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