第12話 魔法

 もちろん悪さをしてみたいと思っただけで、実際には多分、やらない。

 そんな度胸はない。


「……この世界には、魔法があるんですね」


 僕はまじまじと左手首を見る。


「君のいた世界にはなかったのか?」

「『魔法』と呼ばれるようなものは……光の屈折などを利用して、空中に映像を映すようなものはありました」

「……君はそれが使えるのか?」


 ガルム部長の顔が険しく、声は低くなる。

 僕はできるだけ落ち着いて返答した。


「いいえ、理屈がわかっても、実現する技術はありません」

「……そうか。

 異世界人の中には元々魔法を使えたり、この世界に来ても使える者もいた。

 今この世界で管理されている異世界人は、魔法の使えない者だけだ」

「他にも、異世界人がいるんですか?」


 僕は思わず尋ねた。

 ガルム部長は別の書類にサインする手を一瞬止めて答える。


「……ああ。

 君のように魔法が使えず、素行も問題なければ処刑や実験以外に使っている。

 ――異世界人で結社などを組まないよう、基本的に会える場所にはそれぞれを置いていないがな」


 同郷どころか同級生ともまともに話せなかった僕だ。

 会えたとしても、向こうもこんな僕と同じだと思われたくないだろう。


「すみません、そんなつもりはありません、興味もないです」

「大人しく働いていれば衣食住は保証される。

 くれぐれも怪しまれるような行動はするな」


 ガルム部長が僕に向けて数枚の書類を差し出す。

 仕事や住居などの契約に関するものだ。


 仕事の契約書はどうやら就業規則のようなものらしい。

 休日や賃金などについて書かれている。

 施設ではそうしたものはなかったので、ここでは一応、人として扱われるようだ。

 だがそれよりも、住居に関する契約書を読みながら僕は目を瞬かせた。


「個人……住宅?」


 住宅、と書かれている場所を何度も読み返す。

 居室や部屋ではなく、住宅。


「この近くに庁舎職員の居住地区がある。

 独身者は本来なら寮に入ってもらうが、いらぬ争いを起こさせないためにも君には

空き家だった家に住んでもらう。

 寮内で君が発火すれば大火事にもなりかねんからな」


 空き家でもボロ屋でもなんでもいい。

 トイレ以外の一人の空間をもてるだけでも嬉しいのに、誰がそんなことをするものか。

 見るなと言われれば綺麗な人を見ることだってやめる。

 あ、でも、メイラは……とふと考えていた僕に、ガルム部長は話を続ける。


「街の清掃や役所の諸用とここの仕事は毛色が違う。

 業務に関する書籍と資料はその家に用意した。

 できるかぎり今日中に読んで明日に備えろ」

「……しょ、せき……?」


 心がわきたつ感覚を久しぶりに感じた。

 口から飛び出しそうなほど心臓が高鳴る。

 たとえ仕事のものであっても本が読める。本が、読める。


「使い物にならなければ危険人物として地下牢に送ることになる。

 心して働け」

「はい!」


 自分のものとは思えないほど明るく大きな返事が室内に響く。

 同じくらいの無意識さで僕は笑っていた。


 一人の空間と本。

 それさえあれば他のものなどなくてもいい。

 心から笑うということを初めて体験した僕を新しい家に案内する間、役人は引き気味に見ていたが僕は気にならなかった。


 ガルム部長の雑用係の仕事は掃除やお使いの他、異世界人の情報を精査するためのデータ収集など多岐にわたった。

 正直パソコンなどがあればすぐできそうな仕事もたくさんあった。

 今どき手作業、といいたいが、残念ながらここは異世界だ。


 魔法もあるにはあるが、使えるのは一部の血筋の人だけで、あまり一般的な技術としては発達していない。

 異世界だというのに夢も希望もなかった。


 ただその魔法を応用した「魔法術」がある。

 魔法を使える人たちが近年研究を始め、その発生エネルギーを術式によって一般利用できるようにしていて、この世界の車や発電システムに応用され始めている。

 この世界の魔法とは電気のようなものらしい。

 0と1の信号で制御する仕組みを整えていけば、パソコンやスマートフォンがこの世界にうまれる日もそう遠くないだろう。


 異世界人はその技術開発が始まったのにも絡んでいた。

 かつて魔法が使えるこの世界の人をそそのかし、増幅した魔法の力で戦争を引き起こしたことが始まりそうだ。

 以来この世界では異世界人は忌み嫌われ、世界のどこかに出没するたびに魔王と呼ばれる存在も戦争もなかったこの世界の災厄として厳しく管理されている。


 異世界人について記した本によれば、発狂せず、僕のように無気力無抵抗な異世界人は珍しい。

 施設にいる間に今後の処遇を審査されていたらしいが、知識と無欲さをガルム部長が買ってくれたそうだ。

 僕は心から感謝し、緊張で舌をもつれさせながらガルム部長にお礼を述べた。

 勘違いするなと添えられつつも、期待されてやる気がでた。


 本を買って生活できる給料も与えられた僕は休日のたびに移動の申請を出した。

 日常の買い物以外で街から出るにはその都度、目的と行き先を申請しなくてはならない。

 手続きは面倒だったけれど、僕がメイラの住所を知るにはこれしかない。

 パソコンのようなツールも電話帳もなく、自分の調書を見ることも許されていない。


 まずは処刑場の地下にあった牢屋から一晩以内で移動できる地域を調べた。

 さらに日帰りで街に行き来できそうな郊外の場所を絞った。

 森と畑がありそうな場所は、広い国内のあちこちにあったが、メイラは街に仕事に行くとき、いつも朝早くに出て、夜の早いうちに戻ってきていた。

 もしも彼女が魔法を使って移動できるなら、それが僕の知る物理法則を無視するようなものならば調べようがない。

 だが牢屋から連れ出されたときのことを考えれば、その可能性は低いだろう。


 もう何度目かわからない申請をしたある日、少し困った様子のガルム部長に手紙を書くよう命じられた。

 あまりに何度も似たような地域への移動を申請していたので理由については正直に話していた。

 変に隠したところで、僕のプライベートなんて簡単に暴かれるのが常だ。


 僕は一晩悩み抜いて、結局お礼だけしか書けなかった。


 会えない時間に恋心が育つ、なんていう何かのフレーズを一笑に付した過去の自分をぶん殴りたくなり、今更だし、気持ち悪がられるかもしれないと少し不安になりながら言葉を連ねた。


「君は信頼に足る異世界人だとは思うが、あまりしょっちゅう遠出されるといい顔をしない連中もいるのでな。

 ……中身は恋文か?」

「いえ……お礼、です」


 書けなかった言葉を見透かされたように感じて頬が熱くなる。

 あまり変化しない表情をほんのわずかほころばせて、ガルム部長は簡単に確認して――手紙を燃やした。

 僕は驚いて声をあげる。


「ちょっ、あの、何するんですか!」

「まあ、見ていろ」


 紙は全て灰になり、半透明な白い小鳥に形を変えた。

 僕の周りを飛んでから頭に乗った。


「うわ、あの、これは……」

「彼女に一番伝えたい言葉は?」

「え? ――ありがとう、ですね……」


 お礼の手紙なのだ。

 それ以上も、それ以外もない。

 小鳥はぐるりと室内を一周したあと、窓ガラスを通り抜けて空の中に消えた。


「相手の住所がわからずとも必ず手紙を届ける、今はあまり使われない魔法だ。

 相手の元でお前の声で文章をさえずり、手紙に戻る。

 ……臨時ボーナスだと思えばいい」


 ガルム部長は小鳥が消えていった窓の外を見ていた。

 かすかな胸のざわつきを感じつつも僕は深く頭をさげる。

 僕の願いを叶えてもらったことには変わりない。


「本好きの君ならもう知っているだろうが、異世界人とこの世界の者は幸せにはなれない。

 ……明日からはさらに仕事に励め」

「はい。

 ……ありがとうございます」



 僕のざわつきの正体にガルム部長は気づいていたのだろう。

 「ただお礼を言いたい」建前を突き動かしていた本音を、異世界人の僕は諦めなければならない。


 彼女の声を聴きたいと、僕は望んではならないのだ。



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